第3話

4話
173
2021/07/10 05:21
りいぬ
りいぬ
次俺だね!

この話は、およそ35年前に起きた出来事です。

私の母方の祖父と祖母は、とある地方の農村で生活をしていました。
農業を営んでいましたが、高齢に伴って祖母の体調は悪くなっていき、病院で精密検査を受けたところ悪性腫瘍が発見されて入院することになりました。
既に病状が進行しており、助かる見込みは低かったようです。

祖母が入院してから10日後、主治医から
「成功する確率は低いですが、手術をやってみる価値はあります。」
と言われ、家族で手術をするか否か決断する事となりました。
そこで親族が一堂に会して話し合ったのですが、その場に祖父は現れませんでした。
祖父は
「おまえたちで相談して決めてくれ。俺はどちらでもいい。」
とだけ伝え、なんと祖母の病状については無関心を貫いたのです。

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結局、祖母は腫瘍の摘出手術を受けましたが、腫瘍を取り切ることはできませんでした。
そして6月の下旬、午前6時頃に息を引き取りました。

祖父は祖母が入院している間、一度も病院へ見舞いに行くことがありませんでした。
なんとも薄情な話でありますが、それほど2人の夫婦仲は冷え切っていたと言えるのかもしれません。
祖父は私の母親から
「先生から危篤と言われたよ。会える最後だよ。」
と電話連絡を受けても祖母の病室へ来ること無く、臨終にも立ち会いませんでした。

祖母の遺体は祖父との自宅に帰ってきました。
翌日には通夜があり、翌々日に告別式があったのですが、祖父は会葬者に挨拶を述べるだけ。
火葬場にも行きませんでしたし、納骨するためにお墓へ行くことすらしません。
私は子供ながら、本当に冷たい人間だなと思ったものです。

それから、祖父の様子がおかしくなりました。

当時、私の自宅は祖父の家から自転車で15分程度の距離にありました。
祖母が亡くなってから祖父は一人暮らしとなったのですが、我家へ頻繁に電話がかかってきます。
最初は昼間だけの連絡でしたが、次第に皆が寝静まっている早朝にも電話するようになって、私達にとっては迷惑な話です。
しかもその電話の内容が
「婆さんが出た!」
というものでした。

電話が来る度、母は
「何を言ってるの。幽霊なんか出る訳無いでしょ。寝ぼけてるんじゃないの。」
と祖父をあしらいます。
それでも祖父は、絶えず電話をよこすのです。

休日に、母親と私で祖父の家へ遊びに行ってみました。
祖父は青ざめた表情で
「おい…昨日も婆さんが出たんだよ…。」
と言ってきます。
私は「またか」と少しうんざりしたのですが、そんな態度を感じ取ったのか、祖父は私達を寝室へと連れていきます。
寝室は周囲から襖と障子で仕切られているのですが、祖父は
「夜中に人がいると思って目を開けると、そこの障子の向こう側に婆さんの顔が見えるんだよ。」
と説明します。

「はっきり見えるの?」
母親が尋ねると、祖父は
「はっきり見えるんだよ。俺を恨んでるような目つきで、じっと見てるんだよ。」
と怯えた様子で答えます。
私と母は、これは本当に出たのだなと感じました。

そんな祖父を見て母は
「お父さんは昔、羽振りのいい時にたくさん女の人を作ったでしょ。お母さん、それでもじっと我慢してたんだよ。今度はお父さんが絶えなきゃならんよ。」
と祖父をたしなめ
「ちゃんと、お母さんのお墓参りをして謝りなさいよ。」
と助言します。
祖父は
「わかった。そうする。」
と力無く答えました。

それからというもの、祖父は小まめに祖母のお墓参りをするようになりました。
祖母の幽霊が出る頻度は減ったようですが、それでも何度か祖父の寝室に現れては、恨めしそうな目つきで祖父を眺めていたのだそうです。
こうして祖父は、祖母の幽霊に悩まされ続けたまま余生を送り、私達と顔を合わせては「はぁ」と深いため息をつきます。
「俺は、どうしたらいいんだ…。」
これが晩年の祖父の口癖になっていました。

