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第94話

Vol.2
建国準備委員会はその後も活動を続けたが、軍政庁はこれを非合法とみなした。さらに反共を掲げる右派が湖南財閥と結び、9月16日宋鎮禹をトップとする韓国民主党(韓民党)を立ち上げ、上海から重慶に亡命していた大韓民国臨時政府支持を表明、建国準備委員会を否定した。 建国準備委員会が実際に果たした役割については諸説ある。日本が朝鮮統治を放棄した後、行政機構として一定の機能を果たしたとする見方もあれば、突然当事者とされたことに呼応してできた組織であり、実際には朝鮮人民の意思を反映していなかった点を強調する見方もある。 朝鮮半島内で各派の足並みが揃っていない状況下、大韓民国臨時政府に弾劾されアメリカで活動していた李承晩や、ソ連の支援の元で国内で活動していた金日成を初めとする満州抗日パルチザン出身者など、様々な考え方を持った亡命者たちも次々に帰国し、独自の政治活動を展開していた。しかしこの課程で、朝鮮半島に発生した各政府はいずれも連合国全体からの承認を得られなかった。 
●信託統治案
テヘラン会談
連合国による信託統治に抗議する南朝鮮のデモ

アメリカは戦前の検討の中で、朝鮮には信託統治を適用するべきと考えられていた。1942年には朝鮮半島の国民は貧しく、文盲が多いため一世代は強大国の保護と支援が与えられなければならないという報告書が出されており、これはアメリカの朝鮮半島政策の根幹となった。アメリカ大統領ルーズベルトは、1943年2月のアンソニー・イーデン英外相との対談でこの構想をはじめて明かした。1943年11月22日のカイロ宣言では、朝鮮は自由かつ独立するべきとされていたが、「しかるべき手続きを踏んで」という、信託統治機関に含みをのこす形で発表された。その後のテヘラン会談「新設する国際連合によって40年間は信託統治すべき」とし、ソ連のスターリンもこれに同意した。
1945年12月、ソ連の首都のモスクワでアメリカ、イギリス、ソ連は外相会議を開いたが(モスクワ三国外相会議)、朝鮮半島問題も議題となった。この席でアメリカは、朝鮮半島における民主主義的な政府の建設を目標として、暫定政府を成立させた後に、米英ソと中華民国の4か国による最長5年間の信託統治を提案した。この提案は合意され(モスクワ協定)、12月27日に公表された。その後アメリカとソ連でその方法を継続して協議することになった。 ところが韓国民主党系新聞の東亜日報が協定について「アメリカはカイロ宣言を根拠に朝鮮は国民投票によって政府の形態を決めることを主張し、ソ連は南北両地域を一つにした一国信託統治を主張して38度線での分割が継続される限り国民投票は不可能だとしている」と事実と異なる報道をしたため、国内での反信託運動が大きく広まった。12月31日の集会とデモは空前の規模に達した。 信託統治に対してはほとんどの派が完全独立を主張し反対を表明していたが、年が明けると左派は一転して信託統治賛成に回った。右派は信託統治では反対だったが、内部では親日派や資産家が多い韓国民主党と臨時政府派が対立した。金九を主席とする臨時政府派は、即時独立を求めて全国ストライキを訴えるなど過激化していった。軍政庁にとって行政運営上、朝鮮人登用は必要であり、過激な運動を抑える治安問題の解決のため、即時独立に固執せずアメリカの方針を理解する韓国民主党を重用した。さらにアメリカ政府の意向に反して反信託運動を黙認してしまった。ここに李承晩が合流した。 一方ソ連占領区域では、現在の北朝鮮政府が「各地で自発的に生まれた」と自称する人民委員会が1945年10月までに朝鮮総督府の統治組織を接収した。ソ連は1945年11月に朝鮮民主党を起こした・晩植に接触し、信託統治の容認を求めたが容れられなかったため、代わりに朝鮮共産党の北部分局のトップに過ぎなかった金日成の支援に回った。ソ連の後ろ盾を得た金日成によってその後、国内の他の共産主義者たちは時間をかけて粛清されていくことになる。
アメリカとソ連は、1946年1月16日からの予備会談を経て、独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置したが、李承晩などが反信託運動とともに反共・反ソを激しく主張、ソ連はアメリカに李承晩らの排斥を訴えたが、アメリカは反信託よりも反共を重視して聞き入れずお互いの姿勢を非難して対立、5月6日委員会は決裂、信託統治案は頓挫した。

