私の名字はなんとかではないんですが。
口先の語彙力がまだ死んでいる。
伊織が立ち上がって、私の両肩を掴んで揺らす。頭の中がかき回されるような感じがした。
それ以上に、無難な味のジュースが入った胃がかき回される、これはまずい。
伊織が私の肩から両手を離し、私の背中をさする。本当に何でこういうときだけ察しが良いの。
納豆イケメン改め金剛地さんが、滑らか、かつ高貴さを湛えた美声で話を進めていく。何この人、何度聞いても良い声。
伊織は金剛地さんに鋭い視線を向ける。
私はなんとかではなく早見悠香です。と言おうとしたはずだったのに、口先の語彙力は未だに死んでいる。
伊織が信じられない、といった表情で私の顔を覗き込んだ。凄く良い顔が、近い。
× × ×
結局、私と伊織は金剛地さんとRICEのアカウントを交換してから帰路についた。
伊織と二人の帰り道、私の口先の語彙力は回復しつつある。
もしも明日金剛地さんと会うことになったら、また口先の語彙力が死んでしまうんだろうかと心配していたら、隣を歩く伊織が口を開いた。
仕方ないと言えば仕方ないけれど、勘違いされてしまったようだ。
その言葉には神妙さが大量に含まれている。正直ちょっと怖い。
語彙力は回復しつつあるとはいえ、伊織の質問にフレキシブルに回答できるほどではない。
夕日は遠く、空は濃藍に染まりつつある。
神妙で、どこか寂しげな伊織の声は、近づく夜に飲み込まれてしまいそうだ。
伊織は私から目をそらして、夜の闇を眺めている。
今の口先の語彙力で伝えられるのは、それだけだった。
伊織が勢いよく私に振り向く。
伊織から先ほどまでの神妙さが消え去る。
伊織は拗ねたような口調で、私の真意への理解を告げる。
私と伊織は、対象は違えどずっと昔からのオタク仲間でもある。
伊織は三次元のアイドルオタク。私は二次元のアイドルオタクで、声フェチ。
そして、ずっと一緒にいてくれた人だ。
× × ×
帰宅して携帯を確認すると、早速RICEにメッセージが入っていた。
恐る恐る内容を確認する。
参謀部。さんぼうぶ。サンボウブ。
一体何の話なんです?
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。