伊織は、へたくそが過ぎる歌声を廊下に響かせている。
本当にこんなんで納豆同好会への勧誘なんて成功するの?
納豆同好会より、私の勧誘始めてるし。
中学の頃からず~っとしつこく毎日のように続けてた、まい☆らいすオーディションへの応募を強いてくるし。
私は立ち止まって鞄を漁り始めた伊織を置いて、速足で歩いていく。と、向こうから、仲良くなりたかったクラスメイトが歩いてきた。
……そう、仲良くなりたかったんだよ。すでに遠巻きにされているけど。
この子、爪とか制服とか気を使っているのが見て取れるし、絶対三次元の同年代男子が恋愛対象だよね?二次元のイケボ男性アイドルなんて存在すら知らない可能性あるよね?いや、でも隠れオタクの可能性だって捨てきれないし。
……だとしたら、この子はリア充女子に溶け込めてるし、完全に私の上位互換じゃない?神様は私に対して残酷すぎない?なんなの?私が嫌いなの?
私のくだらない思考など知るよしもなく、仲良くなりたかったクラスメイト女子は、私に顔を近づけて、申し訳なさそうに小声で語りかけてきた。
それは本当だ。伊織は昭和のトップアイドル花柳真理子ちゃんと、彼女を支えた伝説の作曲家、徳武清次さんの息子だ。
俗にいうサラブレッドだし、幼少期に何度かテレビに出ていたのも知っている。
まぁ、歌に限らず伊織に芸術の才能は皆無で、マスコミにもすぐに飽きられてしまったんだけど……。
タイミングが悪い。伊織が黄色に光るペンライトを振り回しながら、全速力でこちらに向ってくる。
この子と友だちになるルートがあったかもしれないのに、伊織の下手くそな歌声と力強すぎる足音が可能性の芽すら踏み潰していく。
廊下は走っちゃいけない、とか注意する間もない。
伊織は私の腕をガシッとつかんで、名前を知ることもできなかったクラスメイトの横を嵐のように駆け抜ける。
歌いながらペンライトを振り回す伊織に引っ張られ、走りながらも振り返り、名前も知らないクラスメイトに手を振る。
リア充がどうこう以前に、普通に同性の友達ができる気配すら伊織に消される。悲しき。
× × ×
伊織のその言葉に泣く泣く従って、別クラスの同級生たちに片っ端から声をかけた。
が、何の脈絡もなくまい☆らいすの曲を歌い出す、未来の私に捧げるとか言ってホウキでオタ芸をする伊織と、それに付き合う私、という構図がすでに学年全体に広まってしまっているらしい。
別クラスの同級生達には、関わりたくないと直球で断られたり、他の部活に入部届け出したと目をそらしながら言われたり、ひどい場合は目が合った途端に走り去られた。
廊下は走っちゃいけません、とはこの時ばかりは言えなかった。そうだよね、仕方ないよね。伊織がゴメンね。
それにしても、噂が広がるの早すぎない?みんな、関わってもない他人の話ばっかりしてるの?
伊織はどこ吹く風といった様子で黄色のペンライトをぐるぐる回している。どことなく嬉しそうだ。本当にやる気あるの?
と思ったら急にまじめな思考になった。そんなところで緩急付けないでほしい。
あの、なんでだろう。
何か心に引っかかるというか、嫌な予感がするんですけど……。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。