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第1話

憂世から憧憬へと(零)
17,733
2022/08/18 05:59


 第一章  憂世から憧憬へと




テヒョン
テヒョン
えっ、執事?
ジョングク
ジョングク
はい
 あからさまに興味を抱いたテヒョンにジョングクはポリポリと頬を掻きながら笑った。そんな人が何故合コン何かに来たのだろう。人数合わせだろうか。因みにテヒョンはそうである。
テヒョン
テヒョン
人数合わせとか?
ジョングク
ジョングク
あ、いや、違います
テヒョン
テヒョン
じゃあ何で?
ジョングク
ジョングク
えっと、ま、まあ色々……
テヒョン
テヒョン
えっと、執事ってやっぱり大変なの?
ここまで訊いておいてテヒョンは自分の質問を悔いた。執事だって合コンに来る。知人にはそんな他人主義な人がいないから珍しく思っただけで、彼も一人の男じゃないか。それに執事なら雇い主に付き添いっきりだし、ストレス発散で合コンに参加したっておかしくない。何なら絶好の場所じゃないだろうか。そう考えたらジョングクが答えずらいのにも辻褄が合い、自分の失態に気がついたテヒョンは慌てて話を変えた。
ジョングク
ジョングク
ぼちぼち、ですかね
テヒョン
テヒョン
やっぱりご主人様、とか言う感じ?
ジョングク
ジョングク
そんな感じです
テヒョン
テヒョン
わぁ……
テヒョンは感銘を受けてジョングクを物珍しく見つめた。気まずそうに目線を上げたジョングクに、テヒョンは遠慮なく興味を問い質し始める。
テヒョン
テヒョン
ご主人様は男の人?女の人?
ジョングク
ジョングク
男ですよ。
テヒョン
テヒョン
厳つい?お淑やか?すっごく怖い?
一つ返せば十訊いてくるテヒョンにジョングクは眉根を寄せながら微笑んだ。
ジョングク
ジョングク
どれだと思います?
その時テヒョンは今更ジョングクの端正な顔に気がついた。人数合わせの為に強引に連れてこられて不貞腐れていたものだから、まともに相手の顔を見ていなかったテヒョン。真正面、ちゃんと真横からではなく向かい合ってみると凛々しい顔をした男がいるではないか。
ジョングク
ジョングク
あ、ようやく目が合いましたね。機嫌直りました?
テヒョン
テヒョン
え?
ジョングク
ジョングク
いや、つまらなそうだったので。
テヒョン
テヒョン
あ、あー、うん。俺人数合わせで来たからさ、つまんなくて
そうすると、「やっぱりそうだったんですね」と、ジョングクは納得したように笑い出した。テヒョンは不思議で仕方なくて、分かりやすく首を傾げる。
ジョングク
ジョングク
あなたみたいな綺麗な人がこんな合コンに好んで来るはずないと思ってましたから。でも間違ってたら失礼ですし、中々声をかけずらくて
それを聞いたテヒョンは自分から声をかけたことに密かに悦んだ。そこら辺の女と需要のない話をするより、執事という物珍しい職業を持ったジョングクと話す方が断然得であるからだ。
テヒョン
テヒョン
じゃあまさか、ずっと俺の事見てた?
単純な疑問だった。自分のことを事細かに話す人を目の当たりにしてしまったら無理のない疑問だと思う。問いに対してジョングクは少し小っ恥ずかしそうにすると、
「バレましたか?」
と、可愛らしく笑って答える。
 水滴が落ちる音がした。
 ポタリと墨のようなドス黒い水滴が、広い大地のどこかに小さく小さく落ちた。所見じゃ何の変哲もない様子のテヒョンだったが、心は明らかに不整脈のような変な鼓動をしている。
テヒョン
テヒョン
ジョングギ
ジョングク
ジョングク
はい?
テヒョンは頬杖を付くと、枝豆を片手で取って、プチプチと中身を出しながらこう言った。
テヒョン
テヒョン
俺、ジョングギの事もっと知りたいな
 そこから二人は目の前の女などに目もくれず、お酒を呑むペースも心做しか早くなっていった。と言ってもテヒョンが増えただけで、実際ジョングクはあまり飲んでいない。仕事柄と言うのだろうか。他人優先が身に付いたジョングクはテヒョンが酒を呑む姿を印象のいい笑顔で見るばかりで、何ならお酌までしている。だがテヒョンはあまりお酒が得意な方ではなくて、呑みすぎると嘔吐してしまう体質。
ジョングク
ジョングク
大丈夫ですか?無理してません?
流石に心配になってきたジョングクがテヒョンから優しくグラスを取り上げた。呂律も怪しくなってきたし、何より顔が赤い時点でアウトである。
テヒョン
テヒョン
んぇ、なんで取るの
ジョングク
ジョングク
それ以上は駄目です
テヒョン
テヒョン
なんでぇ…
ジョングク
ジョングク
それ以上飲んだら体調壊しますよ
と、見てわかる通りベロベロに出来上がったテヒョンは、最終的に納得いかないと拗ね始める始末だ。返して、返して、と詰め寄るテヒョン。酔いが回ってまともに歩けない状態までになっていたのにも関わらず、椅子に座っていたものだから本人もそんな事には気づいていない。と、いうことはだ。
テヒョン
テヒョン
っ!?
あぁ、言わんこっちゃない。盛大に頭からジョングクの胸元に倒れてしまったではないか。
テヒョン
テヒョン
ぅぁっ、ごめ……
ジョングク
ジョングク
いえ、気にしないでください
もはや職業病と理由付けて良いのだろうか。受身を取ったジョングクは何ともない様子でテヒョンの怪我を阻止した。
 だから温かくて心地がよかった。酩酊状態のテヒョンを押し退けることもしないジョングクの腕の中が、テヒョンにはこれ以上にないほど居心地が良かったのだ。
ジョングク
ジョングク
……ョン?…テヒョンイヒョン──



