父の海外赴任について行って、物心がついた頃から英才教育を受けていた私がまだ10歳の頃の話…
韓国に帰れば長く世界を飛び回る日常とはサヨナラをするわけだから、思い出作りとして連れられた島。
そう、私は今…フィリピンのボラカイ島にいる。
透き通る海。綺麗な空。
地元の方は温厚で優しくて、失礼だけど想像していた飢えた怖い国とはかけ離れていた
南国の暖かい空気を味わいながら、砂浜でこの国自慢のココナッツを飲みながらくつろいでいた。
夜になるとライトアップされた砂浜の中でレゲエやラテンミュージックが流れて、行き交う人々はみなお酒を片手にそこに入ると音楽に合わせて密着して踊っていた。
この国の伝統ダンスでサルサに近いものだけど、まだ幼かった私には早い光景で夜になるとホテルで寝るよう言われた。
これはボラカイ島で過ごす最後の夜のこと。
両親はせっかくだから、と寝ている私をホテルに残して出かけてしまった。
なんだか喉が乾いて途中で起きてしまったんだけど、部屋に何もないから外まで飲み物を買いに行った。
カラカラと乾いた暑さの中の冷えたお水は最高においしい。
満足して部屋に帰ろうと、ドアノブに手をかけると…
しまった。オートロックだ。
両親が帰ってくるまで私は部屋に戻れない。
現在時刻は夜の3時。残り数時間、どこで過ごそうか。
魔がさして私は財布をしまうと、音楽が聞こえる砂浜に足を運んだ。
沢山人がいて、男女が体を密着させて踊っている。
幼かった私にはとても衝撃的な光景で、大人な世界だった。
どうすることも出来ず、端にすわってボーッと砂浜を眺めていると…
話しかけてきた女性は、大人たちよりはだいぶ若くて私よりいくつか年上くらい
綺麗にお手入れされた黒髪と、白い肌。ふわっと香る香水のいい匂い。
すごく綺麗なお姉さんだけど、話しかけてきた時のネイティブなタガログ語と見た目はかけ離れていて明らかにフィリピン人ではなかった。
私は見た目からして完全に韓国人だけど、韓国語は話せないんだろう。
わざわざ英語で話しかけてきたが、フィリピンなまりではない。
ますます私のなかで疑問は深まっていった
お姉さんは私の腕をぐっと引っ張ると、そのまま砂浜に連れて行こうとした
すると私の両手をきゅっと優しく握り、優しい笑顔をみせた
ズンチャチャ ズンチャッ♪
ズンチャチャ ズンチャッ♪
聞きなれない独特のリズムの音楽。
どう踊ればいいか分からずたじたじしていると、お姉さんは優しくエスコートしてくれた。
言う通りにすると、お姉さんも私の首に腕を回してきた
ぐっと縮まる距離に慣れない私は顔を真っ赤にした
初めて踊るダンスに固い動きだけど頑張って、音楽に合わせてステップを踏んだ
右、左、右、右
左、右、左、左……
お姉さんのエスコートのおかげで形にはなったけど、まだ動きがぎこちなかった
それでもお姉さんは精一杯に私を褒めてくれた
慣れてくると、私は簡単なサイドステップから色んなテクニックを教えてもらった
気が付いたらお姉さんとの距離はどんどん近づいていって、
その間にも足早に時間は駆け抜けていった。
イベントも終盤に差し掛かった頃のこと…
ゆっくりとスローテンポな曲が流れて、それがまた私の寂しい気持ちを後押しするように感情が溢れ出てくる
幼いながらにも私には分かっていた
まだ出会って間もない、身元の知れない目の前のお姉さんにとてつもなく恋をしている
視線はお互いを照らして、流れる沈黙もくどくて。
腰に手を当てるだけの私の手は、大胆になってきて
気付いたらお互い抱きしめ合うように密着していた。
今にも消えてしまいそうに儚くて、手を離したらそのままどこか行ってしまいそうで…
更にギュッと抱き寄せると、お姉さんは私のおでこにキスをした。
私の手をほどき、お姉さんはどこか焦った様子で離れていく
私はとっさに呼び止めたが、聞いてくれなかった
だから、聞いたの…
教えてよ
あなたの名前は…
私の疑問はここで、ひとつ解決した
やっぱり、姉さんは韓国人だった。
なぜここにいて、フィリピン語を話していて、英語が上手で、あんなにレゲエダンスやサルサが上手なのかはまだ分からないけど
もはやそんなのどうでも良かった
せめてそれだけでも知っておきたくて、また出会えないかと…
きっと無理なことは分かってる
それでも私は…
精一杯、遠くにいる貴方に聞こえるように叫んだ
それだけ言い残すと、ソラさんは街の中に消えていった
あれはなんだったんだろう
瞬く間に駆け抜けていったこの時間は幻なのか、でも私の手には確かにあの細い腰を抱き寄せた感触がまだ残っている
一夜限りの恋だけど、あなたがもう私の手の中にいないことが寂しくて、恋しくて
気が付いたら涙を流していた。
イベントはもう終わっていて、海を見ると太陽が昇っていた。
ぐっと涙を拭うと、私はホテルに向かい
中に入る前に、私たちがいた砂浜を振り返る。
そして私は部屋の前でインターホンを押すと、もうすでに両親は帰ってきていたようで焦った様子で急いで私を部屋にいれた。
そして朝になり、隣の島に向かうため船に乗る直前のこと
私たちは小さなボートに乗り込み、荷物を下ろすとなんだか視線を感じてパッとそちらを向くと…
ソラさんは人差し指を自分の口に当てると、しーっと合図をした。
そうだ、お父さんとお母さんには秘密なんだった…
なにか喋っているようだけど、あまりに遠くて聞こえない。
私は必死になって、ソラさんの唇の動きを読んでいた
ソラさんの唇の動きをなぞって私も真似すると、伝わったようで
またあの夜みたいな優しい笑顔で私に微笑みかけた。
ボーーーーーーーッ
ボートが出航して動き始めると、ソラさんは私が見えなくなるまで視線を逸らさずに島から手を小さく振ってくれた。
ソラさん、ソラオンニ…
私も、愛してるよ…
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。