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第20話

Vol.2
もしかするとワシは今全てを失おうとしているのやろか… 
「イヤヤ松山さん。堪忍してや。こ、これからはワシ、アンタの言う通りに動くさかいに。な、松山さん、この通りや」
ワシはそう言いながら土下座よろしく頭を地面に擦り付けた。
「なぁ河村よ。ククク頼むから俺の手を汚さないでくれ。お前の性根が本物だったらククク、考えてみるよ。なぁ河村、天皇陛下万歳。そこにお前の道が残されているのじゃないか」
何を言っても、今のワシの言葉は松山に対して微塵の如く打ち砕かれていく。どうすればいいのや―――、既にワシの頭はパニクっている。それでもワシは生への執着を絶ちきることなくもがく。そんなワシの心を見透かしたように松山は言葉を続けた。

三島由紀夫、没後40年で関連本ラッシュ “仮面”の素顔気さくな一面も (2/2ページ)(ウェブ魚拓)

生涯
家族 親族も参照のこと。
祖父・平岡定太郎(樺太庁長官時代)

1925年(大正14年)1月14日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に父・平岡梓と母・倭文重(しずえ)の間に長男として生まれた。「公威」の名は祖父・定太郎による命名で、定太郎の同郷の土木工学者・古市公威から取られた。兄弟は、妹・美津子(1928年 - 1945年)、弟・千之(1930年 - 1996年)。
父・梓は、一高から東京帝国大学法学部を経て、高等文官試験に1番で合格したが、面接官に嫌われて大蔵省入りを拒絶され、農商務省(公威の誕生後まもなく同省の廃止にともない農林省に異動)に勤務していた。後に内閣総理大臣となる岸信介、日本民法学の泰斗と称された我妻栄とは一高以来の同窓であった。1924年(大正13年)、橋倭文重と結婚する。
母・倭文重は、加賀藩藩主・前田家に仕えていた儒学者・橋家の出身。東京開成中学校の5代目校長で、漢学者・橋健三の次女。
祖父・定太郎は、兵庫県印南郡志方村(現・兵庫県加古川市志方地域)の農家の生まれ。帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)を卒業し、内務省に入省、内務官僚となる。1893年(明治26年)、武家の娘である永井なつと結婚。福島県知事、樺太庁長官等を務めたが、疑獄事件で失脚した(後に無罪の判決)。
祖母・夏子(戸籍名:なつ)は、父・永井岩之丞(大審院判事)と、母・高(常陸宍戸藩藩主・松平頼位が側室との間にもうけた娘)の間に長女として生まれ、12歳から17歳で結婚するまで有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕えていた。
作家・永井荷風の永井家と祖母・夏子の実家の永井家は同族(同じ一族)になる。夏子の9代前の祖先永井尚政の異母兄永井正直が荷風の12代前の祖先にあたる。父・梓の風貌は荷風と酷似していて、公威は父のことを陰で「荷風先生」と呼んでいた。ちなみに、祖母・夏子は幼い公威を「小虎」と呼んでいた。
安藤武『三島由紀夫 全文献目録』(夏目書房、2000年)p.442
三島由紀夫、没後40年で関連本ラッシュ “仮面”の素顔気さくな一面も (2/2ページ)(ウェブ魚拓)

生涯
家族 親族も参照のこと。
祖父・平岡定太郎(樺太庁長官時代)

