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第1話

本日も張り込み中
 逢坂卓_おうさかすぐる_にはちょっとした特殊能力がある。といっても、目を見るだけで人の心が読めるとか、物を触らずに動かせるとか、体に触れると傷や病気を癒すことができるとか…そういったドラマの主人公になれるような劇的な能力ではない。
 逢坂の能力、それは人に顔を憶えられないことだ。逢坂は極端に特徴のない容姿と無敵の存在感の薄さを持って生まれた男だった。そんなことは、特殊能力でもなんでもない。そう思う人は多いだろう。逢坂自身も幼少の時分から長らくそう考えていた。いや、特殊能力として評価するどころか最大のコンプレックスでしかなかった。
 逢坂はごく一般的なサラリーマン家庭の子供として生まれた。ただし、少子化の時代には珍しく兄弟が五人いて、逢坂はその中の三番目だった。世の中間子が皆そうであるとは思わないが、逢坂は兄弟の中でも特別存在感の薄い子で、家族旅行の最中に悪気なく置いていかれるようなことがしょっちゅうあった。
 存在感の薄さは家庭外でも変わらなかった。幼稚園の頃も保育士や同じクラス園児たちに自然と存在をスルーされ、それは小学校に上がって以後も継続した。中学の時、集合写真で自分が一列目に座っているのにも関わらず別枠でバストショットの写真が載った時、逢坂は悟った。これはどうしようもない己の運命なのだと。
 その後しばらくは、グレた。万引きし、無賃乗車し、信号無視をした。しかし、誰一人として逢坂の悪事に気付く者はいなかった。行動だけでなく、ファションもそれらしくしてみた。髪を派手な色に染め、ピアスを開け、オリエンタル系の香水を浴びるようにつけて歩いた。結果、やはりだれも逢坂の変化…いや、存在自体に気が付かなかった。「柔軟剤が強すぎるの苦手~」と公言する同級生がいたが、彼女も逢坂の本来ならば香害必死の香りに気付くことはなかった。
 こうして、逢坂は悪事がばれない事をいいことにその後も犯行を積み重ね、そして……とは、ならなかった。逢坂がグレてみたのは誰かに注意されたり嫌われたりしてでも存在に気付いて欲しかったが為で、それが達成されないと知るとグレているのが馬鹿らしくなり、平凡な生徒に戻った(しかし、戻ったことさえ誰も気が付かなかった!)。そして、真面目に勉学に励み大学受験を受けた。合格発表で自分の受験番号が無かった時は試験時に手ごたえがあっただけにショックだったが、その後、念の為にと退学に確認すると、事務処理のミスで逢坂の合格が見落とされていただけだった。受験結果まで無視されるのかと、その時はさすがにぞっとした。
 大学入学後も逢坂の存在感の無さは不変であったが、小中高より単独行動が許される環境だったので逢坂にとってキャンパスライフは比較的気楽なものだった。
 問題は、就職活動であった。逢坂は存在感が無い。もう一度言う。逢坂は、存在感が無い。ただでさえ横並びの就活生たちの中で、良くも悪くも印象に残らない彼を雇う会社は皆無だった。
 逢坂は就職が決まらないまま卒業した。その後は派遣会社の紹介で繁忙期のみの仕事などに就き生活費を稼いでいたが、安定した収入を得る為の求職活動も細々と続けていた。そして、ある日出会ったのだ。「天職」というやつに。

 
 逢坂の天職、それは「探偵」だった。面接で会った探偵事務所の所長はすぐに逢坂が稀にみる逸材である事に気が付き、逢坂はろくに履歴書も確認されず即採用となった。
 三ヶ月程先輩所員の下で研修期間を過ごし、その後、単独で現場仕事に従事するようになったが、研修期間の最中から逢坂の有能ぶりは一目置かれ、先輩に代わって超E級難度の尾行を軽々とこなしていた。
 そんなこんなで、探偵事務所に入ってから三年、逢坂はカリスマ的な活躍を続け驕り過ぎと言われても仕方ない程仕事には自信があった。だから、平凡ないちOLにまさか尾行が気づかれるとは思ってもいなかったのだ。


