ジミンは最後まで楽しみに残しておいた苺を嚥下すると、オレンジジュースをジューッと啜る。テヒョンは今日は定休日でジミンは出勤前。怠そうに頬を机に伏せて今にも寝てしまいそうなジミン。と言っても短針は4時を指す時刻。バーテンダーなら昼夜逆転生活になっても可笑しくはないけれど、テヒョンにはブラック企業としか思えない仕事である。
ジミンが机に放り投げておいた携帯を手探りで取って液晶を点灯させた。ポチポチと何度か携帯を弄ると、「ん」と目の前に突き出してきた。斜陽で反射してよく見えない。携帯を手に取って見てみると、そこには有名な財閥の名前が記載してあった。
少し下にスクロールした。するとそこには「最優秀賞バトラー賞を受賞したイケメン執事」とでっかく見出しが。もう少し下にスクロールすればジョングクの写真が記載されているではないか。
「終わった」と、テヒョンの語尾が泡沫の如く消えていく。ケラケラと楽しそうに笑ういいご身分なジミン。「大手財閥のバトラーに吐瀉物ぶっかけた奴」って、自分で反芻してもパワーワード過ぎる。虚脱感と絶望感溢れる項垂れたテヒョンの姿。
それを見て明らかに揶揄するジミン。テヒョンは液晶で点灯させられたジョングクをもう一度確認すると、また幼児のように嗚咽したのであった。
チョンジョングク。若きながらも爽やかな顔貌と美しい立ち振る舞いで見事に観衆を圧巻。最優秀賞バトラー賞を受賞し、執事なる者名を知らない者は居ないと言う。彼の魅力はそれだけではない。異様なスタイルの良さを持参し、日々自身を磨き上げているのだ。例えばこの──
まさかの雑誌にまで取り上げてられていたジョングク。テヒョンは気を散らす為に、ジンの営んでいる店まで態々足を運んでいた。それなのに、だ。ここでもチョンジョングクの話である。
何も知らないジンはただ笑顔で見送ってくれたが、テヒョンが暫く来店することは無いだろう。
チョンジョングク。何なら執事じゃなくても結婚して欲しい勢いNo.1の男。大手財閥のバトラーを務めているが、難なくと全ての要望に応えるエリート!俳優陣顔負けの容貌で世間を騒ぎ立てている、今月の注目人物だ──
テヒョンは今にも泡を吹きそうな顔でホソクを凝視した。な、ん、で! ホソクまでチョンジョングクなのだ。雑誌まででなく電子ニュースまでに取り上げられている何て、ジミンの時に気付くべきだった。と、テヒョンは顔を歪ませながら後悔する。意識し始めた途端、無駄にジョングクの情報が周りを飛び交い始めている気がする。もうこれ以上無駄足を踏んでも、体力とメンタルを削られるだけである。テヒョンはげっそりした顔で「あの…ごめんなさい帰ります…」と、背中を小さく小さくして退店して行った。
こちらも気持ちのいい程明るい笑顔で送り出された。悪いが全く嬉しくない。
泣きっ面に蜂、の一歩手前に追いやられた気分だった。どこに行ってもチョンジョングク、エリートバトラー、イケメン執事。そんな類型的なものばかりだ。いや、チョンジョングクは違うか。結局、あれから帰宅するのも気が進まず、ジミンの働いてるバーに行くことにしたテヒョン。結局は長年の付き合い、大親友の元へと帰ってきてしまうのだ。けれど、気持ちとは裏腹に少しだけ苦手でもあった。その理由としては、
とびきりに治安が悪いからだ。治安が悪い何てものじゃない。もはや、ゲイの溜まり場だったり、ワケありな人間が好んで集まる場所。そんな卑猥な場で働いているジミンが、テヒョンは未だに理解出来ていない。でも、変な事を言っても角が立つだけだろうし、あえて言及はして来ていない所存である。自分の身ぐらいは、自分で守れるだろうから。まあ大前提に、こんな場所に来なければいい話なのだが。今は別だ。
けれど慣れない子が独りで来るべきじゃないのは、考えられなかった。こういう場所は、虎視眈々と獲物を狙う野暮な奴だって居るのだ。特に顔貌があまりにも恵まれているテヒョンなら、早い者勝ちである。それを知らないまま無防備に歩いていたら、路地裏に連れ込まれる事なんてとても簡単だった。
勿論全力で抵抗した。伸びてくる手を穢れ物のように何度も叩き払って、隙があれば走り出そうと足にも力を入れる。けれど、執拗に逃がすまいと伸びてくる手に、テヒョンの抵抗は段々に無力化として行った。荒い扱い方。骨が軋みそうな握力で腕を掴まれると、擦り付けるようにコンクリート壁に押さえつけられてしまう。あまりにも一瞬の出来事で、テヒョンも何が起きたのか全く把握しきれていない。手首が、今にも折れそうなほどに痛い。
──何?俺は今、…拉致されてるの?
耳元で「あんまり暴れんなよ」と、囁かれる声が、気持ち悪い色慾を含んで恐怖心をどんと煽る。
──何これ、何なの。どういうこと?
