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第22話

Trap
同年6月2□日(火)AM11:36。 
10分程前に2人目の被疑者に於ける検事調べを終え、私は一息いれるのに熱目のジャスミンティーを飲んでいるときにFAX受信が開始した。
「何よこれ?」
書記官の片瀬は被疑者が氏名押印した検事調書を手に、階上の主席検事室に赴いていた。
初夏の陽光が射し込む中で、私は受信したFAX用紙を見やり唖然とした。

松崎和代
昭和5△年9月×□日生まれ。29歳
本籍 京都府舞鶴市〇△町3丁目□〇番地1△号
住所 N県N市□△町×丁目△△番地2 メゾン〇△211号室
学歴 昭和5△年4月 舞鶴市立〇△小学校入学
昭和5□年3月同小学校卒業。同年4月同市立〇△中学校入学。
昭和6△年3月同中学校卒業。同年4月京都府立〇〇高等学校入学。
平成〇年3月同高等学校卒業。同年4月東京W大学(法学部)入学。
平成△年3月同大学卒業。
平成☆年3度目にて司法試験合格
現在副検事として職務。
趣味 旅行 音楽 映画
煙草 吸わない
酒類 ワイン その他 紅茶派(最近ジャスミンティーに凝る)
独身 現在特定の交際男性なし。
「誰がこんなことを…」
用紙を握り締めた私の手がワナワナと憤りに震えている。
私自身を振り返る中で、このような権職であれど、決して人から顰蹙(ひんしゅく)を被るようなことはなかった。生活に於いても、ごく普通に過ごしてきている。
男性経験がない訳でもない。大学時代に私は同サークルの1つ年上の男性との交際でバージンを捧げた。その彼も今は結婚している。
何気なくデスクに置いてある卓上型デジタル式時計に目を向けるとAm11:48を示していた。午後から取り調べ予定はなし。だからと言って帰れる訳でもない。公判整理や検察審議会などすることは山積みされていると言って過言ではない。定時刻に帰れることもないのである。
「松崎検事。午後からの審議に間に合わすそうですよ」
ドアのノックとともに書記官の片瀬が戻ってきた。つまり検事調書と警察調書を照らし合わし審議を計り、起訴するか否やを審議するのである。起訴に決まれば公判で被告事件の有罪性を裁判官に委ねる訳。けれど不起訴、不処分ないし罰金の言い渡しが決定されれば、被疑者は最長22日で社会に復帰を果たせるのである。
「松崎検事。何かあったのですか」
「えっ、どうして」
「いや…何となくそう感じたものですから」
片瀬の言葉を遮るように私は、先程受信されたファックス用紙を丸め、足許の屑籠に捨て込んだ。
「別に何もないわよ」
「そうですか。じゃ僕は少し早めですが昼食に上がらせてもらっていいですか」
今は一人の時間を有したいという思いがあってが私は「どうぞ」と答えた。
ついこの間、私は30歳の誕生日を迎えた。そんな私に「いい加減に結婚してはどうか」と母からの催促の電話があったばかりだ。そして先日送られてきたのが、お見合い写真。
「いい人が見つかれば結婚しますから、お母さんは心配しないで」
「けど和代、仕事も判るけど、少しは自分の歳も考えてごらんなさいよ。それに私も孫の顔が見たいものだよ」
久し振りの母との会話に花が咲いたばかりなのに、何なの、このFAXは?発信先がコンビニ?やってくれるじゃない。
「結婚か…」
確かにそう思わないでもないが、このFAXが私の中の平穏を崩すことに繋がりゆくことになるなんて、深く考えていなかった。
「あれから2年か…」
何気なく見たカレンダーに私は憂鬱気味に溜め息を吐いていた。
2年前の1本の電話。教えられた携帯電話番号が今も繋がるのだれうか……、ふとした思いを電話音が打ち消した。
「はい。検事の松崎です」
「松崎検事ですか。私、県警本部の平野ですが」
「………」
私は軽く目蓋を閉じ、声主の記憶をまさぐってみた。
「捜査2課係長の平野ですが」
「ああ、平野刑事。ご無沙汰です」
再度語り出した声主に私は漸く思い出した。簡単に挨拶を交わした後、急用勝手ではあるが、出来れば逢って話したいことがあるとのことであった。そう言えば声色に何やら慌ただしさを感じながら私は、彼の申し出の『蕎麦処 田庵』で昼食を兼ねて逢うことに承諾し、受話器を戻した。
「何だろうか…」
私は置時計に目をやりながら、微かな疑問符を自分にぶつけながら腰を浮かせた。
『蕎麦処 田庵』は国立美術館近くに店を構えているのだが、一見すると到底蕎麦処と窺えない程の旧家そのものであるが、庭の手入れも余念なく整われており、独自の蕎麦を打つことを売りにしている。
一盛り1200円の湯かけ蕎麦は1日50盛りと、夜の蕎麦懐石8600円の2食を限定としている。
湯かけ蕎麦は別椀の梅肉などで練り合わせた出汁につけて食する。日々繁盛しており、特に夜の蕎麦懐石に至っては予約制で、この店でしか飲めない地酒も1つの売りにしている。
お茶処じみた店内は、僅か10席程の座敷と3畳間の小座敷2部屋から覗く庭園は、雑草とした時間を忘れさせてくれる。
検察庁から徒歩で田庵に辿り着き入ると、
「松崎様でしょうか」
と尋ねられ、既に先客が小座敷で待っているとのことで案内された。
「松崎検事、多忙の中ご無理を言って恐縮です」
平野刑事は電話での対応を詫びるように姿勢正しく身体を折り曲げた。
「よくこの部屋が取れましたね」
軒先には数人の客が待ち合わせている。待ち合わせている客は、一見ないし予約待ちだという。
「いやぁ、お恥ずかしい。手帳様々というやつでしてね」
と背広の内ポケットから警察手帳を取り出し、愛想笑いを浮かべながら、私に座着を勧めた。
「失礼します」
着座した私を認めるや、平野刑事は言葉を続けた。
「ま、それも今日までですがね。松崎検事さん、湯かけ蕎麦でよろしいですかね」
「ええ。ところで平野刑事、何か大切なお話でも」
蕎麦湯を勧める平野刑事の目を覗き込むように私は彼に問い返した。
「先ず食事を済ませましょう」
座してから15分ぐらいであったろうか、鮮やかな緑色の湯かけ蕎麦とジャコご飯が運ばれてきた。

「実は…」
食事を終え、時間を見計らってから平野刑事が言葉を切り出した。
「松崎検事さん、何が悲しくてか、定年間近に左遷ですわ。それもヒラとしてね」
そう言うや、湯呑みのお茶を一気に飲み干した。
「何て言えば…。只そのことで私に何か関係があるのでしょうか」
何が私に関係あるのかしら…。同じように心の中で自分に問い返した。
「まぁ、訊いて下さいよ」
平野刑事は言葉を放つと共に顔前に手を翳し、私の言葉を制した。
「実は、コレから呼び出されましてね」
彼は右親指を立てながら言葉を放った。つまり県警本部トップである本部長に呼び出されたことを暗に示しており、職務上の叱責云々よりも、急きょにして佐渡島の交番勤務を命じられたという。
そして平野刑事は、その経緯を語り始めたの。私は何故かFAXの件と係わりがあるような気が、僅かな時間の流れに感じ止めていた。