 脳がグラーンと覚醒して朧気に何度か瞬きをする。最初に思ったことは、暑い。
──ここは何処だろう。確か俺はジョングギと飲んでて……。あれ? 合コンは?
あまりの静けさ。今更ながらに殺風景で見慣れない天井。明らかに異変を感じたテヒョンは重たい身体をバッと起こした。
ジョングク
ジョングク
起きたんですね、良かった。
不確かな記憶の中で台風のように巻き戻されていくメモリー。テヒョンはその声で背筋がビキッと固まる。嫌な予感がしてギギギギギ、と効果音が似合うほどゆっくり振り返ると、そこにはシャワーを浴びた様子のジョングクが確かに立っていたのだ。サァと顔が青ざめて行くのが分かる。
テヒョン
テヒョン
ぉ、俺……
ジョングク
ジョングク
気分悪くありません?水飲みます?
テヒョン
テヒョン
あ……いや、何で俺ここに?
ジョングク
ジョングク
あぁ、それはですね……
ジョングクは殆ど何も覚えていないテヒョンに、これでもかと丁寧に説明してくれた。
ジョングク
ジョングク
テヒョンイヒョン、あれから完全に泥酔してしまって寝てしまったんです。と言っても家まで送れるわけありませんし、タクシーで一旦このホテルまで来たんですけど、その途端にリバースしてしまって
テヒョン
テヒョン
え゙、まじで……?
ジョングク
ジョングク
一応口許と汚れた所は拭いておきましたけど、気持ち悪いと思うのでシャワーオススメします。あと、うがい。
そう言われると、口内が酸味臭くて苦い。一度意識してしまうと、つい戻しそうな味だ。
テヒョン
テヒョン
そ、そっか、ごめんね…ありがとう
それを何とか胃で留めると、テヒョンは精一杯に口許を引き上がらせておいた。その後会話が続くことはなく暫くの沈黙が続いたが、その間テヒョンは悶々としてある謎を推理していた。
 俺が酔い潰れてここに連れてこられたのは理解した。けれどまさか、ジョングギは俺を背負って部屋にチェックインしたのではないだろうか。昏睡状態の俺が歩くわけあるまいし、理屈的にも論理的にも自分の足でこの部屋に来ることは不可能だ。と、いうことは……?
 頭を捻って考えてみた結果、結論はやはりジョングクが背負ってくれたに限る。
テヒョン
テヒョン
ね、ねえ、ちょっと聞いていい?
ジョングク
ジョングク
はい、何ですか?
テヒョン
テヒョン
もしかして、さ。ジョングギがシャワー浴びたのって、俺が……
ジョングク
ジョングク
嗚呼、気にしないでください。でも慣れない事はもうしないで下さいね、体に響きます
その瞬間、自分の決定的黒歴史に顔が蒼白に変わった。吐瀉物をあんな爽やかイケメンに吐いたなんて有り得ない、有り得なさすぎる。それなのに「シャワーを浴びたのでもう大丈夫」みたいな面をしてるジョングクはあまりにも紳士ではないだろうか。テヒョンは冷や汗を流しながら嫌でもその姿を目に浮かべ始めてしまう。だがそれはあまりにも悽愴で呼吸をする度に胃液の臭いが鼻を衝くと思ったら、申し訳ない事にも吐き気がしてくる。
テヒョン
テヒョン
ご、ご、ごごごめんグガっ! 汚かったよね絶対気持ち悪かったよねっ大丈夫? いや大丈夫じゃないか、ど、どうしよう、待って、本当に汚いよ何でなにも言わないの!?
ジョングク
ジョングク
テヒョンイヒョンこそ大丈夫なんですか?吐き気はもうありません?
テヒョン
テヒョン
い、いや俺は大丈夫だけど、お前がっ
ジョングク
ジョングク
じゃあ、ひとつだけお願いしていいですか?
ジョングクはテヒョンの話を遮ると、今度は優しく微笑んでサイドテーブルに置いてあった付箋に何かを記し始めた。コロン、とボールペンが置かれると、ジョングクはテヒョンに紙切れ一枚を渡す。
