第2話

セロ弾きのゴーシュ 2
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2020/05/28 08:54
 その晩おそくゴーシュは何かおおきな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。

家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人ですんでいて午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトのえだをきったり甘藍キャベジの虫をひろったりしてひるすぎになるといつも出て行っていたのです。ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない。あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれをゆかの上にそっと置くと、いきなりたなからコップをとってバケツの水をごくごくのみました。

 それから頭を一つふって椅子いすへかけるとまるでとらみたいないきおいでひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。

 夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄ものすごい顔つきになりいまにもたおれるかと思うように見えました。

 そのときたれかうしろのをとんとんと叩たたくものがありました。
ゴーシュ
ホーシュ君か。
ゴーシュはねぼけたようにさけびました。ところがすうと扉をしてはいって来たのはいままで五六ぺん見たことのある大きな三毛猫みけねこでした。
 ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来てゴーシュの前におろして云いました。
三毛猫
ああくたびれた。なかなか運搬うんぱんはひどいやな。
ゴーシュ
何だと
ゴーシュがききました。
三毛猫
これおみやです。たべてください。
三毛猫が云いました。
 ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。
ゴーシュ
誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトのくきをかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。
 すると猫はかたをまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。
三毛猫
先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。
ゴーシュ
生意気なことを云うな。ねこのくせに。
 セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。
三毛猫
いやご遠慮えんりょはありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。
ゴーシュ
生意気だ。生意気だ。生意気だ。
 ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。
ゴーシュ
では弾くよ。
 ゴーシュは何と思ったかにかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりがへやのなかへ半分ほどはいってきました。
ゴーシュ
何をひけと。
三毛猫
トロメライ、ロマチックシューマン作曲。
猫は口をいて済まして云いました。
ゴーシュ
そうか。トロメライというのはこういうのか。
 セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるであらしのようないきおいで「印度インド虎狩とらがり」という譜を弾きはじめました。

 すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。

ゴーシュはすっかり面白おもしろくなってますます勢よくやり出しました。
三毛猫
先生もうたくさんです。たくさんですよ。ご生ですからやめてください。これからもう先生のタクトなんかとりませんから。
ゴーシュ
だまれ。これから虎をつかまえる所だ。
 猫はくるしがってはねあがってまわったり壁にからだをくっつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまいは猫はまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。

 ゴーシュもすこしぐるぐるして来ましたので、
ゴーシュ
さあこれで許してやるぞ
と云いながらようようやめました。
 すると猫もけろりとして
三毛猫
先生、こんやの演奏はどうかしてますね。
と云いました。
 セロ弾きはまたぐっとしゃくにさわりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくわえそれからマッチを一本とって
ゴーシュ
どうだい。工合ぐあいをわるくしないかい。舌を出してごらん。
 猫はばかにしたようにとがった長い舌をベロリと出しました。
ゴーシュ
ははあ、少しれたね。
セロ弾きは云いながらいきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあ猫はおどろいたの何の舌を風車のようにふりまわしながら入り口の扉とへ行って頭でどんとぶっつかってはよろよろとしてまたもどって来てどんとぶっつかってはよろよろまた戻って来てまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。

 ゴーシュはしばらく面白そうに見ていましたが
ゴーシュ
出してやるよ。もう来るなよ。ばか。
 セロ弾きは扉をあけて猫が風のようにかやのなかを走って行くのを見てちょっとわらいました。それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。

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