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第100話

Vol.8
その夜。 
慎吾はきっと今夜も飲み耽っているに違いないだろう。
私は検事として抱いてはいけない恋をしている。まるでレモンのように。
旧いNOKKOのアルバム『Hallelujah(92/03/25)』からレモンが独りの部屋に流れていた。

レモン/NOKKO - YouTube
http://m.youtube.com/watch?v=UkcwVX2um_E&ctp=CAgQpDAYBiITCP6T7o3Por4CFRJvWAodc4YAtFIJ44OO44OD44Kz&client=mv-google&hl=ja&gl=JP&guid=

不思議な男、松山慎吾。
南の孤島で彰子ちゃんを交えて過ごしたバカンス。あの子は猫なのかしら…。無邪気にじゃれつくように私の身体に戯れてきた。
「和代ちゃんキャハ、いいことし・て・あ・げ・る」
そう言うと妖しげに瞳を輝かせ私の唇を求めてきた。只その瞳の奥に松山慎吾に抱く情念が焔のように燃えていることを見過ごすことがなかった。
「ちょっと…彰子ちゃん。あっ…」
初めて私は拳銃を手にして実射した時に昂るように身体の芯が火照っていることを感じた。
絡みつく舌に糸が引くような唾液。きっと彼女は私の火照った私の身体に気づいていたに違いない。
「あうん」
彼女の指先が私の乳房を撫で、自然に蜜壺に向かい可憐なその指先が這っていく。
「はふ~、ダメ。あん…あの人が……いや」
「いいの和代ちゃん。慎ちゃんはいつものように例のDVDを観ているから。キャハ、やっぱり濡れている」
今私はあの日を思い出すように自分の指先を蜜壺に這わせていた。
「はあはあ~、あううん」
慎吾、また私を悶えさせて。お願い、はあはあ~、私はスキャンティーを脱ぎ棄てた。
クチュクチュ、クチュリ。あ~ん嫌々、このまま私をイカせて。溢れる愛液。それはまるで悪魔に魂を吸い盗られるような錯覚と共に私は潮を噴くことまで、もう1人の私が覚えてしまった。
Gspot手前の腟壁にバイブを当てがった時に私の脳に電流が駆け巡り、痙攣混じりに
ああ~嫌々、イ…イク。
ダメダメ、嫌だ~あああ…。
まるで海面に浮かんだ鯨が潮を噴くように、腰を浮かせた私の蜜壺は激しく潮を放っていた。
シャー―――――。
虚ろげに浮かんだ景色は
南風に吹かれながら波際での戯れ。
はあはあはあ…。あの島が東京都になるなんて…。

小笠原諸島
父島列島と母島列島(ランドサット衛星写真)

父島列島

母島列島

小笠原諸島(おがさわらしょとう)は、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々である。日本の国土で、東京都小笠原村の区域と完全に一致する。総面積は104km 。南鳥島、沖ノ鳥島を除いて伊豆・小笠原・マリアナ島弧(伊豆・小笠原弧)の一部をなす。
父島、母島、硫黄島、南鳥島以外の島は無人島である。ただし、一般住民が居住しているのは父島と母島のみであり、硫黄島には海上自衛隊の硫黄島航空基地隊等と、航空自衛隊の硫黄島基地隊が所在し、父島には海上自衛隊横須賀地方隊の父島基地分遣隊が、南鳥島には海上自衛隊硫黄島航空基地隊の南鳥島航空派遣隊が常駐して飛行場施設などを管理しているほか、気象庁・関東地方整備局なども施設を設け、その職員等のみが業務目的で常駐している。(現在[いつ?]住民登録ができるのは父島と母島のみ。しかし、硫黄島と南鳥島に常駐している者の住民税にあっては「居所」として東京都小笠原村に納付している。
日本の気候区分では「南日本気候」、ケッペンの気候区分では、聟島(むこじま)列島・父島列島・母島列島・西之島が温帯に、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島が熱帯に属するが、温帯に属する地域は一般的に亜熱帯とされる。それに併せて海洋性気候にも属する。年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は少ない。春 - 初冬にかけて台風の接近・影響を受けることが多い。梅雨前線はこの地の北に現れ、太平洋高気圧の支配下となるため、北海道と同様に梅雨が無いとされる。

気象庁による有人観測施設は、父島気象観測所・南鳥島気象観測所(2か所とも高層気象観測も実施)、アメダスが母島(雨量のみ観測)に設置されている。なお、小笠原諸島には気象レーダーが設置されておらず、気象レーダーによる観測が行われていない。また、2008年3月26日まで、日本全国で唯一気象に関する注意報・警報が発表されていなかった。ただし、小笠原諸島周辺海域は現在でも地方海上予報区の区域外であり、海上警報も発表されない。