●反米化する国内、米ソ対立
金日成(右)
李承晩(左)
不調に終わった米ソ共同委員会の再開を目指すアメリカ政府は、軍政庁の親米派(李承晩、金九など)に偏重した政策を批判、極左、極右を排斥して呂運享などによる左右合作の親米政権の樹立を画策し始めた。 アメリカは常に朝鮮問題は東西対立の一部としてみなし、対立となる要素を国内からアメリカが主導して排除することに腐心した。一方ソ連は、朝鮮人自身の南北問題とみなし、ソ連と主義を一にする朝鮮人主導者を立てて統一を支援した。 ソ連占領下の北半部では、1946年2月8日金日成を中心とした共産勢力が、ソ連の後援を受けた暫定統治機関としての北朝鮮臨時人民委員会を設立(翌年2月20日に北朝鮮人民委員会となる)、8月には重要産業国有法を施行して共産主義国家設立への道を歩み出した。これに対抗して李承晩は、南半部のみで早期の国家設立とソ連の排斥を主張し始めた(6月3日の「井邑発言」)。金九などはこれに反発して離反した。 そのころ国内はインフレが進行し失業者が急増。5月には水害と疫病(コレラ)が発生し1万人規模で死者が出た。8月に入ると食料も不足

、各地で暴動が発生する。軍政庁は韓国民主党と結んで左派ともども武力で暴動鎮圧を図ったため市民が一斉に反発した。9月にはゼネスト発生。10月には全国で230万人が参加する騒乱となった(大邱10月事件)。軍政庁は戒厳令を敷き鎮圧したが、このことがアメリカ軍政への支持を決定的に失わせた。軍政庁は一連の騒動の責任を左派、特に朝鮮共産党から11月に結成した南朝鮮労働党に求め、朴憲永などは弾圧を避けて北へ逃れた。 1947年3月12日、トルーマン大統領は、イギリスがギリシャ内戦への関与から撤退した後にアメリカが引き継ぎ、これを機に世界的な反共活動を支援すると宣言(トルーマン・ドクトリン)。
それ以降、南朝鮮では共産勢力の徹底した排除が行われた。そこへ反共活動のため渡米していた李承晩が戻り、反共とともに南朝鮮政権樹立運動を活発化させる。1947年6月には軍政と対立したまま李承晩を中心とした南朝鮮過渡政府が設立。7月には左右合作を目指していた呂運亨が暗殺され左右が決裂。それを機に北半部と南半部は別々の道を歩み始めることとなった。 金日成は1948年3月に、南半部(北緯38度線以南)への送電を停止(1910年から1945年の間、朝鮮半島を統治していた日本は山の多い半島北半部を中心に水豊ダムなどの水力発電所を建設し、そのため南半部は電力を北半部に依存していた)。一方、李承晩は韓国内で朝鮮労働党を参加させない選挙を実施し、正式国家を樹立させることを決断した。1948年、済州島では南朝鮮労働党を中心として南北統一された自主独立国家樹立を訴えるデモに警察が発砲し、その後ゲリラ化して対抗。その鎮圧の過程で政府の方針に反抗した軍部隊の叛乱が発生(麗水・順天事件)。さらに潜伏したゲリラを島民ごと粛清、虐殺する事件も発生した(済州島四・三事件)。
分断の固定化と対立

