私が幼稚園生になった日、お母さんとお父さんは私を愛おしそうに見つめてこう言った。
忙しい両親の気を引きたかった私は、すべて「約束」通りにした。
ご飯や寝る時間、勉強、趣味、洋服、それから友達も、何もかも2人が選んだものにした。
最初はそれだけで褒めてもらえた。ご褒美として、忙しい両親の貴重な休みの日に遊びに連れて行ってもらえたりもした。
けど、中学2年生の今、約束を守るのなんて当たり前で、2人と顔を合わせることさえなくなっている。
家政婦の洋子さんが手のひらで指したテーブルの上には、小さなメモがあった。
そこには「返された試験の答案と問題用紙を書斎の机に置いておきなさい」と、事務的なことだけが書かれている。
朝食を終えた私は制服に着替えて家を出る。
見慣れた景色を横目に通学路を歩いていると、突然背中を押されるような衝撃。
前に足を踏み出して何とか倒れずに済んだけど、そんな私の横を同じ制服を着た子達が通り過ぎ、舌打ちをする。
その子達はクスクスと嫌らしい笑みを溢すと、通学路から外れて細道に入っていく。
学校までの近道らしいけど、私は実際にそうなのかを知らない。
「通学路以外の道は通らず、寄り道をしないこと」という約束があるから。
学校に着き、授業の準備を整えてから、私は係の仕事をしようと教卓の前に立つ。
そう知らせると、鞄からプリントを出す人や焦りだす人がいる。そして、私の声を無視する人が半分ほど。
結局集まったのはクラス全体の3分の1のプリントだけ。
予鈴が鳴るまで私が保管し、先生が教室に入ってきたのを見て提出しに行く。
その言葉で私を嵌めようとしている人たち全員が笑い出す。
先生は何もなかったように授業を始めたけど、私にはあの嫌らしい笑い声がしばらく聞こえ続けた。
いつからか、私は一部の同級生に無視されるようになって、最近はからかわれることが増えている。
お父さんとお母さんが選んだ友達とは、挨拶をして昼食を一緒に食べるだけだけど、関係は良好。
帰りのSHRも終わり、部活に所属していない私は鞄を持ってすぐに教室を出た。
学校が終わっても、1日のタイムスケジュールは終わっていない。
18時の晩御飯まで勉強をして、20時30分のお風呂までに勉強とヨガ、22時の寝る時間までは読書の時間と決まっている。
下駄箱の靴を掴もうとするけど、その手は空を切ってしまう。
まさかと思いつつも、私は近くのゴミ箱を覗き込む。
嫌な予感は当たってしまい、中には土埃まみれになって歪んでいる靴があった。
汚い靴をそのままにして、私は上履きのまま校舎を出る。
私は校門を抜けてすぐに家とは真反対の道に進んでいく。
見慣れた町並みとは少し違うけど、やっぱり私の知っている景色とそこまで変わらなくて、感動なんて少しも感じなかった。
心を占領しているのは、約束を破ったという罪悪感と、そんな気持ちも投げ出したいという願い。
ふと、雑木林に囲まれた公園を見つけ、私は引き寄せられるように中へと入っていく。
葉っぱの陰で少し薄暗いそこはなんだか落ち着いて、私は古びたベンチに座る。
そんな時、聞きたくもなかった声が耳に入ってくる。
いじめに積極的なあの子たちが公園の外を歩いていた。
慌てて雑木林の方へ走り込むと、足が低木に引っかかりいくつもの擦り傷が出来てしまう。
けど、そんな痛みも気にせず、私は見つからないように草木の中でしゃがみ込む。
「早くいなくなれ!」そう願いながら目をギュッとつむれば、涙が頬を伝って流れ落ちる。
品のある女の人の声に驚いて目を開けると、そこには一匹の黒猫がいた。
薄暗い雑木林の中にいたはずが、目の前には温かな日差しが差し込む森と石の家がある。
色白の長く綺麗な手が目の間に伸びてきたかと思うと、今度は優しく穏やかな男の人の声が聞こえてくる。
陽の光を吸い込んだような金色の長い髪をなびかせ、彼は膝をついて私の顔を覗き込む。
その綺麗さに見惚れていると、伸ばされた手がそっと私の頬に触れて親指で涙を拭い取ってくれる。
彼の手から逃れて辺りを見渡してみても公園は見当たらず、あのいじめっ子達もどこにもいなかった。
☆
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!