明智は早くもそれとさとりました。しかし、べつにあわてるようすもなく、じっとエレベーター・ボーイの手もとを見つめています。
すると案のじょう、エレベーターが二階と一階との中間の、四ほうを壁でとりかこまれた個所までくだると、とつぜんパッタリ運転がとまってしまいました。
ボーイは、申しわけなさそうにいいながら、しきりに、運転機のハンドルのへんをいじくりまわしています。
明智はするどくいうと、ボーイの首すじをつかんで、グーッとうしろに引きました。それがあまりひどい力だったものですから、ボーイは思わずエレベーターのすみにしりもちをついてしまいました。
しかりつけておいて、ハンドルをカチッとまわしますと、なんということでしょう。エレベーターは苦もなく下降をはじめたではありませんか。
階下につくと、明智はやはりハンドルをにぎったまま、まだしりもちをついているボーイの顔を、グッとするどくにらみつけました。その眼光のおそろしさ。年若いボーイはふるえあがって、思わず右のポケットの上を、なにかたいせつなものでもはいっているようにおさえるのでした。
機敏な探偵は、その表情と手の動きを見のがしませんでした。いきなりとびついていって、おさえているポケットに手を入れ、一枚の紙幣を取りだしてしまいました。千円札です。エレベーター・ボーイは、二十面相の部下のために、千円札で買収されていたのでした。
賊はそうして、五分か十分のあいだ、探偵をエレベーターの中にとじこめておいて、そのひまに階段のほうからコッソリ逃げさろうとしたのです。いくら大胆不敵の二十面相でも、もう正体がわかってしまった今、探偵と肩をならべて、ホテルの人たちや泊まり客のむらがっている玄関を、通りぬける勇気はなかったのです。明智はけっしてとらえないといっていますけれど、賊の身にしては、それをことばどおり信用するわけにはいきませんからね。
名探偵はエレベーターをとびだすと、廊下を一とびに、玄関へかけだしました。すると、ちょうどまにあって、二十面相の辻野氏が表の石段を、ゆうぜんとおりていくところでした。
明智は、やっぱりにこにこ笑いながら、うしろから辻野氏の肩をポンとたたきました。
ハッとふりむいて、明智の姿をみとめた、辻野氏の顔といったらありませんでした。賊はエレベーターの計略が、てっきり成功するものと信じきっていたのですから。顔色をかえるほどおどろいたのも、けっしてむりではありません。
明智はさもゆかいそうに、大笑いをしながら、例の千円札を、二十面相の面前で二―三度ヒラヒラさせてから、それを相手の手ににぎらせますと、
といったかと思うと、クルッと向きをかえて、なんのみれんもなく、あとをも見ずに立ちさってしまいました。
辻野氏は千円札をにぎったまま、あっけにとられて、名探偵のうしろ姿を見おくっていましたが、
と、いまいましそうに舌うちすると、そこに待たせてあった自動車を呼ぶのでした。
このようにして名探偵と大盗賊の初対面の小手しらべは、みごとに探偵の勝利に帰しました。賊にしてみれば、いつでもとらえようと思えばとらえられるのを、そのまま見のがしてもらったわけですから、二十面相の名にかけて、これほどの恥辱はないわけです。
彼は明智のうしろ姿に、にぎりこぶしをふるって、思わずのろいのことばをつぶやかないではいられませんでした。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。