放課後、友達の家にお邪魔した帰り道に、その友達のお母さんが“桜が見頃なのね”とテレビを見ながら呟いていたことを思い出し少し遠回りして帰路に立った。
見事な桜木が並ぶ公園の前を通るため。
自分の家からは距離があるがまだ幼稚園児の妹がそこの公園の遊具をとても気に入り道を覚えるくらいには足を運んでいる場所だった。
きっと絶景に違いないと踏んで、門限ギリギリになると分かってはいたが来た甲斐があったなと寂れたフェンス越しでも思う。
淡いピンク色の花びらが軽やかに舞って、
大きな桜木は風に揺れ柔らかな空気を纏いながら堂々と佇んでいた。想像以上だった。
ほぅと息が漏れる。明日、妹も連れてこよう。
そう俺は心に決めて今日は敷地内には入らず外からの景色を堪能しながら帰ろうと判断して歩道を歩き続けた。
すると、急に強風が発生して思わず目を瞑る。
花弁が散る様子が一瞬見えてなんだか悲しいなと思った。
数秒間、風に煽られて立ち止まり耐え忍ぶと
また和らいだ。
恐る恐る目を開ける。
人気がなかったはずの公園に人影が見えた。
遠目からでも分かる、すらりと手足の長い男が
砂場の前で足元を熱心に見ながら立ちつくしている。
不審だ。
年齢はここからではよく分からないが遊具で遊ぶような歳には到底見えないし、親にしては周りに子供がいる様子もない。
花見をしているならまだしもずっと地面を見ているし…学校の便りで読んだ変質者かも。
この公園が好きな妹のためにも俺が対処しなきゃ、と謎の使命感に駆られた俺は公園に足を踏み入れた。
今振り返れば、そういう時は大人を頼るに越したことがないのに危なっかしい。
突然現れた謎の人間に興味をそそられる、そんなどこにでもいる9歳の子供だった。
近づいて見ると、まだ顔はよく見えないが多分自分の親より少しだけ若い細身の男だ。
ぶつぶつと何かを言っている。ますます怪しい奴だと思った。
距離を詰める俺に気づく様子もない。
なぜか男の顔は靄がかかったように思い出せないのだが、彼がこちらを向いた時、やたらと美しい顔だと思ったことは今でも鮮明に覚えている。
言葉を失って食い入るように見つめる俺に
眉を顰めて少し屈みながら笑った。
落ち着いた見た目と違ってツボが浅いのか男は笑い崩れながらしゃがみ込んでしまった。
子供の俺より少し低くなった彼の長いまつ毛に気づいて、胸がなんだかドキリとする。
それを知られるのが恥ずかしくて誤魔化す様に
俺は問いかけた。
ふっと笑いながら向ける男の眼差しは優しい。
なんだかとても嬉しかった。
すっかり謎の男に対しての警戒心は薄れ、好奇心だけが残る。
公園に設置されている時計を見ればもうすぐ門限の時間だった。
遊びに夢中になって少しだけ遅れて帰ることはこれまでに一回だけあったがあの時の母親の形相は忘れられない。
だがもう、ここをこのまま離れる選択肢も俺にはなかった。
なんも面白いことなんてないのに、と眉に皺を寄せて男がため息を吐く。
キラキラと目を輝かせて見つめる俺に諦めたらしい、後頭部をかきながら、あと15分経ったら帰れよと釘を刺された。
そして、しゃがみ込んでまた探し始めた。
元気よく頷いて俺も肩を並べる。
いよいよ薄暗くなってきた空に、男の顔付きが真剣な様子に変わってきた。
視線を下に向け、伏し目がちな目はどこか艶めいていて、このままいくらでも眺めていたいとさえ思う。
男が必死に探すものが気になって仕方がない。
探すふりをしつつ横顔を覗きながら、男に問いかける。
ほんの僅かに、男の目尻が下がった。
男の返答は、酷くぶっきらぼうで、でも声の甘さは隠し切れてなくて、耳に入った途端にきゅっと胸が締め付けられる。
男は、声も綺麗だった。
苦しくなる胸に混乱しながら、俺に対する質問は止まらない。
静かに、男が笑った。
探す手を止めず小さな口を開く。
相手を思い浮かべたのだろう。
甘くて、胸焼けしそうだ。
まるで砂糖菓子を煮詰めたような。
早く見つけてあげたい
そう思った。
間をおかず男の口数はまた増えていく。
フラフラと男が立ち上がる。
その足元で煌めく物を俺は見逃さなかった。
慌てて男の足に抱きついて止める。
細身のシルバーのリングが砂場から顔出した。
子供の目からしてもそれが手の込んだ品物だと分かる。男に似合うと思った。これを贈った人は良い趣味をしているんだなとも。
土をほろってお兄さんに差し出す。
これを渡してしまえば、もうここに男がいる理由は無くなってしまうから少し寂しい。
それでもこれで男が喜ぶのならもうそれでいいじゃないか。
こんな感情を抱くのは初めてだった。
その時、初めて男は俺の顔をしっかりと見たと思う。
なぜかとても驚いた顔をしていた。
探していた物が急に見つかった事に対してのものとはまた違う驚きが含まれているようだった。
突然、鎖骨をなぞられる。くすぐったい。
今度はわしゃわしゃと頭を強く撫でられた。
なに、急に。
ていうか早く受け取ってよ。
もう一度、指輪を乗せた手のひらを男に向ければゆっくりと首を振った。
よく状況を理解できないままそれでも頷く俺をみて満足そうに男が笑った。
背後から桜吹雪が舞う。反射的に目が閉じてしまう。
桜の淡い花弁の中に溶けていく男の姿が微かに見えた。
不思議と、もうこれでお別れだと直感する。
鼓膜を揺らしたあの切実な優しい声が、
ずっと焼き付いて離れない。
風が止むと、やはりというべきか男の姿はなかった。
右手で強く握りしめていたそれだけが、あれが現実なんだと教えてくれる。
帰ると母と父からこっぴどく叱られたけれど、胸はいつまでもふわふわと浮き立っていた。
名前は聞き忘れたけれど、いつかまた会えるだろう。
それまで、バイバイ。
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編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。