「それで、あなたは一戸_いちのへ_課長と私の不倫の証拠を掴もうと、私の周りをうろちょろしてたんですね」
「……」
 逢坂は答えなかった。探偵は秘密厳守が信条だ。しかし、依頼人が誰かなんて目の前の女にはわかりきっていることだろう。
「それで、何か証拠は掴めました?」
 目の前の女――…北沢珂音_きたかのん_は氷の瞳で逢坂を見ながらブレンドコーヒーを口にした。珂音に逢坂が捕まってしまったのは、つい十分前だ。てっきり今回も無事業務を終えたと気を抜いて無防備に事務所に連絡を入れていた最中、とつぜん物凄い力でスマートフォンを持つ腕を掴まれた。振り返れば、そこにいたのはターゲットの不倫相手で…。もちろん、逢坂はまず「はぁ?あんた何ですか?!」とさも迷惑そうにとぼけてみせた。しかし、珂音にその誤魔化しは全く通用しなかった。その時である。逢坂の背に冷たい汗が一筋、流れたのは。
 逢坂にとって、こんなことは全くの未経験だった。探偵になってから、張り込みや尾行がバレたことはこれまで一度もなかった。調査対象にとって…いや、それ以外の全ての人にとって、逢坂は今までずっと自ら存在を主張しなければ透明人間同然だった。遡ってグレていた時代、お前が悪事の犯人かと詰め寄られたことはごく稀にあったが、その時もすっとぼけて知らない振りをすれば相手は「あれ?そういえば、犯人こんな顔だったっけ?」と自信を失くし、すぐに逢坂を解放したものだった。
 珂音は、違った。彼女は今掴んでいる男と先程自分を尾行していた影が同一の存在だと明確に確信している目をしていた。想定外の出来事に言葉を失くした逢坂に珂音は「ちょっと話しましょうか」と低い声で囁き、そして二人は近くにある昭和の風情満載の喫茶店に入ったのだった。
「……なんで、俺が尾行してると思ったんだ」
「…は?」
 逢坂は珂音の詰問に答える代わりに訊いた。珂音の追求を逸らす為ではない。純粋に、知りたかった。今日の尾行はいつも通りだった。他の調査員と比べれば隙だらけだったかもしれないが、逢坂の存在感の無さはそれをカバーするのに十分だった。それが、何故このごく普通の女性に尾行を気付かれたのか。
「私だって、むしろ勘違いじゃないかって思った」
「え…」
「だって、尾行って、あんなに堂々とするもの!?」
 ショックを受けた。逢坂は一瞬何にショックなのかわからない程、ショックを受けた。ショックの裏で少し考えて、自分のアイデンティティを粉砕されたことがショックなのだと思い至った。
 逢坂はおもむろにポケットからスマートフォンを取り出し慣れた指で画面に触れた後、それを自分の耳元にあてた。
「ああ…、俺です。例の案件の尾行、失敗しました。俺、辞めます。いや、この件じゃなく、事務所を」
 電話の向こうの人物がまだ何か喋っているのにかまわず逢坂は電話を切ると、スマートフォンをポケットに戻し立ち上がった。「私の話、まだ終わってないんだけど!」と珂音が逢坂の前に立ちふさがったが、俯いていた逢坂が彼女に向けたその表情に固まった。
 逢坂のその顔には虚無があり、虚無しかなかった。
 彼は胸元からペンを取り出すと、それで紙ナプキンに電話番号らしき数字の羅列を書いた。そうして、その後は珂音に見向きもせず、おぼつかない足取りで喫茶店から出ていった。


