第4話

見えない葛藤
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2024/04/01 09:00
お母さん
おかえり。由依
家に帰ると、お母さんが晩ごはんの準備をしていた。

私たちが住んでいる家は、築50年以上が経過しているアパートの一室。

元々、一軒家の借家で暮らしていたけれど、お父さんが出ていったことで、私とお母さんは家賃が安いこの家で生活することになった。

お父さんからの慰謝料はあったのか、なかったのか。

私の養育費は払われているのか、どうなのかははっきりと聞いたことはない。
三崎 由依
三崎 由依
うん。ただいま。なに作ってるの?
お母さん
ふふ、今日はカニ鍋にするの
三崎 由依
三崎 由依
ええっ、カニなんてどうしたの?
お母さん
剛史つよしさんが知り合いの人から貰ったって、わざわざさっき車で届けにきてくれたのよ
剛史さんとはお母さんの恋人であり、もうすぐ私の父親になる人だ。

ちなみに私は名前ではなく、名字の倉持くらもちさんと呼んでいる。

くわしくは聞いていないけれど、倉持さんが勤めている隣町の調剤薬局で顔見知りになったことは知っている。

お母さんはここ数年、隣町の精神科に通院していて、睡眠薬などを処方してくれていたのが薬剤師の倉持さんだった。

一時期、食事も喉が通らないほど弱っていたお母さんだけど今ではすっかり元気になって、会話や笑顔も増えた。

それは私が望んでいたことでもあったはずなのに、素直に喜べない自分がいる。
お母さん
カニなんて久しぶりよね。なんでもない日に贅沢しちゃって罰が当たらないかしら?
三崎 由依
三崎 由依
……倉持さんはカニだけを届けて帰ったの?
お母さん
一緒に食べようって誘ったんだけど、仕事の引き継ぎで忙しいらしいのよ
三崎 由依
三崎 由依
……ふーん、そうなんだ
お母さんが心の病気になった時、瞬く間に精神科に通っていることが町中の人に知れ渡った。

そして再婚のことも知らない人は町の中にはいない。

どこかで赤ちゃんが生まれれば町ぐるみで喜んで、どこかで誰かが死んだら町ぐるみで悲しむ。

あそこの家はああだとか、あの人はこうだとかプライベートなんて一切ないこの町に、私とお母さんは長い間苦しめられた。

だからこそお母さんは、この町に染まっていない倉持さんに惹かれ、自分の病気にも理解がある人と家族になりたいと思ったのかもしれない。
お母さん
由依。引っ越しのこと、なんだかバタバタと決まっちゃってごめんね
鍋の準備をしながら、お母さんが少しだけ眉を下げた。

引っ越しは12月下旬。二学期の終業式の翌日に、私はこの町から離れることになっている。

その日まで、あと2カ月。

新しく住む場所は、こことは真逆の大都会・東京。

元々、倉持さんは東京生まれで、まだお母さんとは籍を入れていないけれど、今後家族になるにあたって自分の故郷に私たちを呼んで暮らしたいという思いがあるらしい。

……東京なんて、テレビで見る世界だと思っていた。

自分がそんな場所で暮らすなんて想像できないし、実感もまだ湧いていない。
お母さん
住む環境が変わって最初は戸惑うこともあるだろうけど、一緒に慣れていこうね
三崎 由依
三崎 由依
うん
お母さん
それと生活が落ち着いてきたら、剛史さんが犬を飼おうって。ほら、由依が小さい時に犬がほしいって駄々をこねたことがあったでしょう?
お母さん
その話を剛史さんにしたことがあったから、きっと覚えていてくれたのね
三崎 由依
三崎 由依
うん
お母さん
色々と楽しみだね、由依
三崎 由依
三崎 由依
……そう、だね
少しだけ手に力を入れた。東京行きに浮かれているお母さんは気づいていない。

私もこんな町から、早く出たかった。

大人になってお金を貯めて、いつかお母さんと人目を気にしない場所で暮らしたいと思っていた。

……だけど、私が願っていたのは、こんな形じゃない。

なんで知らない人と、家族にならなきゃいけないんだろう。

なんで知らない場所で暮らさなきゃいけないんだろう。

新しい学校も新しい家も、私が知らない間にどんどん決まっていってしまう。

なんで私はずっと寂しいままなんだろう。

なんでずっとずっと、ひとりぼっちみたいな気持ちなんだろうか。

私はお母さんみたいに笑えないし、楽しみにも思えない。

だって東京には、お母さんだけの幸せが詰まっているから。

だけど、ひとりで暮らせる力がない私にとって、親の決めたことは絶対で従わない理由はない。

なんで、なんで、私はまだ14歳なの?

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