1月の半ばを過ぎたある日の土曜日だった。
いつものように父親の店で仕込みの手伝いをする。
「すぐる、シフォンケーキ焼けたぞ。オーブンから出してくれ」
「あ、うん」
親父の指示に従い、業務用の大きなオーブンに手をかけた。
開いた瞬間ふわりと香ばしいかおりに包み込まれる。
この匂いを嗅ぐといつも幸せな気持ちになった。
相変わらずいい匂い……残ったら食べたいなと思ってるのに、すぐ売り切れるんだよなぁ。
ま、それはそれで嬉しいんだけど。
「すぐる、ほらっ、早く早く」
「ご、ごめん」
こんがりと焼けたシフォンケーキを丁寧に取り出すと落とさないように運んだ。
俺の親父はパティシエ。
去年、地元にケーキ屋をオープンした。
フランスで5年間修行した腕前はなかなかのもので、毎日お客が尽きない。
そういうわけでいつも仕込みに追われている親父の頼みで、土曜日は手伝いをしている。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!