 あとは、闇(病み?)。








「こんにちは」
 パチンコ店のから出た時だった。一人の女性に声を掛けられたのは。ぼんやりと、違和感を感じた。何故だろうと濁った頭で考えて、わかった。今までの人生、街中で女性に声を掛けられるなど、一度もなかった。逆ナンされたことがないとか、そういうことではなく、存在すら認識されていなかったから。しかし、そういえば一度だけはあった。あの、人生最大の屈辱の日だ。
「えーと、逢坂卓さん、ですよね?憶えてます?私のこと」
 逢坂は目の前の女性を見た。引き算の美学が微塵もない濃い化粧。ゴールドのピアスとネックレス。上品なのか下品なのか微妙なピンクのスーツ。ホワイトゴールドのクラッチバックとピンヒール。視覚で得た情報は脳みそをするりと通り過ぎただけだった。
「その様子、覚えてらっしゃらないみたいですけど、私です。三ヶ月前にお会いした北沢珂音です」
「はぁ…」
「えっと、まだわかんないですか?あなたの尾行に気付いた不倫OLです」
 「ビコウニキヅイタ」…その言葉を聞いた瞬間、逢坂は背骨を引き抜かれたような心地になって足元から崩れかけた。
「大丈夫!?」
 逢坂が地面に尻餅をつかぬよう、珂音が腕を掴んで支えた。その握力の強い事といったら。憶えのある痛みに、逢坂はすっかり三ヶ月前の出来事を思い出した。
「ああ、あなたでしたか」
 珂音の肩を借りつつ、逢坂は何とか体勢を立て直した。そこにパチンコ店から出てきた客にぶつかられ、再度ふらついた。
「ちょっと!…逢坂さん、ここじゃなんですから、落ち着ける場所でお話しできます?」
 可否を伝えるのも億劫な状態の逢坂は、珂音に引きずられるようにしてパチンコ店の斜め向かいのコーヒーショップに連れて行かれた。コーヒーショップに入った瞬間、店に漂う香りに逢坂は顔を顰めた。嗅覚によってもあの喪失感が甦ってきそうだった。
 そこそこに混んだ夕暮れ時の店内の奥まった場所に逢坂を座らせた珂音はカウンターへ向かい、まるで逢坂が逃げぬよう見張るかのように彼から目を離さずにコーヒーを注文した。店員から受けたとった二人分のコーヒーを手にした珂音は逢坂の向いの席に腰を下し、カップの一つを差し出した。
「ホットコーヒーで良かったですか?」
 逢坂は頷いたが、何か飲みたい気分でもなくカップに手を延ばしはしなかった。
「なんか、まだ文句…といったら失礼か…御用が私にあるんですか?事務所が対処したと思いますが」
 猫背で座った逢坂が、生気のない上目遣いで珂音を見ながら言った。
「あの件に関してはいいんです。もう終わりましたから、なにもかも。それより、私、あの探偵事務所に入ったんですよ。まだ試用期間ですけど」
「………は?」
「会社は辞めました。あの後結局、課長との関係が社内に広まっちゃって。どっちが会社を去るかって、そりゃ下っ端の私ってなりますよ」
「はぁ…」
 すっかり固まりきってしまった筈の心が、罪悪感の様なもので少々痛んだ。自分の調査によっての結果だったのだろうか。いやいや実際に不倫していたのは、その課長とやらと目の前の彼女なのだからと思い直す。
「それで、まぁ、いちゃもんつけたい気持ちもあって、あなたが電話番号置いていった探偵事務所に行ったんですよ。…履歴書はしっかり用意してきましたけど。それで事務所の部屋に入ったら、もう大荒れで」
 言ってから珂音は何かを思い出したのか慌ててバッグからスマートフォンを取り出し、「すいません。みんな多分首長くして待ってるだろうから」と言うと何かを打ち込み、それを終えると改めて逢坂に向き直った。
「それで…そう、私が事務所に入ると、いきなり所長と所員から質問攻め。逢坂に何をしたんだーって。それで、正直に答えたら全員にびっくりされちゃって。逢坂さん、見つからない人なんですってね。行方不明の逢坂を探し出せるのには君だけだ―っ!って、事務所に雇って貰ったんです」
「…探し出すって…俺なんかを探し出してどうするんです」
「どうするって、事務所の方たちは逢坂さんが突然いなくなって大分困ってるみたいですよ。逢坂がいなきゃ上客に契約が切られるとかなんとか…」
 コーヒーテーブルの上に置かれた珂音のスマートフォンが震えた。呼び出し人を確認した後、珂音は逢坂を意味あり気に一瞥し電話に出た。
「はい。はい、見つけました。今、目の前に。はい」
 珂音は会話を切り上げると自分の電話を逢坂に差し出した。
「所長からです」
 逢坂は電話本体を無言で数秒見た後、首を横に振った。
「…北沢です。今は話されたくないそうです。はい。わかってます。はい、また」
 珂音は電話を切るとコーヒーを一口飲み、ため息を吐いた。
「逢坂さんを見つけったって連絡した途端、これですから。必要とされているんですよ。その様子を見ると、今のところ他のお仕事にもまだ就かれていないようですし、事務所戻ったらどうです?」
「あんたが…言うのかよ」
「はい?」
 テーブルの下で強く握られた逢坂の拳が膝の上で震えた。
「探偵失格の烙印を押した他ならぬあんたが、俺にまた探偵やれっていうのかよ…」
「…烙印なんて、押した憶えありませんけど?」
 珂音は様子が変わった逢坂に動じる事なく膨れ面で否定した。
「あんたに見かった時に、俺の探偵人生は終わったんだ。俺の、探偵としてのスキルなんて見つからない事だけだったのに…それがないなら、俺なんて、並みの探偵以下だ」
「それなんですけど……なんか、勘違いしてません」
「なにがだよ!」
 真剣に苦悩しているというのに珂音がしらけた調子で口を挟んできたものだから、逢坂は声を荒げた。それにも態度を変えず、珂音は平然と言った。
「いや、だから、変わった能力があるのは自分だけだって」
「…」
「私のこと、ただの不倫OLだってなめてるでしょ」



