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第1話

檸檬 1
579
2020/05/28 08:46
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。焦躁しょうそうと言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔ふつかよいがあるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖はいせんカタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪いたたまらずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故なぜだかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵ひまわりがあったりカンナが咲いていたりする。

 時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団ふとんにおいのいい蚊帳かやのりのよくきいた浴衣ゆかた。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。ねがわくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。

 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまの縞模様しまもようを持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火ねずみはなびというのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心をそそった。

 それからまた、びいどろという色硝子ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉なんきんだまが好きになった。またそれをめてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ちれた私によみがえってくるせいだろうか、まったくあの味にはかすかなさわやかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂って来る。

 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言えそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには贅沢ぜいたくということが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろびて来るもの。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。

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