第40話

怪人二十面相-トランクとエレベーター4-
39
2020/05/28 09:03
明智小五郎
へんだな。
 明智は早くもそれとさとりました。しかし、べつにあわてるようすもなく、じっとエレベーター・ボーイの手もとを見つめています。
 すると案のじょう、エレベーターが二階と一階との中間の、四ほうを壁でとりかこまれた個所までくだると、とつぜんパッタリ運転がとまってしまいました。
明智小五郎
どうしたんだ。
ボーイ
すみません。機械に故障ができたようです。少しお待ちください。じきなおりましょうから。
 ボーイは、申しわけなさそうにいいながら、しきりに、運転機のハンドルのへんをいじくりまわしています。
明智小五郎
なにをしているんだ。のきたまえ。
 明智はするどくいうと、ボーイの首すじをつかんで、グーッとうしろに引きました。それがあまりひどい力だったものですから、ボーイは思わずエレベーターのすみにしりもちをついてしまいました。
明智小五郎
ごまかしたってだめだよ。ぼくがエレベーターの運転ぐらい知らないと思っているのか。
 しかりつけておいて、ハンドルをカチッとまわしますと、なんということでしょう。エレベーターは苦もなく下降をはじめたではありませんか。

 階下につくと、明智はやはりハンドルをにぎったまま、まだしりもちをついているボーイの顔を、グッとするどくにらみつけました。その眼光がんこうのおそろしさ。年若いボーイはふるえあがって、思わず右のポケットの上を、なにかたいせつなものでもはいっているようにおさえるのでした。

 機敏きびんな探偵は、その表情と手の動きを見のがしませんでした。いきなりとびついていって、おさえているポケットに手を入れ、一枚の紙幣を取りだしてしまいました。千円札です。エレベーター・ボーイは、二十面相の部下のために、千円札で買収されていたのでした。

 賊はそうして、五分か十分のあいだ、探偵をエレベーターの中にとじこめておいて、そのひまに階段のほうからコッソリ逃げさろうとしたのです。いくら大胆不敵だいたんふてきの二十面相でも、もう正体がわかってしまった今、探偵と肩をならべて、ホテルの人たちやまり客のむらがっている玄関を、通りぬける勇気はなかったのです。明智はけっしてとらえないといっていますけれど、賊の身にしては、それをことばどおり信用するわけにはいきませんからね。

 名探偵はエレベーターをとびだすと、廊下をひととびに、玄関へかけだしました。すると、ちょうどまにあって、二十面相の辻野氏が表の石段を、ゆうぜんとおりていくところでした。
明智小五郎
や、しっけい、しっけい、ちょっとエレベーターに故障があったものですからね、ついおくれてしまいましたよ。
 明智は、やっぱりにこにこ笑いながら、うしろから辻野氏の肩をポンとたたきました。
 ハッとふりむいて、明智の姿をみとめた、辻野氏の顔といったらありませんでした。ぞくはエレベーターの計略が、てっきり成功するものと信じきっていたのですから。顔色をかえるほどおどろいたのも、けっしてむりではありません。
明智小五郎
ハハハ……、どうかなすったのですか、辻野さん、少しお顔色がよくないようですね。ああ、それから、これをね、あのエレベーター・ボーイから、あなたにわたしてくれってたのまれてきました。ボーイがいってましたよ、相手が悪くてエレベーターの動かし方を知っていたので、どうもご命令どおりに長くとめておくわけにはいきませんでした。あしからずってね。ハハハ……。
 明智はさもゆかいそうに、大笑いをしながら、例の千円札を、二十面相の面前で二―三度ヒラヒラさせてから、それを相手の手ににぎらせますと、
明智小五郎
ではさようなら。いずれ近いうちに。
といったかと思うと、クルッと向きをかえて、なんのみれんもなく、あとをも見ずに立ちさってしまいました。
 辻野氏は千円札をにぎったまま、あっけにとられて、名探偵のうしろ姿を見おくっていましたが、
辻野
チェッ。
と、いまいましそうに舌うちすると、そこに待たせてあった自動車を呼ぶのでした。
 このようにして名探偵と大盗賊の初対面の小手こてしらべは、みごとに探偵の勝利に帰しました。賊にしてみれば、いつでもとらえようと思えばとらえられるのを、そのまま見のがしてもらったわけですから、二十面相の名にかけて、これほどの恥辱はないわけです。
怪人二十面相
このしかえしは、きっとしてやるぞ。
 彼は明智のうしろ姿に、にぎりこぶしをふるって、思わずのろいのことばをつぶやかないではいられませんでした。

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