大橋さんの家を飛び出したはいいけど、ここがどこなのかも知らないし、アパートの階段を降りたところで立ち止まってしまった。
そうだ、地図。
スマホを開くと充電があと10%を切っていた。やば、このままずっと地図開いてたら電源切れちゃう。
とにかく駅に行けばなんとかなるよね…
地図と周辺を見回して方向を調べる。うん…たぶんこっちだ。
充電を減らさないよう地図アプリを閉じて歩き進める。なんとか駅にたどり着き、自分の家の最寄り駅まで移動して、やっと自宅に到着した。
「はぁ…」
部屋に入た途端力が抜けて床にへたり落ちる。
大橋さんがあんな意地悪してくるなんて思わなかった。いつも明るくて優しくて、ちょっと抜けてる所もあるけど仕事も出来るしいい人だと思ってた。
なのに大吾さんに誤解させるようなことばっかり言って…冗談のつもりかもしれないけど私の気持ち知ってて言ってるんだから、冗談にはならないよ。
なんであんな事言ったんだろう…正直もう顔合わせたくない。バイトも行きたくないな。
誰かに相談したい。…誰か…
「丈くん、いるかな…」
隣の部屋に住む丈くん。
そういえば一目惚れしたって話してから一度も会ってない。話したいな。
自分の部屋を出て、隣の部屋のインターホンを鳴らした。
平日の昼間だし、多分学校行ってるよなぁ。
「はーい」
あ、いた。
「あ、あなたの名字です」
「え?あなた?」
すぐにドアが開き、丈くんが迎えてくれた。
「どーしたん、珍し…」
「丈くん〜〜〜」
「うわ、なんやねん!どうしたん、とりあえず入り」
思わず抱きついてしまった。
ドアを閉めて、背中をポンポンと優しく叩いてくれた。
「お邪魔します…」
2人掛けソファに一緒に座る。
そういえば、丈くんの部屋にちゃんと入るの初めてかも。玄関先までは入ったことあったけど。
「なんか飲むか?って言ってもお茶くらいしかないねんけど…」
「お茶飲む」
「ん」
グラスに氷とお茶を注ぎ、テーブルに二人分置く丈くん。
「…で?なんでこんな泣いてるん」
そう言われてまたジワッと涙が溢れてくる。
「あ〜ごめんごめん、ほらティッシュ」
「ありがと…」
これまであったことを順番に話していった。
丈くんにはほとんど話してないことばっかりだから、最初の方の事なんて遠い昔のような感覚になるけど、実際にはここ数週間の話だ。
一通り話し終えると、なんだか少しだけ気持ちがスッキリした気がする。
「それはつらかったなぁ…」
「うん…思わず『最低』って捨て台詞吐いてきちゃった」
「でもそんなことあったらもうバイトも行きにくいよなぁ?」
「そうなんだよね…もう顔合わせたくないもん」
「せやんなぁ…」
辞めちゃおっかな、バイト…
でもまた新しいバイトすぐ始めないと家賃払えなくなっちゃうし…でももう大橋さんに会いたくない。
「辞めちゃえば?」
「え、そんなあっさり…」
「ほな、続ければ?」
「どっちよ…」
「辞めればええやん、と俺は思ってるよ」
たった今思っていた事を言われて、自分一人でモヤモヤ考えてるより誰かにズバッと言ってもらった方が心が決まるのかもな、と思った。
「うん…そうだね。私バイト辞める」
「それがええと思う。新しいバイトならすぐ決まるやろ、居酒屋なんか腐るほどあるしな」
「そうだよね、まぁ別に居酒屋じゃなくても何でもいいんだけどね」
うん、そうしよう。
また同じようなことがあっても困るし。
…あ、でもそしたらもうあの店で大吾さんと会う事もなくなっちゃうのか…それはちょっと、寂しいかも。
「…ちょっとはスッキリした?」
「うん、言葉にしたら少し落ち着いた」
「ほんなら良かった。たまたま俺がおって良かったな」
「そうだよ、今日学校は?」
「寝坊してサボった笑」
「うーわ」
「お前も似たようなもんやろ?」
「まぁね」
「まぁ今日くらいは余計なこと考えず楽しいこと考えて過ごすのもええんちゃう?」
うん、そうだよね。
起きてしまったことは仕方ない。
とりあえず今日はもうこれ以上この話のことは考えないようにしよう。