●自然

詳細は「小笠原諸島の自然」を参照

1972年(昭和47年)10月16日に一部の島や地域を除き小笠原国立公園として、国立公園に指定された。小笠原諸島は形成以来ずっと大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重な動植物が多い。しかし、人間が持ち込んだ生物や島の開発などが原因でオガサワラオオコウモリやオガサワラノスリ、アカガシラカラスバト、ハハジマメグロなどの動物やムニンツツジ、ムニンノボタンといった植物など、いくつかの固有種は絶滅の危機に瀕している。1980年(昭和55年)3月31日に国指定小笠原諸島鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定された(面積5,899ha、うち特別保護地区1,331ha)。周辺の海域では鯨やイルカが生息しており、それらを見るために島を訪れる人も多い。また陸上では、人間が持ち込み野生化したヤギも生息している。

2011年には世界遺産に登録された。その範囲は小笠原諸島の自然#世界遺産を参照のこと。

「小笠原村#名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事」も参照
歴史

年表

古第三紀- 凝灰質砂岩・泥岩・石灰岩などの海底噴出物より形成される。

北硫黄島には先史時代のものとみられる石野遺跡がある。父島でも石器が発見されているが詳細な時代は不明。

1543年-スペイン人によって母島が発見されたと見られる。

1593年(天正20年) -信濃小笠原氏で信濃国深志城城主の小笠原貞頼が発見したという説があるが、貞頼という人物の実在自体が現在[いつ?]では否定されている。

江戸初期、松浦党の島谷市左衛門尉が探検。 

1670年(寛文10年)2月20日-紀州を出港した蜜柑船(長右衛門ら7人)が母島に漂着し八丈島経由で伊豆下田に生還、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告された。現在[いつ?]ではこの報告例が最初の発見報告と考えられている。

1675年(延宝3年) - 江戸幕府が漂流民の報告を元に調査船富国寿丸を派遣し島々の調査を行い「此島大日本之内也」という碑を設置する。当時は無人島(ブニンジマ)と呼ばれた。調査結果は将軍はじめ幕府上層部に披露された。

1727年(享保12年) - 貞頼の子孫と称する浪人者の小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求めて幕府に訴え出る。小笠原島と呼ばれるのはこれ以降のことである。最終的に貞任の訴えは却下され探検の事実どころか先祖である貞頼の実在も否定された。このため、貞任は1735年に詐欺の罪に問われ、財産没収の上、重追放の処分を受けた。

1785年-林子平の『三国通覧図説』に「小笠原島」という名称が現れる。ただし林子平は小笠原諸島を訪れていない。

1817年-フランス人アベル・レミューザが、『三国通覧図説』から無人島に関する地図を添えてBonin諸島をフランスのアカデミー誌に紹介。

19世紀になると欧米の捕鯨船が寄港するようになる。

1827年-イギリスが領有を宣言。

1830年(天保元年) -ラセニエル・セボレーら白人5人とハワイ人25人がハワイ・オアフ島から父島(奥村)に入植し、初めての移住民となる。

1847年-ジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航。後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくることになる。

1853年(嘉永6年) - アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが日本へ行く途中、沖縄を経て父島二見港に寄港。島民のために牛、羊、山羊や野菜の種子を与え、石炭補給所用の敷地を購入。

1857年(安政4年) - モットレー一家が母島(沖村)に居住。

1857年(安政4年) - ペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命した。

1862年(文久元年) - 幕府は外国奉行水野忠徳らに命じアメリカから帰還したばかりの咸臨丸(艦長は小野友五郎)で小笠原に佐々倉桐太郎ら官吏を派遣、測量を行う。また、居住者に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る。同年6月(文久2年5月)駐日本の各国代表に小笠原諸島の領有権を通告。一行が小笠原諸島を巡視した際作成した小笠原島視察復命書に「島々の配置は、南北に連なり、あたかも家族のように並んでいるので、中央を父島群島、南を母島群島とし、北を聟島群島とする。」と記載され、これが父島、母島、聟島の由来にもなった(文久2年)。 - 八丈島から38名の入植が開始される。

1866年(慶応2年) - フレデリック・ロース、母島(沖村)に居住。

1876年(明治9年)3月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告(日本の領有が確定)。小笠原諸島が内務省の管轄となる。日本人37名が父島に定住。内務省出張所設置。

1877年(明治10年) - 帆船による年3回の定期航路開設。

1878年(明治11年) - 父島北袋沢に内務省勤農局出張所設置。

1879年(明治12年) - 日本人6名が母島に定住。

1880年(明治13年)10月8日-東京府へ移管する。

1880年(明治13年)10月28日- 父島に、東京府小笠原出張所を設置。

1882年(明治15年) - 東京府出張所の行う行政に協議権をもつ会議所を設置し、議員15人を公選した。欧米系住民が全て日本に帰化した。

1886年(明治19年)11月4日- 小笠原出張所を小笠原島庁へ改称。

1891年(明治24年)5月 - 東京府が、小笠原島各村に世話掛を公選させる。

1891年(明治24年) - 火山列島を小笠原島庁の所管にいれ、硫黄島を正式に日本領とした。
以下省略――――。