前の話
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お前は、まるで夢のようだった。
その日の夜は、久々に二人同時帰宅だった。
その唾液は舐めれば蜂蜜のような
甘さであった。
接吻に慣れていないと知って、俺はよく
舌を擦り合わせた。
そうするとお前は赤みを帯びた目で
俺を睨み返した。
俺はそれをどうも愛情表現にしか
とらえず、そうしてまた接吻をする。
得る事が難くなった酸素を求めて
お前は、溺れた金魚にも見えた。
そのままそうして
行為に至って、最後にもう一度の接吻をして
また命がけの任務をこなすのだとばかり
俺は考えを張り巡らせた。
「お前との毎日は、存外悪くない。」
眠りに落ちつそう一言投げ、
俺は夢へと埋もれていった。
目を覚ますと、
既に”いつも通り”を失っていた。
隣で寝ていた筈のお前が居ない。何処にも。
ソファにも、風呂場にも、洗面所にも
_台所にだって居ない。
言葉にし難い何かが俺の心を蝕んだ。
黒い霧のような、
そんな何かが俺を追い込み始めた。
いいや、まだ、
まだ探していない場所はある。
そこに居るのだ、きっと。
「ヒュスク。」左耳の執事に問う。
「加藤、春の現在位置を教えろ」
僅かに聞こえた機械音の答えはあまりにも
端的だった。
『お答えできません』
「?!
どういう事だ、加藤には受信機が_」
『お探しされている方に該当する人物は、
存在しておりません。』
………
視線をふと上げると、電話機が目についた。
ヒュスクは今壊れている。
だから正しい情報をくれない。
だったら、
信頼している仲間に聞けば良いのだ。
機械よりも
より優れた情報源を_。
受話器を手に取り、荒げそうになる声を
必死にいつも通りへ戻して。
「部長、神戸です。
至急お伺いしたい事があり_
はい、
其方に加藤警部補は居ますか?」
_______
「っふぅ~、……参っちゃったなぁ神戸君。」
「神戸さんですか?
どうぞ、お茶です部長」
「ありがとう、亀井くん。
うん、神戸くんから
また加藤君は何処かって聞かれたよ。
…よっぽどだね。
でも……
そりゃそっか、だって、
加藤君が事故で亡くなっちゃうなんて
僕等も思わなかったもんね。」
________
何故だ、
何故だ、加藤。
何処だ
何処に消えたんだ、お前は。
鈴江にも、
ヒュスクにも現代本部の仲間にも、
お前の場所は聞き出せなかった。
食事も、風呂も、葉巻も
全て触れていないみたいに、
俺をすり抜けていく。
…一人きりの寝室は
もう冬も終わったというのに酷く寒かった。
「 加藤 」
呼んでも返事が返ってこない。
只ひたすら、寝室という空間に
静という寂しさが在るだけだった。
寒い。そう思いながら、俺はふと
思いだした。
いつもこの時期になると、
俺達はよく特定の場所へ行っていた。
濡れる視界を擦り、
俺はまた夢へ溺れていった。
そのまままた、明日がやって来る。
お前が隣に居ない。
そう思いつつ、服を着ていく。
まだあの場所へ行っていない。
若しかしたら、
お前は其処にいるのかもしれない。
屋敷の大きな門をくぐり抜け、
屋敷の前の兵達の前を通り過ぎ
車に乗り込み、走らせる。
屋敷からおよそ三十分程度。
都市部を離れた、英国全貌を見渡せる
名所へ到着する。
そこは、🌸の名所であった。
暖かい風を受け、桜並木は揚々と踊り出す。
今日は天気もよく絶好の花見日和であった。
薄桃色を見、
そうしてまた街を見る。
お前は笑っていたな、加藤。
綺麗だ、とお前は笑っていたな。
”おい見ろよ神戸!
でっけぇ桜の木だぜ!!”
”あぁ、そうだな”
”なんだよ、
もうちょい反応あったって良いだろ、
日本人かよそれでもよぉ”
”此処にはよく来ているからな。
で、気に入ったか?”
”ああ!
すっげぇ気に入っ、っわぁっ何だ!?
急に風が…”
桜吹雪が舞い、
それはそれは、
なんとも書き表せぬ、
まるで映画のワンシーン。
桜吹雪に囲まれ、髪を抑えて
とても楽しそうに、
愛おしそうに、俺の名を呼ぶ。
”神戸、この場所、凄く綺麗だな。
凄く好きになったよ
な、神戸、
ありがとな”
ふっと、寄って
唇と唇が触れる。
照れながら笑うお前は尚、
桜吹雪と踊っていた。
あの時、
俺は本当は凄く怖かった。
お前が連れて行かれそうだったからだ。
桜の木の前まで歩く。
唇の触感が浮かび上がる。
また、お前を追いそうになる。
その時不意に風が吹いた。
花がまた踊り出す。
まるで笑っているようだ。
胸中の彼が、
まるで今其処に立っているように。
「ふっ」
思わず此方も笑う。
「なんだ、
其処に居たのか、
春。 」
春。
お前はまるで夢のようだったな。
幻のような、
けれどお前との時間は実際にあった物だ。
春、
あぁ、
今でも俺は_ お前を愛し続けている。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。