第151話

悔い①
2,749
2019/04/30 12:59


 昏睡状態から杏奈が目覚めた。涙ぐむ僕に、彼女は言った。
「あなた、ダレ?」
 冗談かと思った。そうじゃないとしてもすぐに思い出すだろう、と思った。
 僕は、自分のことを説明した。僕が杏奈の恋人であること、結婚の約束もしたこと。今の状況を事細かに教えた。
 結果、彼女はパニックを起こした。
 彼女の記憶から、僕は消えていた。すべての記憶を失ったわけではない。自分のこともわかるし、まわりの状況も把握していた。
 職場の人間も、友人も、同じジムに通う浩太でさえもーー。ただ、僕という存在だけが、きれいに切り取られていた。
 医者から呼ばれて、ふたりきりで話した。苦虫を噛み潰したような顔を、医者はずっと浮かべていた。
「極めて珍しいケースの記憶喪失です。恋人のことだけを、忘れてしまうなんて。トラウマになるような出来事があったり……そんな心当たりはありませんか?」
 僕は、よくわからない、と答えた。
「自然と失った記憶を思い出すこともあるかもしれません。ですが」
 そして、医者はつづけた。
「二度と、あなたのことを思い出さないかもしれません」
 杏奈が目覚めてから、僕は面会を禁じられた。僕の顔を見て、彼女がふたたびパニックを起こさないようにするためだ。彼女にとって、僕は他人だった。


プリ小説オーディオドラマ