死とは、人間に用意されたたった一つの平等であり、また逃げ道である。
どんなに贔屓されて得して生きてきた人間も、過酷な道を歩んできた人間も、どんなに財産や権力を持つ人間も、毎日食料を求め歩き回った貧しい人間も、必ず死ぬ。
問題は、いつ死ぬか。
結果として死ぬことは平等だ。しかし、若くして死ぬか、人生を十分満喫して死ぬか、それは結局不平等である。
人間はある意味平等に作られた。かといって、それを知らずに不平不満を嘆く人間が間違いとは言い難い。
不平等を嘆く人間も、平等に気づき静まる人間も、皆人間。間違いか愚かかなどどうでもいい。何を考えたって、必ず死ぬ『人間』のだから。
人間は、他の動物とは違い、自ら死のうともする。
これまでの人間の歴史の中で、『自殺』という行為をした人間がどれくらいいるだろうか。
そんな無数の例の中には、心中というものがある。
共に死ぬ、そんなやさしい死に方を自殺に含むのはあまり好まないが、自殺は自殺だ。
愛を確かめ合うために死ぬ、そんな理由が死の理由になる、それは必死に生きようとしている人に失礼ではないか。そもそも、授かった命を無駄にするのはなんて無礼なことなんだ。
そんな言葉だってあるかもしれない。だが、人間の死を縛り付けられる権利が人間にあるだろうか? 一秒におよそ2.5人もの人間が生まれているというのに、なぜそこまで生にこだわるのか?
死にたいなら死になさい。生きたいなら生きなさい。その選択肢もやり方もすべて人間に委ねるから。
選択肢のない人間なんていない。生きようとするか、死のうとするか、結果はどうであれそれだけは選ぶことができる。
結局、人間は自由なんだ。
平等で不平等で、選択肢のある自由な者たち。それが人間なのだよ。
何の意味もなく生まれた人間は、何の意味もなく死んでいくのだ。
さぁ、人間はこの宇宙という箱庭の中でどう選択するのか──?
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。