第28話

怪人二十面相-美術城 2-
61
2020/05/28 09:01
じいや
旦那さま、あけておくんなせえ。お手紙がまいりました。
 部屋の外に年とった下男の声がしました。広いやしきに召使いといっては、このじいやとその女房のふたりきりなのです。
日下部左門
手紙? めずらしいな。ここへ持ってきなさい。
 老人が返事をしますと、重い板戸がガラガラとあいて、主人と同じようにしわくちゃのじいやが、一通の手紙を手にしてはいってきました。
 左門老人は、それを受けとって裏を見ましたが、みょうなことに差出人の名まえがありません。
日下部左門
だれからだろう。見なれぬ手紙だが……。
 あて名はたしかに日下部左門様となっているので、ともかく封を切って、読みくだしてみました。
じいや
おや、旦那さま、どうしただね。何か心配なことが書いてありますだかね。
 じいやが思わず、とんきょうなさけび声をたてました。それほど、左門老人のようすがかわったのです。ひげのないしわくちゃの顔が、しなびたように色をうしなって、歯のぬけたくちびるがブルブルふるえ、老眼鏡の中で、小さな目が不安らしく光っているのです。
日下部左門
いや、な、なんでもない。おまえにはわからんことだ。あっちへ行っていなさい。
 ふるえ声でしかりつけるようにいって、じいやを追いかえしましたが、なんでもないどころか、老人は気をうしなってたおれなかったのが、ふしぎなくらいです。
 その手紙には、じつに、つぎのようなおそろしいことばが、したためてあったのですから。
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 紹介者もなく、とつぜんの申し入れをおゆるしください。しかし、紹介者などなくても、小生しょうせいが何者であるかは、新聞紙上でよくご承知のことと思います。

 用件ようけんをかんたんに申しますと、小生は貴家ご秘蔵の古画を、一幅も残さずちょうだいする決心をしたのです。きたる十一月十五日夜、かならず参上いたします。

 とつぜん推参して、ご老体をおどろかしてはお気のどくと存じ、あらかじめご通知します。

                               二十面相

日下部左門殿

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 ああ、怪盗二十面相は、とうとう、この伊豆の山中の美術収集狂に、目をつけたのでした。彼が警官に変装して、戸山ヶ原のかくれが、、、、を逃亡してから、ほとんど一ヵ月になります。そのあいだ、怪盗がどこで何をしていたか、だれも知るものはありません。おそらく新しいかくれが、、、、をつくり、手下の者たちを集めて、第二、第三のおそろしい陰謀をたくらんでいたのでしょう。そして、まず白羽しらはの矢をたてられたのが、意外な山奥の、日下部家の美術城でした。
日下部左門
十一月十五日の夜といえば、今夜だ。ああ、わしはどうすればよいのじゃ。二十面相にねらわれたからには、もう、わしの宝物はなくなったも同然だ。あいつは、警視庁の力でも、どうすることもできなかったおそろしい盗賊じゃないか。こんな片いなかの警察の手におえるものではない。
ああ、わしはもう破滅だ。この宝物をとられてしまうくらいなら、いっそ死んだほうがましじゃ。
 左門老人は、いきなり立ちあがって、じっとしていられぬように、部屋の中をグルグル歩きはじめました。
日下部左門
ああ、運のつきじゃ。もうのがれるすべはない。
 いつのまにか、老人の青ざめたしわくちゃな顔が、涙にぬれていました。
日下部左門
おや、あれはなんだったかな……ああ、わしは思いだしたぞ。わしは思いだしたぞ。どうして、今まで、そこへ気がつかなかったのだろう。
……神さまは、まだこのわしをお見すてなさらないのじゃ。あの人さえいてくれたら、わしは助かるかもしれないぞ。
 何を思いついたのか、老人の顔には、にわかに生気せいきがみなぎってきました。
日下部左門
おい、作蔵さくぞう、作蔵はいないか。
 老人は部屋の外へ出て、パンパンと手をたたきながら、しきりと、じいやを呼びたてました。
 ただならぬ主人の声に、じいやがかけつけてきますと、
日下部左門
早く、『伊豆日報いずにっぽう』を持ってきてくれ。たしかおとといの新聞だったと思うが、なんでもいいから三―四日ぶんまとめて持ってきてくれ。早くだ、早くだぞ。
と、おそろしいけんまくで命じました。作蔵が、あわてふためいて、その『伊豆日報』という地方新聞のたばを持ってきますと、老人は取る手ももどかしく、一枚一枚と社会面を見ていきましたが、やっぱりおとといの十三日の消息欄に、つぎのような記事が出ていました。
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明智小五郎氏来修

 民間探偵の第一人者明智小五郎氏は、ながらく、外国に出張中であったが、このほど使命をはたして帰京、旅のつかれを休めるために、本日修繕寺温泉富士屋ふじや旅館に投宿、四―五日滞在の予定である。

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日下部左門
これだ。これだ。二十面相に敵対できる人物は、この明智探偵のほかにはない。羽柴家の盗難事件では、助手の小林とかいう子どもでさえ、あれほどのはたらきをしたんだ。その先生明智探偵ならば、きっとわしの破滅を救ってくれるにちがいはないて。どんなことがあっても、この名探偵をひっぱってこなくてはならん。
 老人は、そんなひとりごとをつぶやきながら、作蔵じいやの女房を呼んで着物をきかえますと、宝物部屋のがんじょうな板戸をピッタリしめ、外からかぎをかけ、ふたりの召使いに、その前で見はり番をしているように、かたくいいつけて、ソソクサとやしきを出かけました。

 いうまでもなく、行く先は、近くの修繕寺温泉富士屋旅館です。そこへ行って、明智探偵に面会し、宝物の保護をたのもうというわけです。

 ああ、待ちに待った名探偵明智小五郎が、とうとう帰ってきたのです。しかも、時も時、所も所、まるで申しあわせでもしたように、ちょうど、二十面相がおそおうという、日下部氏の美術城のすぐ近くに、入湯にゅうとうに来ていようとは、左門老人にとっては、じつに、ねがってもないしあわせといわねばなりません。

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