今ではその祖父も亡くなりましたが、あまりにも薄情だった人間に対して当然の報いだったのではないかと、私は感じています。

るぅと
るぅと
僕ですね。

これは私が大学2年生だった時の話です。

大学までは自宅から、電車を乗り換えて通学していました。
乗り換え駅はそこそこ人通りがある中規模のものでしたが、そこで奇妙な体験に遭遇したのです。

ある日、私が電車の到着を待っていると、駅のホームに黒い塊があることに気づきました。
最初は人影か、全身黒い服を着た人かとも思ったのですが…。
影にしては立体的ですし、かと言って人かと問われると違う感じがします。
ここでは「黒い人」と呼ばせてもらいますが、「人のような形をした何か」と言うと、一番しっくりくるのかもしれません。
その黒い人は、下手をしたら線路に落下するであろうホームぎりぎりの位置に立っていました。
見てはいけないものだろうなという事は察していたので、なるべく気にしないようにしていましたが、どうしてもチラチラ見てしまいます。
すると、その黒い人が倒れるように線路内へ転落したのです。
私が思わず「あっ!」と声をあげそうになっていると、駅の構内放送が流れました。

「只今、人身事故が発生したため、電車の運転を見合わせています。」

黒い人は私の見間違いだったと思いたかったのですが…。
いつの間にか黒い人は元の位置に戻っています。
一体何なのだろうと考えを巡らせているうちに電車が来たので、そのまま学校へ向かいました。

それからというもの、その黒い人を度々見かけるようになりました。
いつも現れる訳ではありませんでしたが、出るといつもホームぎりぎりの位置に立っています。
形も少し変化しているようで、細身の場合や、身長が変わったりもしました。
まるで女性や男性、大人子供を表現しているような印象を受けました。
現れては線路へ落下するのですが、落下後しばらくするとまた同じ位置に戻って立っており、これを何度も繰り返すのです。

気になった私は、いつしかスケジュール帳のカレンダーに、黒い人を見かけた場合は印を付けるようになっていました。
そして気付いてしまったのです。
人身事故が発生した日には、必ず黒い人が出現するという事に…。
ともかくその路線は、人身事故が多い所でした。

気味が悪くなった私は、スケジュール帳に記録を残すのを止めました。
その後も何度か黒い人を見かけましたが、とにかく見えていない振りをしてやり過ごしていると、いつの間にか見なくなりました。

あの黒い人が事故を引き起こしていたのか、それとも事故が起きるからあの黒い人が現れたのか…。
私には分かりません。
どぬく
どぬく
次俺!

僕は小さい頃、小児喘息を患っており、周りの子供より外で遊ぶ機会は多くありませんでした。
代わりと言ってはなんですが、手先が器用だった僕は小さい頃からプラモデルに凝ってきました。

そのためプラモデル歴は長く、様々な物を作ってきました。
自動車、デコトラ、城や船、軍艦、航空機などなど…。
特に旧日本海軍の軍艦や航空機は、本当に数え切れないほどの制作物があります。

ある日、僕は「零戦五二型」という航空機のプラモデルを購入しました。
早速、購入した日の夜から作成に取り掛かります。

この五二型は某有名メーカーの物で、精密に再現されており、マニアにとってはとても興奮する名品となっています。
僕は少しずつ、少しずつ、ゆっくりと完成させていく過程を噛みしめながら、着実に組み立てていきました。
組み立てだけでなく塗装も行うのが僕のやり方でして、作りながらも
「実際に戦っていた零戦の再現がしたいな。」
と思うようになり、経年劣化や使用感も意識して仕上げていきます。
およそ1ヶ月半をかけて、ようやく五二型は出来上がりとなりました。

自分で言うのもなんですが、大満足の出来栄えで本当の零戦のようでした。
家族や友達にも披露すると
「お前凄いな!」「ほ、本物の零戦じゃん。」「クオリティ高い、プラモデルで飯食えるよ。」
と驚かれるようなクオリティとなりました。
そんな零戦を大切に保管してベッドに入ったある日、異変が起こりました。

寝ていると、どこからともなく零戦のエンジン音が聞こえてきます。
夢か現実かはっきりしないながらも、その音を気に留めず目を閉じます。
しかし数分後のことです。

「ドドドドドドドドド!」「バーーン!」

まるで銃を撃っているようなもの凄い音が鳴り響き、僕は思わず「うわぁ!」と叫んで跳ね起きました。
隣の部屋で寝ている両親にもその声が聞こえたのか
「おい大丈夫か?」「何かあったの?」
と心配そうに部屋を訪れます。
僕が今あった出来事を説明すると、母親は
「もしかして完成した零戦のせいかもね。」
と言っておりました。
確かに何日間も熱を上げて取り組んだ訳ですから、それが夢に出る事は想像出来ます。

ところが数日後、寝ているとまた零戦のエンジン音と機銃の音が鳴り響き、僕は目を覚ましました。
そこでふと完成した零戦に目をやると、寝る前に置いた保管場所に無いではありませんか!

