人は死んだら空にのぼるんだよ、とおばあちゃんが教えてくれた。
一緒に住んでいたおばあちゃんは、朝起きるたびに空に向かって手を合わせていた。
子供のころ、そう尋ねたことがある。
しわくちゃの顔で笑うおばあちゃんに、私はよくわからないままうなずいたっけ……。
ずっと忘れていたのに、ハルと会話したとたん思い出した。
今ごろおばあちゃんもあの空にいるのかな?
まだ空にのぼれない私を心配してくれているのかな……。
そもそも私はなんでこんなところにいるのだろう。
ザーッと雨の音が急に大きくなった。
うなずくけれど、まだハルに話しかけられたことに動揺している。
長い間ずっとひとりぼっちだったから、まだ現実のことに思えない。
ううん、現実の世界に私はもう存在していないんだ。
ハルは、青いカサをさしてくれている。
そんなことしなくても私は雨からも嫌われているから濡れないのに。
そっとハルを覗いてみる。
彼を初めて見たのは、少し前のことだった。
どれくらい前かは覚えていない。
たしか、今日みたいに突然雨が降り出した夕暮れだった。
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歩道橋の向かい側に立つ彼は、スマホを片手に誰かと話をしている。
栗色の髪に、意思を感じる強い瞳。
ブレザーの制服に茶色いチェック柄のネクタイが緩めに結ばれている。
そういえば、この間もここで見た気がするけれど、気のせいかな……。
聞こえないように小声で言ってみた。
ハルっていうのはあだ名かな。
本当の名前はなんだろう?
どれもしっくりこない。
幽霊になってから、ずっと歩道橋の上に立っている私。
1日が終わるごとに記憶がぽろぽろとはがれ落ちている感覚がずっとある。
なぜ自分が死んだのか、なぜここにいるのか、いつ、どこで、誰と?
雨の向こうにけぶる景色みたいに、うっすらとしか記憶に残っていない。
だから思ったことや目にした文字、聞いたことを言葉にするようにしている。
背負っている通学リュックから折り畳みのカサを取り出すと、彼は片手で器用に開いた。
青空と同じ色の布地に、彼の顔が見えなくなる。
そのときだった。
歩道橋の右側の階段の下になにかいることに気づいた。
黒色と白色の毛がまだら模様になっている。
必死で階段をのぼろうとしているけれど足が短くて届かないみたい。
なんだかかわいそうになり、階段のそばまで進む。
この階段をおりようとしたことはこれまでもあった。
でも、そのたびに言いようのない寒気が体を襲ってくるから、最近はあきらめていた。
気合いを入れ、階段に片足をおろそうとしたとき、
ハルの声がすぐ近くで聞こえた。
ふり向くと、さっきと同じ場所でハルは遠くの空を眺めていた。
その横顔になぜか目が吸い寄せられる。
雨を読むようにあごをあげるハルにつられて空を見た。
まるで普通に会話しているみたいだね。
そこまで考えて気づいた。
手放した記憶が戻ったみたいでうれしくなる。
毎年8月におこなわれている大会で、たしか……少し先にある湖で――。
ふいに遠い記憶が頭をかすめた。
――夕焼け
――教室
――『花火大会に行かない?』
――誰かの声
頭の奥深くを刺されたような痛みが生まれ、思わずうずくまってしまう。
そんな私をサラリーマンがすり抜けていく。
一瞬浮かんだ映像は、雨に溶けるように消えてしまった。
気づくともう階段の下にネコはいない。
ハルの青いカサも見つからない。
雨はいっそう激しく、歩道橋をたたいている。
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編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。