翔くんの緊張が伝わってきて、私も心臓がドキドキしてくる。
一瞬の間の後、翔くんは強く私を見据えた。
"大好き"、その言葉を口にした翔くんの顔は、見たことがないくらい優しく、柔らかいものだった。
心拍が、上がる。
鳴り止まない心音が翔くんに聞こえないように、私はそっと言葉を紡ぐ。
言いたい事の半分も伝えられることは出来なかったけれど、彼にはそれで十分みたいだった。
翔くんは安心したように目尻を下げて、心の底から嬉しそうに笑った。
どうしても今別れるのはしたくなくて、私は思わずこんな提案をしてしまった。
翔くんは大きく目を見開く。
私のバカ〜!
めっちゃ引かれてるし。
そもそも、文庫本が2人で読めるわけないじゃん…!
鳴ってもいない終了のお知らせが何故か耳にはっきりと聞こえる。
恥ずかしくなり、私は文字通り「穴があったら入りたい」状態になってしまった。
赤く染まった頬を見られたくなくて、俯きながら早口で口にしてその場から立ち去ろうとした私の手を、翔くんは掴む。
翔くんは表情をすっかり明るくして、笑っていた。
私たちは机に移動することにした。
少し迷った末、翔くんが手に取ったのは、私が電車の中で読んでいた「山月記」だった。
私は雪国を手に、翔くんは山月記を手に机へ向かう。
私には趣味の共有者が、翔くんには秘密の共有者が出来た瞬間だった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!