僕は驚いて電気をつけて、部屋中を探し回りました。
家族も物音に起きてくれて、家中を探した所、なぜか1階の仏壇前にある座布団の上に零戦があったのです。
寝る時は間違いなく、いつもの保管場所に置いたはずなのですが…。

そして何気なく、僕は仏壇近くにある机の引き出しを開けました。
なぜ開けたのか、自分でも分かりません。

そこにはひい爺ちゃんの日記が入っていました。
読んで初めて知ったのですが、ひい爺ちゃんはなんと太平洋戦争中、零戦のパイロットだったのです。
日記は昭和19年10月24日で途切れておりましたが、偶然にも零戦のプラモデルを購入した日も10月24日でした。
何か不思議な縁を感じた私は、仏壇に線香をあげずにはいられませんでした。

僕の零戦好きと、ひい爺さんの零戦に乗っていた時の記憶が重なったとでもいうのでしょうか。
その後は2度と異変は起きていませんが、不思議な体験でした。
なおきり
なおきり
次!

の趣味は釣りです。
海山川、どこでも場所を問わず幅広く楽しむのが私流ですが、特に船で沖へ出ての釣りは醍醐味が味わえるためお気に入りです。
これはそんな私が、随分前に体験した話です。

長期連休を目前にして、私の心は居ても立っても居られない状態でした。
というのも、その長期連休に仲間と旅行がてら釣りを堪能するという企画を立ち上げ、首を長くして待ちわびていたのです。

起きている時はほぼ釣り。
そして自分達で釣った海の恵みを肴にして酒を嗜む。
考えただけでも涎ものの贅沢を想像するだけで心が踊ります。

そして仕事が終わり、連休初日!
天気にも恵まれ、私と仲間2人の計3人で車に乗り込み、まずは宿泊先へ到着です。
温泉に入って夕食を済ませ、明日早朝からの準備に取りかかります。
きっと明日は釣れるなという予感を胸に、床に着きました。

ふと目を覚ますとまだ夜です。
ですが時間を見るともう起きる時間。釣り人の朝は早いのです。
テキパキと準備物を用意して、日が出る前には宿を後にしました。今回お世話になる船長とは、もう長い付き合いです。
地元でもベテランの方で、海の事は知り尽くしたという知識と経験には絶大な信頼感があります。
再会の挨拶もそこそこに、早速沖へ出発しました。

夜の海というのは幻想的な雰囲気が漂います。
漆黒の闇。船の光が無ければ、自分の体すらはっきりとは見えません。
月が出ていればある程度は見えますが、見えると逆に広大な自然の中にポツンと置かれている状況が目に入り、恐怖すら感じてしまいます。

釣りを始めた頃に空も白み始め、私達は釣りまくりました。
船長がおすすめの穴場スポットは外れがありません。
皆がある程度の釣果をあげた頃でしたでしょうか。私はある音に気づきました。

ギィ…ギィ…

何かが軋むような音が、波の音の合間に確かに聞こえます。
船の音かな?とも思いましたが、それなら今までも聞こえていたはず。
突然聞こえ始めた音に、仲間達も「なんだろうね?」と首をかしげます。
すると船長が突然
「お客さん達、すまんが潮が変わったみたいで今日は終わりだね。すまないね。」
と言って、船を陸へ移動させ始めました。
違和感がありましたが、船長の言葉は絶対です。
まぁ明日もあるしな、という訳で、私達は観光を楽しむ事にしました。

私は陸に戻ってからも、あの音が気になって考えていました。
魚の食いは絶好調だったのに、なぜ船長は帰る選択をしたのか。
いつもなら船長の方が率先して粘り、魚をあげさせてくれるはずです。
あの音には何か秘密があるのだという結論に、私は至りました。

