第32話

怪人二十面相-悪魔の知恵 1-
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2020/05/28 09:02
 ああ、またしてもありえないことがおこったのです。二十面相というやつは、人間ではなくて、えたいのしれないお化けです。まったく不可能なことを、こんなにやすやすとやってのけるのですからね。
 明智はツカツカと部屋の中へはいっていって、いびきをかいている刑事の腰のあたりを、いきなりけとばしました。賊のためにだしぬかれて、もうすっかり腹をたてているようすでした。
明智小五郎
おい、おい、起きたまえ。ぼくはきみに、ここでおやすみくださいってたのんだんじゃないんだぜ。見たまえ、すっかりぬすまれてしまったじゃないか。
 刑事は、やっとからだを起こしましたが、まだ夢うつつのありさまです。
刑事
ウ、ウ、何をぬすまれたんですって? ああ、すっかりねむってしまった……。おや、ここはどこだろう。
 寝ぼけた顔で、キョロキョロ部屋の中を見まわすしまつです。
明智小五郎
しっかりしたまえ。ああ、わかった。きみは麻酔剤ますいざいでやられたんじゃないか。思いだしてみたまえ、ゆうべどんなことがあったか。
 明智は刑事の肩をつかんで、らんぼうにゆさぶるのでした。
刑事
こうっと、おや、ああ、あんた明智さんですね。ああ、ここは日下部の美術城だった。しまった。ぼくはやられたんですよ。そうです、麻酔剤です。ゆうべ真夜中に、黒い影のようなものが、ぼくのうしろへしのびよったのです。
そして、そして、何かやわらかいいやなにおいのするもので、ぼくの鼻と口をふさいでしまったのです。それっきり、それっきり、ぼくは何もわからなくなってしまったんです。
 刑事はやっと目のさめたようすで、さも申しわけなさそうに、からっぽの絵画室を見まわすのでした。
明智小五郎
やっぱりそうだった。じゃあ、表門と裏門を守っていた刑事諸君も、同じ目にあっているかもしれない。
 明智はひとりごとをいいながら、部屋をかけだしていきましたが、しばらくすると、台所のほうで大声に呼ぶのが聞こえてきました。
明智小五郎
日下部さん。ちょっと来てください。
 なにごとかと、老人と刑事とが、声のするほうへ行ってみますと、明智は下男部屋の入り口に立ってその中を指さしています。
明智小五郎
表門にも裏門にも、刑事君たちの影も見えません。そればかりじゃない。ごらんなさい、かわいそうに、このしまつです。
 見ると、下男部屋のすみっこに、作蔵じいやとそのおかみさんとが、高手小手たかてこてにしばられ、さるぐつわ、、、、、までかまされて、ころがっているではありませんか。むろん賊のしわざです。じゃまだてをしないように、ふたりの召使いをしばりつけておいたのです。
日下部左門
ああ、なんということじゃ。明智さん、これはなんということです。
 日下部老人は、もう半狂乱はんきょうらんのていで、明智につめよりました。命よりもたいせつに思っていた宝物が夢のように一夜のうちに消えうせてしまったのですから、むりもないことです。
明智小五郎
いや、なんとも申しあげようもありません。二十面相がこれほどの腕まえとは知りませんでした。相手をみくびっていたのが失策でした。
日下部左門
失策? 明智さん、あんたは失策ですむじゃろうが、このわしは、いったいどうすればよいのです。……名探偵、名探偵と評判ばかりで、なんだこのざまは……。
 老人はまっさおになって、血走った目で明智をにらみつけて、今にも、とびかからんばかりのけんまくです。

 明智はさも恐縮したように、さしうつむいていましたが、やがて、ヒョイとあげた顔を見ますと、これはどうしたというのでしょう。名探偵は笑っているではありませんか。その笑いが顔いちめんにひろがっていって、しまいにはもうおかしくておかしくてたまらぬというように、大きな声をたてて、笑いだしたではありませんか。

 日下部老人は、あっけにとられてしまいました。明智は賊にだしぬかれたくやしさに、気でもちがったのでしょうか。
日下部左門
明智さん、あんた何がおかしいのじゃ。これ、何がおかしいのじゃというに。
明智小五郎
ワハハハ……、おかしいですよ。名探偵明智小五郎、ざまはないですね。まるで赤子あかごの手をねじるように、やすやすとやられてしまったじゃありませんか。二十面相というやつはえらいですねえ。ぼくはあいつを尊敬しますよ。
 明智のようすは、いよいよへんです。
日下部左門
これ、これ、明智さん、どうしたんじゃ、賊をほめたてているばあいではない。チェッ、これはまあなんというざまだ。ああ、それに、作蔵たちを、このままにしておいてはかわいそうじゃ。刑事さん、ぼんやりしてないで、早くなわをといてやってください。さるぐつわ、、、、、もはずして。そうすれば作蔵の口から賊の手がかりもつくというもんじゃないか。
 明智が、いっこうたよりにならぬものですから、あべこべに、日下部老人が探偵みたいにさしずをするしまつです。
明智小五郎
さあ、ご老人の命令だ。なわをといてやりたまえ。
 明智が刑事にみょうな目くばせをしました。

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