●南北の分離独立

ソウルで行われた韓国の国家成立記念式典

1948年8月13日、ソウルで李承晩が大韓民国の成立を宣言。金日成はこれに対抗し9月9日にソ連の後援を得て朝鮮民主主義人民共和国を成立させた。この結果、北緯38度線は占領国が引いた占領境界線ではなく、事実上当事国間の「国境」となった。 その後、金日成は李承晩を倒し統一政府を樹立するために、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンに南半部への武力侵攻の許可を求めたが、アメリカとの直接戦争を望まないスターリンは許可せず、12月にソ連軍は朝鮮半島から軍事顧問団を残し撤退した。1949年6月には、アメリカ軍も軍政を解き、司令部は軍事顧問団を残し撤収した。それを受けて北朝鮮は「祖国統一民主主義戦線」を結成した。その後大韓民国では8月12日にジュネーブ条約に調印し、11月に国家保安法が成立するなど、国家としての基盤作りが進んでいた。1949年12月24日に韓国軍は聞慶虐殺事件を引き起こし共産匪賊の仕業とした。
同じ頃、地続きの中国大陸ではソ連の支援を受けていた毛沢東率いる中国共産党が国共内戦に勝利し、1949年10月1日、中華人民共和国が成立。
表記でアメリカの略)と呼ばれている。また、戦線が朝鮮半島の北端から南端まで広く移動したことから「アコーディオン戦争」とも呼ばれる。

本項では、停戦後の朝鮮半島の南北分断の境界線以南(大韓民国統治区域)を「南半部」、同以北(朝鮮民主主義人民共和国統治区域)を「北半部」と地域的に表記する。また、韓国および北朝鮮という政府(国家)そのものについて言及する場合は「韓国」「北朝鮮」を用いる。これは、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが、両国家とも建国以来現在に至るまで、「国境線を敷いて隣接し合った国家」の関係ではなく、あくまで「ともに同じ一つの領土を持ち、その中に存在する2つの政権(国家)」の関係にあるためである。

●戦争に至るまでの経緯
終戦時の朝鮮の政治状況

1945年8月、ソ連軍の朝鮮半島侵攻という事態に直面し、アメリカはソ連に38度線での分割占領案を提示した。この境界線はアメリカ陸軍のディーン・ラスクらによって30分間で策定されたものであり、アメリカ軍の占領域に首都ソウルが含まれる事も考慮されていた。8月14日に通告されたポツダム宣言を日本は受諾。9月2日、日本は連合国に正式に降伏し、第二次世界大戦は終結。同宣言により日本は朝鮮半島の統治権を放棄することとなった。ソ連軍はアメリカによる朝鮮半島分割占領案を8月16日に受諾し、日本軍にはこの合意に従って降伏するよう命令が行われた。

日本統治下の朝鮮半島内では独立運動を志向する諸勢力も存在はしたが、日本の憲兵統治によって多くの人々は日本の統治を受け入れざるを得なかった。独立志向組織はむしろ国外にあり、亡命先での活動が主だった。大きく分けると中華民国上海の大韓民国臨時政府、中国共産党指導下にあった満州の東北抗日聯軍(抗日パルチザン)、アメリカ国内における活動家などが挙げられるが、それらはいずれも大きな支持を得るに至らず、その影響力は限定的なものであった。

顔アイコンJKK
韓国では全羅道出身か、慶尚道出身かで国内対立があります。就職や出世に出身地が影響します。日本では考えられないほど地域間対立がある国です。だから大半の韓国人は北朝鮮と統一しても混乱必至、あんなめちゃくちゃな人たちとうまくいくわけないと本音では考えています。

JKKさん
コメント有り難うございます。
金正男氏が本を出版したようですね。
この国もまだまだ正常ではないでしょう。
正男氏は北朝鮮の民主化を計ろうとしていました。北朝鮮は軍閥が権勢を持っています。確かに僕の住む地域も韓国人と北朝鮮人の感情対立はあるようですが、北朝鮮の人達は韓国に行きたがっていますよね。過去西ドイツと東ドイツとの統一の際、インフラ整備が行われました。これと同様に韓国と北朝鮮の統一が実ればアジア諸国の中でも産業国として向上するでしょう。例えばトヨタが生産工場を営えば、色んな自動車会社が進出し雇用先が賄える筈です。問題は軍閥ですね。
金正恩書記は自分が厳正されることに怯えていますよね。だからクローン研究を今密かに進めています。ヒトラーを意識し過ぎています。