本当は大吾さんに言い訳したいくらいだけど…今日の今日じゃ話も聞いてもらえなさそうだし…一旦冷静になった方がいいよね、お互い。
「あ、なんか映画でも借りてきて見る?晩ごはんはピザでも取って」
「お、いいね〜!!それやろ!」
丈くんといる時間は幼馴染といるような、気を遣わずにいられる感じが心地良い。
一緒にレンタルショップに行って何を見ようか一緒に悩んで、最初は映画って言ってたくせに丈くんが手にいっぱい抱えてたのはお笑い番組のDVDだし、私も選んだのは映画じゃなくて子供向けのアニメのDVDだった。
どっちもどっちで笑ってしまったし、結局今日一日では見切れないくらいの量のDVDをレンタルして『どーするんこんな量!?』って笑ってたけど、そんなやり取りも全部今日だからこそだと思った。
途中スーパーに寄って飲み物やお菓子を調達し、丈くんの家に帰ってDVDを見ながら食べたり飲んだりした。
お笑いDVDを2人で見ながらゲラゲラ笑い、朝の出来事なんてすっかり頭からなくなっていた。
夜になって、流石に2日お風呂に入ってないと身体が気持ち悪くなってきて、自分の部屋でお風呂に入り、化粧も落とし部屋着に着替えてまた丈くんの部屋に戻った。
DVDの続きを一緒に見て、お腹が空いてきた頃にピザを頼み、受け取り、またそれを食べながらDVDを見た。
アニメのDVDに手を付けてみると、意外と感動するやつで、2人して泣いた。
「ちょっと、丈くん泣きすぎ…」
「あなたもめっちゃ泣いとるやん、なんなら昼間より泣いとるやん」
「うるさい!せっかく忘れてたのに…」
「あ、ごめ…」
「いやいいよ、冗談」
「ごめんな」
「やだ、謝られたくない!もう言わないで」
「…わかった」
せっかく忘れてたのに。ちょっと思い出しちゃった。
わかってる、丈くんは本当に私を心配して傷付けないように謝ってくれたこと、わかってる。
「……思い出させちゃったついでに一個だけ言いたいことあんねんけど」
「え…」
「そのバイト先の人、あなたのこと好きなんちゃう?」
「…えっ!?」
まさか、そんなこと…
「その、あなたの好きな人が目の前におってあなたが好きなことも知ってるのにわざわざそんなん言うなんて、相当性格が悪いかあなたに気があるとしか思えへんねん」
一緒に働いていて、そんな気配は正直一度も感じたことがなかった。
でも、確かにそう仮定すると話が繋がる気がする…
「お店で会ってる時と今朝家で話した時と雰囲気が違ったのもそのせいなのかな…」
「雰囲気違ったん?」
「うん…なんていうか、いつもはちゃらんぽらんな感じなのに、家にいる時は…ちょっとSっ気というか…顔近付けてきたり、耳元で囁いたり…」
「お前……夜中ずっとそいつん家おったんよな?なんもされへんかった?」
「え…されてない…はず…。でも店からタクシーに乗せたり、そこから下ろして家まで連れて行かれても起きなかったくらいだから…ちょっと自信ない…」
「どんだけ熟睡しとんねん……」
本当にそれは私もそう思う…
「でも、身体は何も異常なかったし、服も着てたよ!?それに大橋さんも何もしてないって言ってたし……」
「そいつの話なんか信用出来ひんやろ」
「う…」
「…ホンマに身体は大丈夫やったんやな?」
「うん、それは、うん…」
ブラもズレたりしてなかったし、下もヤった後の独特の感覚もなかったし…それはないはず。
「はぁ…それならええけど。心配やわ…」
「すみません…」
「唇くらいは奪われたかもな」
「え!?」
「あー…ごめん…また余計なこと言うたわ」
思わず唇に手を当てる。
流石にそれはわからない…
「あ、最後の一切れ食べる?」
空気を変えるように明るく聞いてくる丈くん。
「食べる!」
もう冷めきった最後のピザを食べその話は自然と終わり、その後はいつものくだらない会話を交わしていつもの私達だった。
結局その日は深夜まで一緒にDVDを見て過ごし、気付けばソファで寝落ちした丈くんが隣にいた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。