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第1話

追はば君。
345
2021/05/31 09:28

お前は、まるで夢のようだった。

その日の夜は、久々に二人同時帰宅だった。
その唾液は舐めれば蜂蜜のような
甘さであった。

接吻に慣れていないと知って、俺はよく
舌を擦り合わせた。

そうするとお前は赤みを帯びた目で
俺を睨み返した。

俺はそれをどうも愛情表現にしか
とらえず、そうしてまた接吻をする。

得る事が難くなった酸素を求めて
お前は、溺れた金魚にも見えた。

そのままそうして
行為に至って、最後にもう一度の接吻をして
また命がけの任務をこなすのだとばかり
俺は考えを張り巡らせた。

「お前との毎日は、存外悪くない。」

眠りに落ちつそう一言投げ、
俺は夢へと埋もれていった。





目を覚ますと、
既に”いつも通り”を失っていた。

隣で寝ていた筈のお前が居ない。何処にも。

ソファにも、風呂場にも、洗面所にも

_台所にだって居ない。


言葉にし難い何かが俺の心を蝕んだ。
黒い霧のような、
そんな何かが俺を追い込み始めた。

いいや、まだ、
まだ探していない場所はある。
そこに居るのだ、きっと。

「ヒュスク。」左耳の執事に問う。
「加藤、春の現在位置を教えろ」

僅かに聞こえた機械音の答えはあまりにも
端的だった。


『お答えできません』

「?!

どういう事だ、加藤には受信機が_」



『お探しされている方に該当する人物は、




存在しておりません。』





………

視線をふと上げると、電話機が目についた。

ヒュスクは今壊れている。
だから正しい情報をくれない。

だったら、
信頼している仲間に聞けば良いのだ。

機械よりも
より優れた情報源を_。

受話器を手に取り、荒げそうになる声を
必死にいつも通りへ戻して。

「部長、神戸です。
至急お伺いしたい事があり_

はい、

其方に加藤警部補は居ますか?」


_______

「っふぅ~、……参っちゃったなぁ神戸君。」

「神戸さんですか?
どうぞ、お茶です部長」

「ありがとう、亀井くん。
うん、神戸くんから
また加藤君は何処かって聞かれたよ。

…よっぽどだね。

でも……

そりゃそっか、だって、


加藤君が事故で亡くなっちゃうなんて
僕等も思わなかったもんね。」

________


何故だ、
何故だ、加藤。

何処だ
何処に消えたんだ、お前は。


鈴江にも、
ヒュスクにも現代本部の仲間にも、

お前の場所は聞き出せなかった。

食事も、風呂も、葉巻も
全て触れていないみたいに、
俺をすり抜けていく。

…一人きりの寝室は
もう冬も終わったというのに酷く寒かった。



 「 加藤 」


呼んでも返事が返ってこない。
只ひたすら、寝室という空間に
静という寂しさが在るだけだった。


寒い。そう思いながら、俺はふと
思いだした。

いつもこの時期になると、
俺達はよく特定の場所へ行っていた。

濡れる視界を擦り、
俺はまた夢へ溺れていった。

そのまままた、明日がやって来る。
お前が隣に居ない。
そう思いつつ、服を着ていく。

まだあの場所へ行っていない。
若しかしたら、
お前は其処にいるのかもしれない。

屋敷の大きな門をくぐり抜け、
屋敷の前の兵達の前を通り過ぎ
車に乗り込み、走らせる。

屋敷からおよそ三十分程度。
都市部を離れた、英国全貌を見渡せる
名所へ到着する。


そこは、🌸の名所であった。
暖かい風を受け、桜並木は揚々と踊り出す。

今日は天気もよく絶好の花見日和であった。

薄桃色を見、
そうしてまた街を見る。

お前は笑っていたな、加藤。
綺麗だ、とお前は笑っていたな。

”おい見ろよ神戸!
でっけぇ桜の木だぜ!!”

”あぁ、そうだな”

”なんだよ、
もうちょい反応あったって良いだろ、
日本人かよそれでもよぉ”

”此処にはよく来ているからな。

で、気に入ったか?”

”ああ!

すっげぇ気に入っ、っわぁっ何だ!?
急に風が…”

桜吹雪が舞い、
それはそれは、
なんとも書き表せぬ、
まるで映画のワンシーン。

桜吹雪に囲まれ、髪を抑えて
とても楽しそうに、

愛おしそうに、俺の名を呼ぶ。

”神戸、この場所、凄く綺麗だな。
凄く好きになったよ

な、神戸、

ありがとな”

ふっと、寄って
唇と唇が触れる。

照れながら笑うお前は尚、
桜吹雪と踊っていた。


あの時、
俺は本当は凄く怖かった。

お前が連れて行かれそうだったからだ。





桜の木の前まで歩く。
唇の触感が浮かび上がる。

また、お前を追いそうになる。

その時不意に風が吹いた。
花がまた踊り出す。
まるで笑っているようだ。


胸中の彼が、
まるで今其処に立っているように。


「ふっ」
思わず此方も笑う。

「なんだ、
其処に居たのか、

   春。 」





春。
お前はまるで夢のようだったな。

幻のような、
けれどお前との時間は実際にあった物だ。

春、

あぁ、   
今でも俺は_  お前を愛し続けている。

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