 北沢珂音は一度見た人間の顔を細部まで忘れない。それは、絶対である。ただし、その記憶力は人の顔とせいぜい体のシルエットのみに限られ、残念ながら文章や数字、人間以外の形といったその他の物には適用されない。
 この特殊な能力を、珂音は誰もが持っているものだと幼い頃は思っていた。そして、無邪気にあの人とあの人はいつどこにいただとかいったことを頻繁におおっびらに話してしまっていた。子供のたわいもないお喋りである。だが人は…特に大人というのは隠し事があるものだ。ある日、花音は父の前で、一度ちらりとしか見たことがなかった母の秘密の逢瀬の相手を街中で指差した。それが家庭崩壊のきっかけとなった。
 世間には知らない方が、知らせない方がいい事が多い。身をもって学んだ珂音は以後、特殊能力を持ちつつそれ表に出さぬよう生きてきた。しかし、ある日気が付いてしまったのだ。明らかに自分を尾行している男の存在に。


「ということで、逢坂さんが私に見つかったのは仕方ない事だったんです。だから、戻ってください。事務所に。私みたいのはそういないからモウマンタイですって。ていうか、お願いです!ここで逢坂さん連れ戻せなきゃ、私、また一から就職先探さなきゃなんないんですよ!!?」











「逢坂さーん」
 呼ばれ、振り返った逢坂は、声の主に「バカ!声デカい!」のジェスチャ―をし、それを見た珂音は「すいませーん」の表情をしてみせた。
 ここはラブホテルの向かいにあるマンションの生け垣の裏である。そう、逢坂は本日も絶賛張り込み中だ。
「はい、差し入れです。…ターゲット、まだ出てきませんか」
「うん。それにしても北沢さん、その帽子」
「今日は寒いですからね」
「だからってマゼンタピンクはないだろ…」
 逢坂は結局、探偵事務所に戻った。そして、何故か仕事の助手として珂音を付けられてしまった。当初、逢坂としてはそれはとても歓迎できないことだった。珂音は逢坂にとってアイデンティティ喪失の記憶を想起させる人間だったからだ。しかし、所長の強い要望…というより命令により、珂音は逢坂の助手とあいなった。
 それから早ひと月。嫌々付けられた助手だが、思いのほか重宝する存在となってくれた。逢坂はそれまでパートナーや助手を持たずに一人で仕事をしてきた。何故なら尾行や張り込みをしている逢坂はターゲットどころか同僚にも見つけられず、他の者と連携をとるのが困難だったのだ。
 それが、珂音は違う。彼女はいつだってちゃんと逢坂を見つけてくれる。こうして腹を空かし冷え切った体をさする逢坂に、肉まんとホットティーと使い捨てカイロを届けてくれるのだ。目印としか思えないようなド派手なニット帽を被ってくる無神経さは勘弁して欲しいが。
 逢坂は肉まんを頬張りながら、横に座る一眼レフに夢中な珂音を見て思う。存在に気付いて欲しくて仕方なかった過去の自分の事を。そうして、それを諦め、気付かれないことにプライドを築いたところに以前欲していたものを与えてくるなんて、神様は随分気まぐれだ。
 逢坂は紅茶で肉まんを流し込むと、やはりこれはないだろうと珂音の帽子を取り払った。