次の日、また日が昇る前の夜中から船に乗り込み、沖へと向かいます。
移動中、私は何気なく船長に聞いてみました。
「あのギィギィいっていた音はなんだったのか。」
と。
すると船長は少し困ったような顔で
「まぁ、帰れっちゅう合図だわ。」
と答えます。
もう少し詳しく聞こうと思ったのですが、ポイントに到着したので私達は釣りを開始していきました。

波はとても静かで、いわゆる凪の状態です。
海だけでなく私達の竿も静かで、当たりの来ない時間が流れました。

ギィ…ギィ…

静寂の中、またあの音が聞こえ始めました。
どこから聞こえるのだろうか、と耳を澄ましていると、遠くに何かが見えるのに気が付きます。

それは小さな木造船のようで、誰かが船上に立ち艪を動かしていました。
少しずつではありますが、どうやら私達へ向かって進んでいるようです。
「船長、艪漕ぎの船が…。」
私が伝えると、船長は
「本当か!」
と大声を出し「漕いでる人はいくつ見える?!」と尋ねてきます。
私は1人、仲間は2人、もう一人は何も見えないと言います。
答えを聞くや否や、船長は船を動かし、私達は転びそうになってよろめきました。
「荒っぽくてすまんが、急いで戻るぞ!」
船長のただならぬ雰囲気に、私達にも緊張が走ります。
一体何なのだろうかと思っていると、船のエンジン音に混じってまたギィギィと音が聞こえました。

まさかと思って船の後ろを見ると、木造船がだんだんと近づいてくるのです。
手漕ぎの船が動力船に追いつくなんて有り得ません。
一体あの船は何なのかとジッと見つめていると…私は見てしまったのです。

船を漕いでいたのは、ミイラでした。
骨と皮だけになって、とても生きているとは思えない人が、それでも動いて船を漕ぎ向かってくるのです。
「船長、近づいてくる!」
恐怖から思わず声をあげますが、船長は反応すらせず操縦に夢中です。
「ありゃ一体、何なんだ…。」
見える仲間と呆然としていると陸が見え始め、追ってくる船は次第に離れて見えなくなりました。

陸に上がると、船長は
「今日は宿ではなく、神社に泊まらなければならない。」
と言って、私達を案内します。
神社に着くと船長は、神主と思われる人に
「お客さん達、かじこを見ちまったんだ。」
と伝え、それでは預かると言って有無を言わせず泊まる事になりました。

神社は私達にとても良くして下さり、船長もサービスだと言って魚を振舞ってくれました。
私達が宿泊していた宿の方も応援に来てくれ、思わぬ体験が出来たなんて呑気な事すら考えてしまいます。

「かじこって何なのですか?」
食事も終えてひと段落した所で、私達は事の真相を聞きました。

昔、戦前よりもずっと前の頃。
海が目の前に広がるこの地域では漁が主な仕事であり、家族総出で海へ出て生活を支えるのが日常だったそうです。
当時は学校なんてものも普及していませんから、年端もいかぬ子供も貴重な労働力であったと言います。
ところが漁獲量の増加と人出不足が相まって、どこからか労働力を調達しなければやっていけないようになっていきました。

そこで白羽の矢が立ったのが、生活苦によって売りに出されたり、身寄りの無い行き場を失った子供達でした。
今では信じられない事ではありますが、子供が貴重な労働力として人身売買や奴隷、強制労働の犠牲となっていた時代が日本にもあったのだそうです。
これは漁だけに関わらず、農業等他の仕事にも当てはまり、公の歴史としては残っていませんが全国的に行われていた事であったというのです。

元々は「かじこ」といって、その家の子供が艪を漕く役目を担っていたため、労働力としてやって来た子供もかじことして働きました。
ところがその扱いは次第に非人道的な方向へと向かっていき、単なる労働力としか見なされない子供達は朝から晩まで働きっぱなし。
逃げ出したり反抗しようものなら、凄惨な仕打ちを受けて亡くなる場合も多くあったと伝わっているそうです。
果たしてどのくらいの子供が「かじこ」となり犠牲になったのか正式な記録は無く、真実は闇の中です。