よく顔も分からない男の手先が、服の袖から乱雑に侵入してきた。素肌を荒れた指先で撫でられると、逆剥けた皮膚がテヒョンの腹を舐めまわすように撫でる。
ザラザラとして気持ち悪い。身体が拒否反応のように、酷く跳ね上がった。それでも惑乱しそうな心理を何とか落ち着かせて、咄嗟に身体を背ける。ズボンの中で綺麗に収まっていた服が、伸びたようにはみ出ている。それをテヒョンが初めて視野に入れた時、今、自分がどのような立場に置かされているのか。ようやく理解出来たのだ。
その瞬間、一気にテヒョンの中で恐怖心が馳せって、血の気が引いていった。
──犯される、と。
後ろから回された手に、震えた声が籠って留まる。それを機に、テヒョンは本格的に危機感を覚え始めた。自分が今からされそうな事。ここはゲイの溜まり場だということ。完全に助けがくるとは思えなかった。抵抗すればする程相手は興奮するだけで、徐々に加虐心が増えていく様子だ。片手でテヒョンの手首を念入りに押さえつけると、もう片手は遂にズボンのチャックへと伸ばされた。
テヒョンは死力を尽くして声を張り上げるも、全て男の厚い手で消沈されて行く。鼻息を荒くして、はぁはぁとズボンを脱がして行く男。この手は常習なのだろうか。ただただ突っ込む事だけが目的なようにも伺えるのだ。呆気なく脱がされると、嫌がるテヒョンを強引に、片脚を持ち上げた。
それでも虚しく、助けを求めるテヒョンの口内には男の汚い指が突っ込まれた。容赦なく口内の奥まで指を差し込まれて、「ぉ゙ぇ゙っ…」と唐突な嘔吐感が襲う。それがあまりにも辛くて、怖くて。溢れ出しそうだった涙が、ポロポロと恐怖を表すように頬を伝って行った。咽び泣くような、嗚咽するような、成人男性が出す声にしては珍しい。だから、男は余計に興奮して行ったのだ。
──嫌だ。怖い。苦しい。
テヒョンの唾液が絡まった指が抜かれると、間もなく秘孔へと宛てがわれる。相手の配慮なんて1mmもない、それは明らかにレイプの類だった。
異常だ。テヒョンは何とも言えない、その男への懐疑的な心情に駆られた。この男に抗っても、何も響かないと直感的に確信したのだ。人を脅し入れることが、此奴の快楽物質なんだと。気色悪く舌なめずりをした男は、蕾の周りをぐるっとなぞると、遠慮なく指を数本挿入してきた。普段排出器官なそこは、受け入れる事を全く知らない。圧倒的な異物感に、自然と金切り声が喉から這い上がってくる。
だが、そんな時だった。数度聞いた事のある、優しい声が男の指を制止させたのは。街灯でシルエットになっているけれど、今日嫌という程同じような体格を見た。
間違いない、ジョングクだった。
荒く乱された服が無慈悲な床に散乱しているのを、そのシルエットが確認すると、男は楽しそうにこう問いた。
この男は、まさに邪智暴虐という言葉が良く似合う奴だ。別に焦ることも無く、第三者をまさかの誘い出すなんて。本当に頭がイカれている。人を恐怖に陥れることに対して、罪悪感や悪循環が全くない。極悪人だ。俺は、何処か確固な確信はありつつも不安げにそのシルエットを見詰めた。念力のように、ただその人を一心に。思いが伝わるようにと…、こう願って。
──助けて。
それは、願って直ぐに叶った。どう聞いても、その声はジョングクなのだ。けれど、声色は若干怒りに満ち溢れているように見受けられる。この状況下、これ以上に安堵するのもは無いと安心した同時、こんな痴態をジョングクに曝け出している事に、酷く胸が傷んだ。今は、そんなこと考えている場合ではないのに、頭の中じゃ酷く強調されている。
一歩、一歩と踏み出されて、明確になったシルエットの正体。それはやっぱり、今日テヒョンが嫌という程、見て、聞いて、覚えた、
優秀なエリート執事、ジョングガだった。
だが、男も食い下がらない。癪に触ったのか、男はテヒョンを対面させると、両脚を抱えて唇を貪ってくる。「見せつけ」「挑発」に値する行為だった。やはり、この男は常習犯なのかもしれない。あまりに手馴れた扱いに、テヒョンは抵抗する暇さえ与えられなかったのだ。
男はジョングクに対して、愉しそうに笑う。唇が離されれば直ぐにゴシゴシと口許を拭くテヒョンを、ジョングクは横目で確認すると、拳をギュッと力強く握った。爪先が真っ赤に染め上がって、皮膚に爪がくい込んでいる。余程ショックだったに違いない。グズグズと泣き始めたテヒョンは、腫れそうな程に何度も何度も唇を袖で拭き取っている。我慢の限界だった。ジョングクは一度目を瞑って、すぅーッと深呼吸をすると、今までからは想像のつかない、ドスの効いた声でこう言ったのだ。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。