ジョングク
ジョングク
待ってますね
と、一言つけ加えてだ。
ジミン
ジミン
でえ? 合コンで知り合って仲良くなった奴に吐瀉物ぶっ掛けて連絡先貰って帰ってきたあ? そいつただの変人だろ。あ、お前は吐いた時点で論外
テヒョン
テヒョン
な、そんな言い方ないだろ……
 電話の向こう側から、ため息混じりにジミンは言った。 ジョングクからあの夜貰った電話番号の書かれた付箋は、半分に折られたままで…。いや、詳しく言うと何度も開いては折り直して、開いて、の繰り返しだ。『待ってますね』と言われたものの、吐瀉物掛けた時点で相当最低なことをしているテヒョン。実に、更に、電話など掛けずらかった。それに、ジョングクは物珍しい執事という職業。電話なんてしてしまったら、迷惑にならないだろうか。休憩時間があるのかも分からないし、夜中だって疲れてるところに態々電話入れるのも申し訳ない気もする。そこを踏まえて考えると、コールボタンを押すにはもう3日も経っていた。
ジミン
ジミン
そもそも背中で吐いた時点で嫌われてるって
テヒョン
テヒョン
じゃあ何で連絡先貰ってるの俺
ジミン
ジミン
腹いせ
テヒョン
テヒョン
辞めてよ何かリアル。それにそんな人じゃないよ、ジョングギは
ジミン
ジミン
何で断言できるんだよ。テヒョンイって人間のことどうこう分かる人だったっけ
テヒョン
テヒョン
それは違うけど……
でもジョングギは優しい奴だもん。と、そう言おうとしてテヒョンはぎゅっと口を噤んだ。執事と言ったら隷属というよりも献身的なイメージがテヒョンの中にはあって、その先入観から優しい奴だと勘違いしているのだろうか? と、一瞬そんなことが頭に過ったからだ。
──いや、でもジョングギはそんな奴じゃない。
職業とか関係なく、ジョングク自体が優しかった。テヒョンが勝手に献身的というレッテルを貼り付けているだけで、もしかしたら執事の生活に嫌々しているのかもしれないじゃないか。いや、それはまた違うのか?
──ああ、もう分かんない。
元々こういう事を考えるのは苦手だ。人の事情まで土足でヅカヅカ入り込むつもりはテヒョンにないし、気持ちをハッキリ言ってもらわないと気付かない事が多々ある。
ジミン
ジミン
そんなに気になるならもう電話かければ? あっちから連絡先渡してきたんだし、それでブチ切れられたら其奴はそういう奴。そん時は逆ギレして消しちゃえ
テヒョン
テヒョン
そんなに簡単に言われても……
ジミン
ジミン
ここでグダグダ言ってても変わらないし、時間経てば経つほどかけずらくなるだろ。はい、俺はもう切ります。かけてきても着信拒否ですので、そのジョングギって奴と電話出来たらメールで知らせてください。頑張れ親友
テヒョン
テヒョン
えっ、ちょっ!
プツっ、プープー、と、無機質な通話終了の音が鼓膜を嘆かせた。いつまでもモジモジしているものだからきっと辟易したのだろう。この吐瀉物ぶっ掛け状況下でテヒョンは改めて何と挨拶すればいいのだろうか。「こんにちは、SKテレコムのキム代理です!」と、ジミンにしてやったように巫山戯るか? いや、それはあまりにも失礼だよな。辞めよう、却下。「わたくしはこの前の合同コンパで一緒に飲ませて頂いたキムテヒョンと申しまして……」なんてこれは堅すぎる。堅すぎるし、何でこんなに改めないといけないんだ大却下。もうこうなったらやっぱり掛けないってのも有りなんじゃ……。いやいやいや、それは駄目だ。親友の言う通り時間が経てば経つほど掛けずらくなってしまう。

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