1925年(大正14年)1月14日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に父・平岡梓と母・倭文重(しずえ)の間に長男として生まれた。「公威」の名は祖父・定太郎による命名で、定太郎の同郷の土木工学者・古市公威から取られた。兄弟は、妹・美津子(1928年 - 1945年)、弟・千之(1930年 - 1996年)。
父・梓は、一高から東京帝国大学法学部を経て、高等文官試験に1番で合格したが、面接官に嫌われて大蔵省入りを拒絶され、農商務省(公威の誕生後まもなく同省の廃止にともない農林省に異動)に勤務していた。後に内閣総理大臣となる岸信介、日本民法学の泰斗と称された我妻栄とは一高以来の同窓であった。1924年(大正13年)、橋倭文重と結婚する。
母・倭文重は、加賀藩藩主・前田家に仕えていた儒学者・橋家の出身。東京開成中学校の5代目校長で、漢学者・橋健三の次女。
祖父・定太郎は、兵庫県印南郡志方村(現・兵庫県加古川市志方地域)の農家の生まれ。帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)を卒業し、内務省に入省、内務官僚となる。1893年(明治26年)、武家の娘である永井なつと結婚。福島県知事、樺太庁長官等を務めたが、疑獄事件で失脚した(後に無罪の判決)。
祖母・夏子(戸籍名:なつ)は、父・永井岩之丞(大審院判事)と、母・高(常陸宍戸藩藩主・松平頼位が側室との間にもうけた娘)の間に長女として生まれ、12歳から17歳で結婚するまで有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕えていた。
作家・永井荷風の永井家と祖母・夏子の実家の永井家は同族(同じ一族)になる。夏子の9代前の祖先永井尚政の異母兄永井正直が荷風の12代前の祖先にあたる。父・梓の風貌は荷風と酷似していて、公威は父のことを陰で「荷風先生」と呼んでいた。ちなみに、祖母・夏子は幼い公威を「小虎」と呼んでいた。
安藤武『三島由紀夫 全文献目録』(夏目書房、2000年)p.442
三島の持論
天皇論(1/2)
一方、三島の天皇に対する態度は複雑であった。
三島は、最期の日の演説や檄文などで、「歴史と文化の伝統の中心」、「祭祀国家の長」として天皇を絶対視していた。さらに『文化防衛論』においては、「文化概念としての天皇」という概念を主張し、日本の文化の中心であった天皇は、「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸である」としている。
また、伊勢神宮の造営や、歌道における「本歌取り」の法則などに例をみるように、本来、オリジナルとコピーの弁別を持たない日本文化では、「各代の天皇が、正に天皇その方であつて、天照大神(あまてらすおほみかみ)とオリジナルとコピーの関係にはない」とし、天皇は宗教的で、神聖な、インパーソナルな存在であると主張した。  そして、「文化概念の定義は、おのづから文化を防衛するにはいかにあるべきか、文化の真の敵は何かといふ考察を促すであらう」と述べ、「“守る”とはつねに剣の原理である」とし、「菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与へられなければならない。(中略)天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗を受けられることはもちろん、聨隊旗も直接下賜されなければならない」、「天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務」であると主張している。
インパーソナルな天皇像を希求するがゆえ、1966年(昭和41年)の林房雄との対談では、「僕はどうしても天皇というのを、現状肯定のシンボルにするのはいやなんですよ」、「天皇というのは、僕の観念のなかでは世界に比類のないもので、現状肯定のシンボルでもあり得るが、いちばん先鋭な革新のシンボルでもあり得る二面性をもっておられる」などと発言し、天皇イコール「革新のシンボル」との位置づけを頻繁に試みるようになる。
その流れから、国民と天皇を現代的感覚で結びつけようという、大衆社会化に追随した戦後の象徴天皇制を、「週刊誌的天皇制」(皇室が週刊誌のネタにされるほど貶められた、という意味)として唾棄し、「国民に親しまれる天皇制」のイメージ作りに多大な影響力を及ぼし、民主化しようとしてやり過ぎた小泉信三を、皇室からディグニティ(威厳)を奪った「大逆臣」と呼んで痛罵するなどした。
さらに、昭和天皇に対しては、「ぼくは、むしろ(昭和)天皇個人にたいして反感を持っているんです。ぼくは戦後における天皇人間化という行為を、ぜんぶ否定しているんです」と死の1週間前に行なわれた対談で発言している。
昭和天皇に対する否定的な感情は、二・二六事件三部作の最後を飾る『英霊の聲』で端的に表されている。三島はその作中で、「たつたお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう」と前置きした上で、昭和天皇に、「だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた」と批判する。「二度」のケースとは、
「兄神たちの蹶起の時」。すなわち、誠忠の士であった二・二六事件の青年将校らを、人間的な感情から、「叛逆の徒」として銃殺の極刑にはずかしめたこと。

「われらの死のあと、国の敗れたあとの時」。すなわち、戦後の「人間宣言」により、「神としての天皇のために死んだ」神風特攻隊隊員らの至誠を裏切ったこと。

であり、三島は、二・二六事件の蹶起将校と特攻隊隊員の霊に「などて天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまひし」と、ほとんど呪詛に近い言葉を語らせている。また同時に、昭和天皇の側近でだった幣原喜重郎も批判している。
高橋睦郎によると、三島は昭和天皇について、「彼にはエロティシズムを感じない、あんな老人のために死ぬわけにはいかない」と発言し、さらに当時の人気歌手を引き合いに出して「三田明が天皇だったらいつでも死ぬ」と発言したことがあったという。
だが、その一方で、旧制学習院高等科を首席で卒業した際、恩賜の銀時計を拝受し昭和天皇に謁見したことを感慨深く回想している。1969年(昭和44年)5月13日におこなわれた東大全共闘との討論集会においても、学習院高等科の卒業式に臨席した昭和天皇が「3時間(の式の間)、木像のごとく全然微動もしない」御姿が大変ご立派であったと、敬意を表することも一再ならずあった。
「武士としての心得として痛切な姿を晒させないための介錯人なんだよ。ククク、現在の医学なら余程のことがない限り、十分命を助けることができるという」
そう言うと松山は煙草に火を点けた。オールバックにしたウェーブかかった髪が陽射しに輝くように見えた。ブラウンレンズのCHANELのサングラス越しの松山の目許が微笑する。
「吸うか?」
松山が差し出した煙草にワシは手を伸ばすことが出来ない。只松山の言葉尻に暗示にかけられたかのように、ワシの手が小刻みに震えながらも、まるでスローモーションのゆうに脇差しを引寄せるが如く伸びていく。そして、その手が白鞘の脇差しに触れた時、ワシは今1度確かめるようにワシは松山の顔を見たのや。
「はて?」ワシはその目を何処かで見たような気がするのや。青白い炎が寒寒しているというのか、ワシは震えながら手にした脇差しの鞘を抜いた。陽射しに冷たく光る刀身に、まるで吸い込まれたかのようにワシが浮かぶ。この時ワシは逸そのこと、斬りつけて逃げたろか――― と思うが、嘲笑うかのような松山の顔を見返した時にワシは残念した。
「もう、どうでもええわい!!」
心の中でワシは叫んでいたのや。
「ま、松山さん、ワシのしょ、性根を見定めてくれたなら、ほ、ホンマに助けてくれますのやろな」
確約…。そう、ワシは松山から確約を取る為の言葉を振り絞るように吐き出した。
「判ってるよ河村。けど、ククク、チョコっと刺すだけの猿芝居はダメだぜ」手の震えが刀身に伝わる。腹部に向けた切っ先が怪しく光った。切腹の作法なんて知っている筈がない。空に鳶が舞っていた。