第38話

怪人二十面相-トランクとエレベーター2-
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2020/05/28 09:02
 血のきらいな二十面相のことですから、まさか命をうばうようなことはしないでしょうけれど、なんといっても、賊にとっては警察よりもじゃまになる明智小五郎です。トランクの中へとじこめて、どこか人知れぬ場所へ運びさり、博物館の襲撃を終わるまで、とりこにしておこうという考えにちがいありません。

 ふたりの大男は問答無益もんどうむえきとばかり、明智の身辺にせまってきましたが、今にもとびかかろうとして、ちょっとためらっております。名探偵の身にそなわる威力にうたれたのです。

 でも、力ではふたりにひとり、いや、三人にひとりなのですから、明智小五郎がいかに強くても、かないっこはありません。ああ、かれは帰朝そうそう、はやくもこの大盗賊のとりことなり、探偵にとって最大の恥辱ちじょくを受けなければならない運命なのでしょうか。ああ、ほんとうにそうなのでしょうか。

 しかし、ごらんなさい、われらの名探偵は、この危急ききゅうにさいしても、やっぱりあのほがらかな笑顔をつづけているではありませんか。そして、その笑顔が、おかしくてたまらないというように、だんだんくずれてくるではありませんか。
明智小五郎
ハハハ……。
 笑いとばされて、ふたりのボーイは、キツネにでもつままれたように口をポカンとあいて、立ちすくんでしまいました。
怪人二十面相
明智君、からいばりはよしたまえ。何がおかしいんだ。それともきみは、おそろしさに気でもちがったのか。
 二十面相は相手の真意をはかりかねて、ただ毒口どくぐちをたたくほかはありませんでした。
明智小五郎
いや、しっけい、しっけい、つい、きみたちの大まじめなお芝居がおもしろかったものだからね。だが、ちょっときみ、ここへ来てごらん。そして、窓の外をのぞいてごらん。みょうなものが見えるんだから。
怪人二十面相
何が見えるもんか。そちらはプラットホームの屋根ばかりじゃないか。へんなことをいって一寸いっすんのがれをしようなんて、明智小五郎も、もうろくしたもんだねえ。
 でも、賊は、なんとなく気がかりで、窓のほうへ近よらないではいられませんでした。
明智小五郎
ハハハ……、もちろん屋根ばかりさ。だが、その屋根の向こうにみょうなものがいるんだ。ほらね、こちらのほうだよ。
 明智は指さしながら、
明智小五郎
屋根と屋根とのあいだから、ちょっと見えているプラットホームに、黒いものがうずくまっているだろう。子どものようだね。小さな望遠鏡で、しきりと、この窓をながめているじゃないか。あの子ども、なんだか見たような顔だねえ。
 読者諸君は、それがだれだか、もうとっくにお察しのことと思います。そうです。お察しのとおり明智探偵の名助手小林少年です。小林君は例の七つ道具の一つ、万年筆型の望遠鏡で、ホテルの窓をのぞきながら、何かのあいずを待ちかまえているようすです。
怪人二十面相
あ、小林の小僧だな。じゃ、あいつは家へ帰らなかったのか。
明智小五郎
そうだよ。ぼくがどの部屋へはいるか、ホテルの玄関で問いあわせて、その部屋の窓を、注意して見はっているようにいいつけているのだよ。
 しかし、それが何を意味するのか、賊にはまだのみこめませんでした。
怪人二十面相
それで、どうしようっていうんだ。
 二十面相は、だんだん不安になりながら、おそろしいけんまくで、明智につめよりました。
明智小五郎
これをごらん。ぼくの手をごらん。きみたちがぼくをどうかすれば、このハンカチが、ヒラヒラと窓の外へ落ちていくのだよ。
 見ると、明智の右の手首が、少しひらかれた窓の下部から、外へ出ていて、その指先にまっ白なハンカチがつままれています。
明智小五郎
これが、あいずなのさ。すると、あの子どもは駅の事務室にかけこむんだ。それから電話のベルが鳴る。そして警官隊がかけつけて、ホテルの出入り口をかためるまで、そうだね、五分もあればじゅうぶんだとは思わないかね。
ぼくは五分や十分、きみたち三人を相手に抵抗する力はあるつもりだよ。ハハハ……、どうだい、この指をパッとひらこうかね、そうすれば、二十面相逮捕のすばらしい大場面が、見物できようというものだが。
 賊は、窓の外につきだされた明智のハンカチと、プラットホームの小林少年の姿とを、見くらべながら、くやしそうにしばらく考えていましたが、けっきょく、不利をさとったのか、やや顔色をやわらげていうのでした。

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