第3話

箱庭の朝
1,432
2021/07/22 04:00


 カーテンから漏れた日差しが眩しくて目を覚ますと、枕からふわっとミントとラベンダーの香りがした。

深海聡乃
深海聡乃
(いい香り……あれ? 私の枕……じゃない!)


 驚いて起き上がろうとしたけど、うまく身動きが取れない。

 意識がはっきりして感じたのは、背中にぴったりとくっついている人の温かさと、頭上から聞こえてくる寝息、そして、私の腰に回されている腕の感触。

深海聡乃
深海聡乃
(……もしかして)


 寝転んだまま頭上を見上げると、眠っているユリシーズが鼻の先にいた。

深海聡乃
深海聡乃
(……抱き枕にされてる!?)


 大きなユリシーズの体にすっぽりはまっていて、私は信じられないほどの密着度に耐えられずダンゴムシのように丸まった。

深海聡乃
深海聡乃
(同級生の男の子にも触れたことないのに、ユリシーズみたいな綺麗な人と……急にこんなっ!)


 ユリシーズを起こさないようにそっと抜け出し、私は急いでリビングに逃げ込む。

ベラ
ベラ
あら、早いのね。おはよう
深海聡乃
深海聡乃
べ、ベラ、おはよう! ……本を読んでるの?
ベラ
ベラ
えぇ、植物の本を少しね


 昨日片づけたはずの部屋はまた本の山で溢れていて、その中でベラは一冊の本を広げていた。

 肉球で器用にページをめくり、字を目で追っている。

深海聡乃
深海聡乃
面白い?
ベラ
ベラ
そうね、面白いわよ。次の季節に何を植えようか想像してみているの
深海聡乃
深海聡乃
もしかして、お庭の野菜とお花はベラが?
ベラ
ベラ
そうよ、少し魔法を使ってね
深海聡乃
深海聡乃
へぇー、すごいね
深海聡乃
深海聡乃
(ベラの趣味なのかな? ……いいなぁ)


 私はお父さんに決められた読書の趣味をずっと続けていた。けど、それは全部医学関係の本ばかりで、今思うと読んでいても面白くなんてなかった。

 面白いと思える趣味があって、そのために本を読んでいるベラが羨ましい。


 ボーっと眺めていると、彼女は私を見て別の本を探し始める。

ベラ
ベラ
聡乃も何か読んでみる?
深海聡乃
深海聡乃
え、私は……いいよ
ベラ
ベラ
そう? 物欲しそうに見られている気がしたんだけど
深海聡乃
深海聡乃
……邪魔しちゃってごめん!
ベラ
ベラ
謝ることじゃないわ。それより、何か気になるものはある?


 床に積んである本のタイトルを見ていくけど、読みたいと思えるものが見つからない。

深海聡乃
深海聡乃
(……わからないなぁ。何が面白いのか、読みたいのか)


 けど、そういう興味とは別に、気になる1冊が目に入る。

深海聡乃
深海聡乃
これタイトルがないけど、どういう本なの?
ベラ
ベラ
あぁ、それは本じゃないわ。前ここにいた子の日記よ
深海聡乃
深海聡乃
(私と同じように箱庭に迷い込んだ子……)


 その子がどんな心の傷を抱えていたのか、今はここにいないその子がどうなったのか。気になった私は表紙に手を伸ばしていた。

ユリシーズ
ユリシーズ
おはよう
深海聡乃
深海聡乃
お、おはよう!


 ユリシーズは長い髪を1つに結びながらリビングに入ってきた。

ベラ
ベラ
おはよう。いつもはお昼まで寝ているのに、珍しいわね
ユリシーズ
ユリシーズ
聡乃のご飯を作ろうと思ってね
深海聡乃
深海聡乃
え、……あ、ありがとう
ユリシーズ
ユリシーズ
いーえ、今日も喜んでもらえるといいなぁ


 ユリシーズの前でその日記を読むのはなんだか気が引けて、私は元あった場所にそれを戻した。

 キッチンへ向かったユリシーズを追いかけようとすると、ベラが目の前に立ちふさがる。

ベラ
ベラ
聡乃はこっちよ
深海聡乃
深海聡乃
う、うん?


 そうして連れてこられたのは、かわいい猫足バスタブのあるお風呂場だった。

深海聡乃
深海聡乃
そういえば、私昨日っ……
ベラ
ベラ
疲れてたんだから仕方がないわよ
深海聡乃
深海聡乃
け、けど、今朝ユリシーズが私を……だ、抱き、枕みたいに……
ベラ
ベラ
あの子はそんなこと気にしてないから大丈夫
深海聡乃
深海聡乃
け、けどぉ……
ベラ
ベラ
まぁ、乙女的にはショックよね。その分、今日はいい香りをまとって気分よく過ごしましょ?


 私が汗を流して体を洗い終わると、ベラはバスタブにお湯を溜め始める。

ベラ
ベラ
ミントとハーブ、カモミールに柚の皮……。聡乃はどんな香りが好き?
深海聡乃
深海聡乃
え、香り? うーん、枕のラベンダーとかすごくいいなーって思ったけど
ベラ
ベラ
ラベンダーいいわね。リラックス効果もあるのよ
深海聡乃
深海聡乃
ベラは物知りなんだね。お風呂も好きなの?
ベラ
ベラ
……前はね。今は鳥肌が立つほど嫌いよ
深海聡乃
深海聡乃
(前? 鳥肌……猫なのに)
ベラ
ベラ
じゃあ、のぼせないうちに出てくるのよ
深海聡乃
深海聡乃
はーい
深海聡乃
深海聡乃
(ベラは植物が本当に好きなんだろうなぁ、こんな素敵なお風呂初めて)


 誰かにあって私にないものは前からたくさんあったけど、お父さんとお母さんが必要ないって言えばそうなんだと信じていた。

深海聡乃
深海聡乃
(本当に……そうなのかな?)





 用意してくれていた白いワンピースを着て、私は髪を拭きながらリビングに戻る。

 私に気付いたユリシーズがひょっこりとキッチンから顔をのぞかせて笑いかけてくれる。

ユリシーズ
ユリシーズ
丁度いいね。もうできるよ


 お皿に盛られたのは目玉焼きとベーコン、焼いたスライストマト。あとは、お豆のスープと真ん中の大皿にサンドイッチがたくさん。

 ユリシーズの料理はどれも美味しくて、私は夢中になって食べた。いつのまにかユリシーズとベラはサンドイッチを取り合って、言い争いをしている。

 私は思わず笑ってしまい、それを見た2人は嬉しそうに微笑みかけてくれる。

 賑やかで楽しくて優しい世界。この時間がずっと続けばいい、私はそんな風に思い始めていた。









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