そんな時代が続いて、いつからか私達のように海で「かじこの亡霊を見た」という話が出始めたといいます。
船に乗っているかじこの数は見た人によって違うそうで、多く見えるほど近いうちに死ぬ確率が高まる。
おおむね4人以上だと、1週間もしないうちに何らかの理由で死亡する。
見えるかじこの人数は、その人の社会的な地位に密接な関係があると分かっている。
例えば多くの部下がいる社長のような人や、有名人、村長、また財を多く持っているような人もかじこを見ると死ぬといいます。
前に、数えきれないほどのかじこを見たという社長は、数日後に崖から転落して亡くなったのだとか。

近年は非人道的な労働もほとんど無くなり、幽霊も時間が経って成仏していっているのか、かじこを見たという人自体が珍しいと言っていました。
幸か不幸か、私達はうだつの上がらない平社員だったのもので、かじこを見ても影響は無いそうですが…。
一応大事を取っての対処として、神社に泊まる事となったのです。

その夜、トイレに行くたくなって私は目を覚ましました。
歩くとギィギィ鳴る廊下に、思わずかじこのギィギィ音が重なって背筋が寒く感じられます。
とっとと済ませて、布団へ潜り込みたい。
焦る気持ちで用を済ませていると、音が聞こえました。

ギィ…ギィ…

近いような遠いような距離感で、確かにあの音が耳に入ってきます。
まさか「かじこ」が来た?!
私は身動きせず、息を潜めて神経を集中させ様子を伺います。

音はいつまで経っても止まず、不気味に一定のリズムを刻み続け、私はどうすべきか必死に考え続けます。
トイレで一晩中こうしてジッとするのか。
いや思い切ってトイレから脱出し、神主さん達へ助けを求めるべきなのでは。
まさかかじこが、手違いで大した人間ではない私をあの世へ連れていったりしないよな?
冷や汗をにじませながら私が出した結論は、トイレから出て助けを求める、でした。

息を潜め、なるべく音を立てないよう慎重に移動し、恐る恐る扉を開けて様子を確認します。
廊下の右を見て、左を向いた時、それはそこに居ました。

子供くらいの身長の青っちょろいミイラが、廊下に突っ立っていたのです。
目と口にはぽっかりとやたら大きい黒い穴がアンバランスに開いていて、目の前に存在しているのは確かなのですが、信じられない現実にまるで作り物のような印象を受けます。

私は恐怖で大声を出そうと試みましたが、声どころか身動き一つ出来ません。
立ったまま、金縛りになっていたのです。
かじこも私もピクリとも動かなかったのですが、かじこの黒い目をみているとそれがどんどん大きくなっていき、まるで吸い込まれるかのような感覚に陥りました。

気が付くと、私は布団へ横になっていました。
傍らでは神主さんが祈祷を行っていて、起きた私に気づくと「目覚めてホッとしました」と胸をなでおろしていました。

その後、私達にこれといった異変はなく、無事に旅行から帰ってきました。
旅行中の釣りは断念せざるを得なくなってしまいましたが、あんな出来事があったのでは仕方のない事です。

最近になってブラック企業という概念が認知されましたが、古くから使う者と使われる者の間にある問題は変わらないのでしょう。
かじこ程の悲惨さではないにしろ、同じような苦しみが今の世の中にもあるという事に、胸が締め付けられる思いがします。

この件以降も私は海釣りを続けていますが、当時の船長も亡くなって、今では「かじこ」の存在すらほぼ消えかけています。
ですが「かじこ」が受けた苦しみだけは、せめてこの先も教訓として伝わって活かせるような社会になって欲しいなと、願うばかりです。

たっつん
たっつん
俺!

私は職場への通勤で片道1時間程、車を運転しています。
普段は残業がほとんど無く19時には仕事を終えるのですが、トラブルが重なって帰りが21時ごろになった時がありました。

その帰り道、いつも通っている国道が事故で大渋滞。早く帰りたい私は、渋滞を避けるために側道へ入ります。
その道は住宅街で交差点が多く、見通しも悪い道です。
「運転しにくい所だなぁ。」
なんて思いながらも、いつも以上に注意を払って走行します。
交差点に差し掛かり、一旦停止をして左右の安全を確認し、アクセルを踏み発進しようとした瞬間でした。