何故台湾が独立国として成り立っているのか?
北朝鮮の人達は既に世界情勢を知っているのです。韓国も反日感情が強すぎますが米軍基地が退去すれば、中国が攻め入るでしょう。
北朝鮮が韓国に戦争を仕掛けることを待ち受けているのが米国と中国。解体は除々に進んでいると見るべきでしょうね。
また韓国もベトナム戦争を振り返ることではないでしょうか。
2014/3/29(土) 午後 4:59

顔アイコン清潔を守れ
麗水・順天事件は、1948年10月19日、麗水市で起こった軍隊反乱と金浦市で起きた民間人殺害事件。

1948年8月15日の大韓民国建国直後、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の執政党たる北朝鮮労働党と繋がりを持つ南朝鮮労働党(南労党)は各地の大韓民国国軍部隊に工作員を浸透させ、反乱や騒擾の機会を窺っていた。10月19日、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。

反乱は麗水郡から順天市にも及んだが、李承晩大統領は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された。
残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。
多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人となる背景となった。
2014/7/20(日) 午後 6:14

清潔を守れさん
大変勉強になりました。
ありがとうございます。 それにしても北朝鮮国が拉致問題で我がに協力的ですが
これもポーズでしょうか?
韓国は韓国で北朝鮮国に呼応するように反日を剥き出しにしていますが、
韓国は北朝鮮国の可なり恐れているようですね。
しかし残念ながら、在日の方の方が道徳があるように見受けられる時があります。
いつしか道徳が薄れた国民は何を見つめているのでしょうか…
また勉強させて戴きます。
ありがとうございます。
2014/7/21(月) 午前 0:38

このような情勢ゆえに日本降伏時、朝鮮全土にわたって独立建国に向かう民意の糾合は醸成されておらず、日本統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられた解放」であった。朝鮮人が自らの力で独立を勝ち取ることができず、独立運動の諸派が解放後、それも数年間にわたり激しく対立し続けたことは南北分断にも少なからず影響し、その後の朝鮮の…表記でアメリカの略)と呼ばれている。また、戦線が朝鮮半島の北端から南端まで広く移動したことから「アコーディオン戦争」とも呼ばれる。

本項では、停戦後の朝鮮半島の南北分断の境界線以南(大韓民国統治区域)を「南半部」、同以北(朝鮮民主主義人民共和国統治区域)を「北半部」と地域的に表記する。また、韓国および北朝鮮という政府(国家)そのものについて言及する場合は「韓国」「北朝鮮」を用いる。これは、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが、両国家とも建国以来現在に至るまで、「国境線を敷いて隣接し合った国家」の関係ではなく、あくまで「ともに同じ一つの領土を持ち、その中に存在する2つの政権(国家)」の関係にあるためである。(以下省略)

眩しい青空に自衛隊のヘリが編隊を組むように轟音を響かせ飛行しているその轟音に私は一瞬身を構えていた。
この私にも事実日本の血が混ざり流れている。
祖国に於いて私達は朝鮮戦争に於ける歴史見解を徹底的に教育されてきた。
「吉岡さん、貴方方にも当然祖国に於ける愛国精神があることは頷ける。しかしだクク、憂国なる精神があることも忘れないでくれ」
松山慎吾…。奴はこの日本の国で何を目論んでいるのか――――、今一つ捕らえることが出来ない。横浜……。何やら胸騒ぎがしてならない。果たして私は…
「どうしたのかね吉岡?」
「いいえ何でもありません」
「なら良いのだが、奴は民主党の文部科学担当庁のピーチク婆さんと逢っていた」
「まさか、例の京都の件でしょうか…」
「そんなことより、天心教に何があるのか知らんがな、頭が痛いことに何ともあろうか、奴は」
その時である。私を呼ぶ声に
「主任、また後程に」
そう断りをいれ電話を切った。
振り返る。また奴か。恐らく私への探りだろう…。