第33話

怪人二十面相-悪魔の知恵 2-
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2020/05/28 09:02
 すると、今までぼんやりしていた刑事が、にわかにシャンと立ちなおって、ポケットから一たばの捕縄ほじょうをとりだしたかと思うと、いきなり日下部老人のうしろにまわって、パっとなわをかけ、グルグルとしばりはじめました。
日下部左門
これ、何をする。ああ、どいつもこいつも、気ちがいばかりじゃ。わしをしばってどうするのだ。わしをしばるのではない。そこにころがっている、ふたりのなわをとくのじゃ。これ、わしではないというに。
 しかし、刑事はいっこう手をゆるめようとはしません。無言のまま、とうとう老人を高手小手にしばりあげてしまいました。
日下部左門
これ、気ちがいめ。これ、何をする。あ、痛い痛い。痛いというに。明智さん、あんた何を笑っているのじゃ。とめてくださらんか。この男は気がちがったらしい。早く、なわをとくようにいってください。これ、明智さんというに。
 老人は、何がなんだかわけがわからなくなってしまいました。みんなそろって気ちがいになったのでしょうか。でなければ、事件の依頼者をしばりあげるなんて法はありません。またそれを見て、探偵がニヤニヤ笑っているなんてばかなことはありません。
明智小五郎
ご老人、だれをお呼びになっているのです。明智とかおっしゃったようですが。
 明智自身が、こんなことをいいだしたのです。
日下部左門
何をじょうだんをいっているのじゃ。明智さん、あんた、まさか自分の名をわすれたのではあるまい。
明智小五郎
このぼくがですか。このぼくが明智小五郎だとおっしゃるのですか。
 明智はすまして、いよいよへんなことをいうのです。
日下部左門
きまっておるじゃないか。何をばかなことを……。
明智小五郎
ハハハ……、ご老人、あなたこそ、どうかなすったんじゃありませんか。ここには明智なんて人間はいやしませんぜ。
 老人はそれを聞くと、ポカンと口をあけて、キツネにでもつままれたような顔をしました。
 あまりのことにきゅうには口もきけないのです。
明智小五郎
ご老人、あなたは以前に明智小五郎とお会いになったことがあるのですか。
日下部左門
会ったことはない。じゃが、写真を見てよく知っておりますわい。
明智小五郎
写真? 写真ではちと心ぼそいですねえ。その写真にぼくが似ているとでもおっしゃるのですか。
日下部左門
…………
明智小五郎
ご老人、あなたは、二十面相がどんな人物かということを、おわすれになっていたのですね。二十面相、ほら、あいつは変装の名人だったじゃありませんか。
日下部左門
そ、それじゃ、き、きさまは……。
 老人はやっと、事のしだいがのみこめてきました。そしてがくぜんとして色をうしなったのでした。
怪人二十面相
ハハハ……、おわかりになりましたかね。
日下部左門
いや、いや、そんなばかなことがあるはずはない。わしは新聞を見たのじゃ。『伊豆日報』にちゃんと『明智探偵来修』と書いてあった。それから、富士屋ふじやの女中がこの人だと教えてくれた。どこにもまちがいはないはずじゃ。
怪人二十面相
ところが大まちがいがあったのですよ。なぜって、明智小五郎は、まだ、外国から帰りゃしないのですからね。
日下部左門
新聞がうそを書くはずはない。
怪人二十面相
ところが、うそを書いたのですよ。社会部のひとりの記者が、こちらの計略にかかってね、編集長にうその原稿をわたしたってわけですよ。
日下部左門
フン、それじゃ刑事はどうしたんじゃ。まさか警察がにせの明智探偵にごまかされるはずはあるまい。
 老人は、目の前に立ちはだかっている男を、あのおそろしい二十面相だとは、信じたくなかったのです。むりにも明智小五郎にしておきたかったのです。
怪人二十面相
ハハハ……、ご老人、まだそんなことを考えているのですか。血のめぐりが悪いじゃありませんか。刑事ですって? あ、この男ですか、それから表門裏門の番をしたふたりですか、ハハハ……、なにね、ぼくの子分がちょいと刑事のまねをしただけですよ。
 老人は、もう信じまいとしても信じないわけにはいきませんでした。明智小五郎とばかり思いこんでいた男が、名探偵どころか、大盗賊だったのです。おそれにおそれていた怪盗二十面相、その人だったのです。
 ああ、なんというとびきりの思いつきでしょう、探偵が、すなわち、盗賊だったなんて。日下部老人は、人もあろうに二十面相に宝物の番人をたのんだわけでした。
怪人二十面相
ご老人、ゆうべのエジプトたばこの味はいかがでした。ハハハ……、思いだしましたか。あの中にちょっとした薬がしかけてあったのですよ。ふたりの刑事が部屋へはいって、荷物を運びだし、自動車へつみこむあいだ、ご老人にひとねむりしてほしかったものですからね。あの部屋へどうしてはいったかとおっしゃるのですか。ハハハ……、わけはありませんよ。あなたのふところから、ちょっとかぎを拝借はいしゃくすればよかったのですからね。
 二十面相は、まるで世間話でもしているように、おだやかなことばを使いました。しかし、老人にしてみれば、いやにていねいすぎるそのことばづかいが、いっそう腹だたしかったにちがいありません。
怪人二十面相
では、ぼくたちはいそぎますから、これで失礼します。美術品はじゅうぶん注意して、たいせつに保管するつもりですから、どうかご安心ください。では、さようなら。
 二十面相は、ていねいに一礼して、刑事に化けた部下をしたがえ、ゆうぜんと、その場をたちさりました。

 かわいそうな老人は、何かわけのわからぬことをわめきながら、賊のあとを追おうとしましたが、からだじゅうをぐるぐる巻きにしたなわのはしが、そこの柱にしばりつけてあるので、ヨロヨロと立ちあがってはみたものの、すぐバッタリとたおれてしまいました。そして、たおれたまま、くやしさと悲しさに、歯ぎしりをかみ、涙さえ流して、身もだえするのでありました。

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