第27話

怪人二十面相-美術城 1-
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2020/05/28 09:01
 伊豆いず半島の修善寺しゅぜんじ温泉から四キロほど南、下田しもだ街道にそった山の中に、谷口村たにぐちむらというごくさびしい村があります。その村はずれの森の中に、みょうなお城のようないかめしいやしきが建っているのです。

 まわりには高い土塀をきずき、土塀の上には、ずっと先のするどくとがった鉄棒を、まるで針の山みたいに植えつけ、土塀の内がわには、四メートル幅ほどのみぞが、ぐるっととりまいていて、青々とした水が流れています。深さも背がたたぬほど深いのです。これはみな人をよせつけぬための用心です。たとい針の山の土塀を乗りこえても、その中に、とてもとびこすことのできないお堀が、堀りめぐらしてあるというわけです。

 そして、そのまんなかには、天守閣てんしゅかくこそありませんが、全体に厚い白壁造りの、窓の小さい、まるで土蔵をいくつもよせあつめたような、大きな建物が建っています。

 その付近の人たちは、この建物を「日下部くさかべのお城」と呼んでいますが、むろんほんとうのお城ではありません。こんな小さな村にお城などあるはずはないのです。

 では、このばかばかしく用心堅固ようじんけんごな建物は、いったい何者の住まいでしょう。警察のなかった戦国時代ならば知らぬこと、今の世に、どんなお金持だって、これほど用心ぶかい邸宅に住んでいるものはありますまい。
旅人
あすこには、いったいどういう人が住んでいるのですか。
 旅のものなどがたずねますと、村人はきまったように、こんなふうに答えます。
村人
あれですかい。ありゃ、日下部くさかべの気ちがい旦那のお城だよ。宝物をぬすまれるのがこわいといってね、村ともつきあいをしねえかわり者ですよ。
 日下部家は、先祖代々、この地方の大地主だったのですが、今の左門さもん氏の代になって、広大な地所じしょもすっかり人手にわたってしまって、残るのはお城のような邸宅と、その中に所蔵されているおびただしい古名画こめいがばかりになってしまいました。

 左門老人は気ちがいのような美術収集家だったのです。美術といってもおもに古代の名画で、雪舟せっしゅうとか探幽たんゆうとか、小学校の本にさえ名の出ている、古来の大名人の作は、ほとんどもれなく集まっているといってもいいほどでした。何百ぷくという絵の大部分が、国宝にもなるべき傑作ばかり、価格にしたら数十億円にもなろうといううわさでした。

 これで、日下部家のやしきが、お城のように用心堅固にできているわけがおわかりでしょう。左門老人は、それらの名画を命よりもだいじがっていたのです。もしや泥棒にぬすまれはしないかと、そればかりが、寝てもさめてもわすれられない心配でした。

 堀を掘っても、塀の上に針を植えつけても、まだ安心ができません。しまいには、訪問者の顔を見れば、絵をぬすみに来たのではないかとうたがいだして、正直な村の人たちとも、交際こうさいをしないようになってしまいました。

 そして、左門老人は、年中お城の中にとじこもって、集めた名画をながめながら、ほとんど外出もしないのです。美術にねっちゅうするあまり、お嫁さんももらわず、したがって子どももなく、ただ名画の番人に生まれてきたような生活が、ずっとつづいて、いつしか六十の坂をこしてしまったのでした。
 つまり、老人は美術のお城の、奇妙な城主というわけでした。

 きょうも老人は、白壁の土蔵のような建物の、奥まった一室で、古今の名画にとりかこまれて、じっと夢みるようにすわっていました。
 戸外にはあたたかい日光がうらうらとかがやいているのですが、用心のために鉄ごうしをはめた小さい窓ばかりの室内は、まるで牢獄のようにつめたくて、うす暗いのです。

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