「ピピピピ!!」

けたたましくアラーム音が鳴り、自動ブレーキが発生して車が急停車しました。
何か前方に障害物を検知したようです。
びっくりして車を降りて周囲を確認したのですが…周りには何も異常がありません。
「何に反応したのだろう?」
ひょっとしてセンサーに誤作動が起きたのかもと思いながら、とりあえずそのまま車に乗って帰宅しました。それから1ヵ月後くらいに、職場で送別会がありました。
21時にお開きとなり、いつもの国道で帰宅しようとするとまた大渋滞。
このまま大通りを走って帰っても良かったのですが、その日はとても疲れていたので早く帰宅したいと思い、またしても側道を抜けるルートへと変更します。

「そういえば、この道で変な現象があったな。」
前に自動ブレーキがかかった事を思い出しながら、同じ交差点を走った時でした。
また同じようにアラーム音が鳴り、車が急停止してしまったのです。

2度も同じ場所で異変が起きたので怖くなった私は、車から降りて入念に周囲を見渡しました。
ですがやはり何事も無く、これと思われるような痕跡は全くありません。
これは車に異常があるのかもしれないと思い、週末にディーラーへ車を持っていたのですが、診断の結果異常なし。
腑に落ちませんでしたが、特に異常がないのなら仕方がありません。

次の日から、私の頭からその不気味な現象が離れなくなりました。
モヤモヤを抱えて生活するのは何とも気持ちの悪いものです。
そこで原因をはっきりさせたい私は、あえて国道ではなく側道を通り、検証してみる事にしたのです。

ところが何回同じ道を走っても、自動ブレーキが作動する事はありませんでした。
「偶然がたまたま重なっただけなんだろうか?」
結局分からず仕舞で、側道を通る機会も減ったため、私はこの異変を忘れていきました。

それからしばらく経ち、久しぶりに残業して帰路につくと、また国道が渋滞していました。
こんな時は迷わず側道です。
何度か通ってもう慣れていましたから、特に意識もせず車を走らせていたのですが…。

「ピピピピ!!」

例の交差点に差し掛かった時、またしても私の車の自動ブレーキが作動して停まってしまったのです。

3回目の異変に、私は車から降りてぼう然としてしまいました。
すると車の急ブレーキの音を聞いて心配したのか、おじさんがこちらへ歩いてきました。

「大丈夫?」
声をかけてくれたおじさんに、私は
「えぇ、多分大丈夫だと思うのですが。車が勝手に急ブレーキをかけまして…。実はこれ3回目なんですよね。」
と答えます。
するとそのおじさんは目を大きく見開き、驚きながら話をしたのです。

今から1年半くらい前の、丁度この時間。
この交差点で、自転車に乗った男性が車にはねられて亡くなったのだそうです。
はねた車は私と同じ黒いセダンだったらしく、そのまま轢き逃げして犯人は捕まっていないのだとか。

私が会社を21時に出ると、ほぼ同じ時間にこの交差点へ到着していました。
男性の霊なのか分かりませんが、目には見えない何かに私の車が反応していたと考えると、妙に納得すると同時に鳥肌が立ちました。

それから、私はその道を通ることを止めました。
事故が起きそうな危険な道路を通らないのも、安全運転の1つだと思っての選択です。
少しでも交通事故の少ない世の中になるよう、願って止みません。
るな
るな
私!

私は友人の依頼で、空き地の樹木の伐採をした時がありました。
友人の話では、近々大きな工場が建つため、駐車場を作るのだと言います。
私は樹木伐採業を個人で営んでいましたから、気をきかせた友人が仕事を回してくれたのです。

その友人は高校の頃からの付き合いで、この辺りで地主をしている家柄でした。
家業を継いで、今では家賃の入金確認や物件管理の手伝いをしているようです。

伐採を頼まれて現場作業をした時はまだ5月でしたが、異様に暑くて真夏のような炎天下だったことを覚えています。
流れ出る汗をタオルで拭きながら伐採をしていると、目の端に一瞬、少女のような姿が見えた気がしました。
ですが周囲を確認しても、誰一人姿は見えません。
「暑さのせいで頭をやられたかな。」
なんて思いながらも、私は作業を続けます。大きな樹木でしたので伐採には数日かかりましたが、予定通りに完了出来た後、私は友人と居酒屋で飲んでから一人暮らしのアパートに帰宅しました。
体の疲れもあったのか、明かりを点けたままベッドで横になってくつろいでいると、いつの間にか寝てしまっていたようです。
ふと夜中に目を覚まして、水を飲もうとキッチンの方へ向かった時でした。

