煙草の煙を、汚れたアスファルトに吐いた。君のお店の入ったビルを見上げる。
"君がいた"お店って言ったほうが正しいのかな。君が何も言わずにいなくなってから暫くが経った。
ああ、君が吸ってた煙草の銘柄、訊いとけばよかったな。
君がいなくなってから煙草を吸うようになったけど、いつまで経っても君のようにはなれそうにないの。
「煙草なんて吸うなよ」
なんて、君は笑ってくれるかな。ネオンの向こうの真っ暗な空を見上げる。
ピンヒールの音をさせながら歩いた。
たまに思い出すの、煙草とお酒の匂いの君のキス。甘酸っぱくて大人っぽいセックス。
ねえ、あたしのあげたクロムハーツのネックレス、まだ持ってたりする?
まだお酒は飲めないまんま?
虚しくなって、くすくす笑った。馬鹿みたいね、あたし。
いなくなった人をこんなにも思い続けてるなんて。
ホストが蒸発するなんて、別に珍しくもおかしくもないこと。なのにな。
君がお店を辞めたって知ってから、必死で何度もLINEを送ったけど、既読さえ付かなかった。
最後まで人が忘れられないのは匂いなんだって。
あたしもうまく忘れられないまんまだよ、君の煙草の匂い。曲がり角を曲がった瞬間、不意に感じる君の匂い。
傲慢でずる賢くて寂しそうな匂いを。
泣いてしまうんだ、耐えきれずに。君に会いたくて堪らなくなる。
寂しそうな君の横顔は昨日のことみたいに思い出すのに、君はもうあたしの頬を伝う涙を受け止めてくれやしない。
手放してしまってから、離れてしまってから大切さに気づくなんて皮肉。
ねえ、あと一度だけでいいから抱きしめてよ。
「もう泣くなよ」
なんて言って笑って、この涙を拭ってよ。君の好きな、あたしの香水の匂い、手首につけるたびに泣きたくなる。
「俺、この匂い好きだよ」
笑ってよ、あたしの手首を取ってさ。いつもみたいに鼻を鳴らしてよ、犬みたいに。
いつか君に会えたとき、匂いで思い出してもらえるように。
冬の匂いと謳われる香水を春になった今もつけてる。あたしが、ただの恥っ晒しになる前に迎えにきてね。
暗くて傲慢でちょっぴりずる賢い君の横顔。キスの後の悪戯っぽい笑顔。あたししか知らないその君の顔、も一度見せてよ。
ねえ、あたしのことまだ覚えてる?
忘れないでね、あたしのこと。たまには思い出してくれたっていいんだよ。
君の思い出が散りばめられた街。君の煙草の匂いがした気がして思わず振り返る。
でもやっぱり君はいなくて、寂しくて。
「また、何処かで」
完
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!