第162話

軌跡③
2,673
2019/05/02 12:13


 彼女は、かけるようにして部屋を出ていった。そのあと、しばらく経っても戻ってこなかった。
 心配になって、僕は様子を見にいった。彼女は、地下室にいた。僕が彼女を監禁していたあの部屋で、なにをするわけでもなく立ち尽くしていた。
「杏奈ちゃん?」
 声をかけると、彼女がハッとして身震いした。
「あ……」
「どうしたの?」
「え、ぁ、いや……」
 それから彼女は自分のことを、変だと、なぜだかわからないけれど、この家を知っている気がする、と言った。彼女は、困惑していた。僕は、なにも言えなかった。
 そのあと、僕たちはリビングで二杯目のコーヒーを飲んだ。けれど、杏奈はあまり話さなかった。ぼんやりと家の中を眺めたり、時おり空になったコーヒーカップをジッと見つめたりしていた。
 棚のマグカップにも目を止めていた。以前、デートをしたときに杏奈が買ってくれたペアのマグカップ。今日、敢えて使わなかったのに、彼女は気づいた。かつて僕たちの思い出に触れ、自分に問いかけているように思えた。潤んだ瞳が可愛くて、そして、可哀想だった。
 帰り際、僕は、たまらず彼女を抱き寄せた。触れないようにしていたのに、だめだった。
「岡田さん?」
 彼女が僕の名前をつぶやく。
「ごめん」
 僕は、そう言って彼女から離れた。どうしようもなく、杏奈が愛おしかった。
 彼女がお見合いするらしい、と聞いたのは、それから、二週間後のことだった。





次は『隠し事』。

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