先生が病室のドアを開けると、どうやらナースさんと話していたジェルくんが俺に一言かける。
ナースさんも顔をホっとさせ、安心させたのか少し上がっていた肩を落とした。
いつもなら「ただいま」と返すだろうが今は生憎声が出ないため、俺は「ただいま!」とスケッチブックに書いて、それをジェルくんに見せた。
ジェルくんは緩んだ表情で微笑んだ。
それから数時間がたった。
今度はジェルくんが先生と話していたのだ。
俺はその間、ナースさんと筆談で話していた。
そして今ではジェルくんは先生との話を終え、ここにいる。
…俺はずっと気になっている事があった。
俺はここに来る前、どうしていたのか。
不自然に見当たらない記憶、それはここに来るまでの経緯だった。
やはりそれがどうしても気になってしまう。
ペンを素早く走らせ、俺は文字の書いたスケッチブックをジェルくんに見せる。
少しの間沈黙が続いた後、ジェルくんにより話が再開された。
俺はジェルくんの目を見て大きく頷いた。
そう言ってジェルくんはポケットからスマホを取り出し、操作する。
見てほしいって…動画……?
ジェルくんは少し目を画面から逸らすと、再生ボタンをタップした。
動画からは俺たちのライブ映像が写されていた。
Princeの最後だ。
みんなのいい声とともに少し掠れた嗚咽混じりな俺の声が聞こえた。
『バタンッ』
その瞬間、俺はバランスを崩して倒れた。
1番に俺の事を気づいたのはジェルくんだった。
次々と聞こえるリスナーさん達の声。
ステージの上で横たわっている俺は今のような声でそういった。
"ごめんなさい"
とある言葉が頭によぎる。
俺はごめんなさいって言おうとしてたのか?
ジェルくんの叫びと異様な風景で気づいたのか、他のメンバーも俺の名前を呼んで、倒れていた俺に近寄る。
リスナーさん達も随分パニック状態になっていた。
ころちゃんも相当パニック状態になっていたのか、俺の身体をゆさゆさと激しく揺らした。
それにさとみくんは大人な対応を取る。
先程まで綺麗なペンライトの海だったライブ会場は一瞬で暗くなって、白い電気に包まれる。
リスナーさん達は俺の倒れた姿を見て泣きながら俺の名前を呼ぶ人や、相当ショックだったのか、数人か気絶している人もいた。
せっかくライブまで来てくれたのに…
俺の目元に涙がたまる。
ステージの方に数人の医者の方がくると俺を担架に乗せて、ライブ会場のスタッフ用通路へ向かっていった。
さとみくんが荷物を置いている部屋へ走っていってその映像は終わった。
想像していたものよりも遥にその映像で起こっていたことはひどくて、なによりぼやけながらでも写っていたリスナーさん達の顔が頭から離れそうになかった。
さとみくんはどうなったか分からないけど…だからジェルくんがここに…
なくなっていた記憶がこんなにも恐ろしいものだったなんて…
考えるだけでも、嫌になってくる。
両国国技館は2018年に俺らがライブをしたところ。
その時に客席が満員になったのが気に食わなかったのかとかはまだ曖昧ではあるが、その時多くの害悪リスナーの人が増えたのは本当に悲しい事だった。
アクキー壊されたとか店で暴れたとか…
それが全国に、しかも毎日起こるなんて普通ないだろと心から思っていた。
また…か、
確かに倒れた俺も悪いと本気で思ってる。
ただ盗撮をしてネットでばらまいて…、そんな害悪リスナーの事も許せなく感じた。
俺はまたスケッチブックにペンを走らせる。
"さとみくんは今どこ?"
ジェルくんは真剣モードが解除されたのか、いつもの愉快な関西弁へ戻った。
そのおかげか俺の肩の力も少し抜けた。
俺は………、
みんなに会いたいな…。
俺は首を縦に振った。
ジェルくんはそう言うと持っていたスマホをポチポチと操作した。
今度みんなに会えるのか…。
何だかとても久しぶりな気がしてきた。
コンコンッ…
ベットに設置されているテーブルに、ご飯が置かれたトレイとそれに加え、2つのお茶が置かれた。
お茶からは小さく湯気が舞っている。
ドアが閉められ、お茶の方へ視線を向けると暖かいお茶のいい匂いが漂ってくる。
病院のものと聞いて少し不安になったがその逆で、俺に配布された夜ご飯はとても健康そうなものばかりだった。
そういえばちょうどお腹すいてたんだよね
物欲しそうな目でジェルくんは俺の夜ご飯を見る。
これまでずっとバタバタしてたんだろうな…
俺もそこまでお腹空いてないし…まぁいっか!
1口分のご飯を箸でとって、ジェルくんの口元に近づける。
ぱくっ…
ジェルくんは俺が差し出すご飯を口に運ぶと、目を優しく閉じて美味しそうに味わっていた。
ジェルくんの幸せそうな顔を見てふふっと笑いながら俺もご飯を口に運んだ。
…やっぱ健康にいい食事って美味しいな
こうして2人でパクパク食べながら最近インスタントばかり食べていた俺は心底そう思ったのであった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。