第30話

怪人二十面相-不安の一夜 1-
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2020/05/28 09:01
 日下部左門老人が、修善寺でやとった自動車をとばして、谷口村の「お城」へ帰ってから、三十分ほどして、明智小五郎の一行が到着しました。

 一行は、ピッタリと身にあう黒の洋服に着かえた明智探偵のほかに、背広服のくっきょうな紳士が三人、みな警察分署づめの刑事で、それぞれ肩書きつきの名刺を出して、左門老人とあいさつをかわしました。

 老人はすぐさま、四人を奥まった名画の部屋へ案内して、壁にかけならべた掛け軸や、箱におさめて棚たなにつみかさねてある、おびただしい国宝的傑作をしめし、いちいちその由緒ゆいしょを説明するのでした。
明智小五郎
こりゃあどうも、じつにおどろくべきご収集ですねえ。ぼくも古画は大すきで、ひまがあると、博物館や寺院の宝物などを見てまわるのですが、歴史的な傑作が、こんなに一室に集まっているのを、見たことがありませんよ。
美術ずきの二十面相が目をつけたのは、むりもありませんね。ぼくでもよだれがたれるようですよ。
 明智探偵は、感嘆にたえぬもののように、一つ一つの名画について、賛辞さんじをならべるのでしたが、その批評のことばが、その道の専門家もおよばぬほどくわしいのには、さすがの左門老人もびっくりしてしまいました。そして、名探偵への尊敬の念が、ひとしお深くなるのでした。

 さて、少し早めに、一同夕食をすませると、いよいよ名画守護の部署につくことになりました。
 明智は、テキパキした口調で、三人の刑事にさしずをして、ひとりは名画室の中へ、ひとりは表門、ひとりは裏口に、それぞれ徹夜をして、見はり番をつとめ、あやしいものの姿をみとめたら、ただちに呼び子を吹きならすというあいずまできめたのです。

 刑事たちが、めいめいの部署につくと、明智探偵は名画室のがんじょうな板戸を、外からピッシャリしめて、老人にかぎをかけさせてしまいました。
明智小五郎
ぼくは、この戸の前に、一晩中がんばっていることにしましょう。
 名探偵はそういって、板戸の前の畳廊下に、ドッカリすわりました。
日下部左門
先生、大じょうぶでしょうな。先生にこんなことを申しては、失礼かもしれませんが、相手はなにしろ、魔法使まほうつかいみたいなやつだそうですからね。わしは、なんだかまだ、不安心なような気がするのですが
 老人は明智の顔色を見ながら、いいにくそうにたずねるのです。
明智小五郎
ハハハ……、ご心配なさることはありません。ぼくはさっき、じゅうぶんしらべたのですが、部屋の窓には厳重な鉄ごうしがはめてあるし、壁は厚さが三十センチもあって、ちっとやそっとでやぶれるものではないし、部屋のまんなかには刑事君が、目を見はっているんだし、そのうえ、たった一つの出入り口には、ぼく自身ががんばっているんですからね。これ以上、用心のしようはないくらいですよ。

あなたは安心して、おやすみなすったほうがいいでしょう。ここにおいでになっても、同じことですからね。
 明智がすすめても、老人はなかなか承知しません。
日下部左門
いや、わしもここで徹夜することにしましょう。寝床へはいったって、ねむられるものではありませんからね。
 そういって、探偵のかたわらへすわりこんでしまいました。
明智小五郎
なるほど、では、そうなさるほうがいいでしょう。ぼくも話し相手ができて好都合こうつごうです。絵画論でもたたかわしましょうかね。
 さすがに百戦錬磨ひゃくせんれんまの名探偵、にくらしいほど落ちつきはらっています。

 それから、ふたりはらくな姿勢になって、ポツポツ古名画の話をはじめたものですが、しゃべるのは明智ばかりで、老人はソワソワと落ちつきがなく、ろくろく受け答えもできないありさまです。

 左門老人には、一年もたったかと思われるほど、長い長い時間のあとで、やっと、十二時がうちました。真夜中です。

 明智はときどき、板戸ごしに、室内の刑事に声をかけていましたが、そのつど、中からハッキリした口調で、異状はないという返事が聞こえてきました。
明智小五郎
アーア、ぼくは少しねむくなってきた。
 明智はあくびをして、
明智小五郎
二十面相のやつ、今夜はやってこないかもしれませんよ。こんなげんじゅうな警戒の中へとびこんでくるばかでもないでしょうからね……。ご老人、いかがです。ねむけざましに一本。外国ではこんなぜいたくなやつを、スパスパやっているんですよ。
と、たばこ入れシガレット・ケースをパチンとひらいて、自分も一本つまんで、老人の前にさしだすのでした。
日下部左門
そうでしょうかね。今夜は来ないでしょうかね。
 左門老人は、さしだされたエジプトたばこを取りながら、まだ不安らしくいうのです。
明智小五郎
いや、ご安心なさい。あいつは、けっしてばかじゃありません。ぼくが、ここにがんばっていると知ったら、まさかノコノコやってくるはずはありませんよ。

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