部屋の照明が急に明滅し、異様な寒気に襲われました。
そして部屋の隅に、突然少女の姿が現れたのです。

見た目は小学生くらいでしょうか。
俯いていて顔は見えませんが、あまりの驚きで私は何も反応する事が出来ません。

「どうして切ったの?」
そう少女は言いました。
「え?」
私は何の事か分からず、聞き返すのが精いっぱいです。
「どうして木を切ったの?」
その言葉を聞いて、私は伐採の時に一瞬だけ見た気がした、少女の事を思い出しました。

夢かとも思ったのですが、私の意識ははっきりとしていて現実感もあり、冷や汗が全身から溢れ出てきます。
(私は何か、やってはいけない事をしたのか。)
あれこれ考えるものの、どうすれば良いのか分かりません。
「俺は、友達に頼まれて、ただ切っただけなんだ…。」
恐る恐るそう答えると、少女は
「わかった。」
と言って、パッと姿を消しました。

一体何だったのか…。
とりあえず水を飲んで気持ちを落ち着かせ、布団に潜り込みますが眠る事が出来ません。
それでも次第にウトウトし始めた明け方頃、突然電話が鳴りました。
それは私に木の伐採を頼んだ友人からでした。

「今からそっちに行くから、家で待っていてくれ。」
友人の普段とは違う様子に、私は先程自分の身に起きた出来事と関係があるのだと直感しました。
居ても立っても居られず、私はアパートの前で暇を潰して待ちます。

しばらくすると友人はその親父さんと一緒に、自動車で私のアパート前に到着しました。運転は親父さんがしていて、友人の方は後部座席に真っ青な顔をして座っていました。
私が車へ乗り込むと車はどこかへ出発し、移動中に友人から何があったのか聞き出します。

友人の話によると、ふと目覚めると枕元に見知らぬ少女が立っていたのだそうです。
「あなたが木を切ったの?どうして切ったの?」
少女の顔は影になって見えなかったそうですが、口調からただならぬ気配が伝わってきます。
跳ね起きて父親の部屋へ逃げ込み、出来事を話すとすぐに何かを察した親父さんは、部屋にあったお札を持ち私の家へ向かったのだそうです。
これからどうするのか親父さんに尋ねると、神社で神主さんを乗っけて、木を切った場所でお祓いをしてもらうと答えました。

道中で神主さんを車に乗せて話を聞いてみると、樹木などの自然には稀に精霊が宿ることがあるのだそうです。
特に長い年月を経た物にはその傾向が多いそうで、何の断りもなく伐採等で環境を変えてしまうと、行き場のなくなった霊が荒ぶることがあるのだそうです。
今回の場合、私が切ったあの樹木には精霊が宿っていたという訳です。
友人の親父さんは、長く地主をしている経験からピンときたのだと言います。

樹木を伐採した場所へ私達が到着すると、神主さんは手際よくお祓いを行い始めました。
その時は恐怖というよりも、魂が宿っていた樹木を仕事という理由で何となく切ってしまった事への罪悪感が強く、私は一生懸命手を合わせました。

完成した駐車場の一画には、私と友人の計らいで当初の予定にはなかった樹木を植えさせてもらいました。
あまり信心深い私ではありませんが、この件以来、どんな木を切る場合でも事前に祈祷を欠かさず行うように心掛けています。

もふ
もふ
俺ね?

私の実家は、築30年以上の共同住宅です。
母子家庭ではありましたが、私と弟は既に結婚して実家を離れ、今は母が1人で住んでいます。

私が2人目の子を出産するため、当時3歳だった娘を連れて里帰りした時の事でした。
母は仕事に出かけたので、2人で留守番をしていると娘が言います。

「ママ、おじさんがいるよ。」

えっ?と思って家の中を探しましたが…私達以外の人は誰も居ません。
「おじさんがいるの?ごめん、ママには見えない。」
と言うと、娘は
「そこにいるよ。2人だよ。」
と普通に答え、背筋がゾッとしました。
幸いにも娘は人見知りだったため、そのおじさん達と接触する気はないようでした。

母が帰ってきてその事を伝えると、怖がりの母は
「やだぁ!この前も怖いことがあったのに!」
と身をすくめます。

母はつい先日、同じ共同住宅に住む知り合いの家を訪ねたのですが、肝心の相手が不在で娘さんが対応してくれたのだそうです。
その後先方から電話があり、改めて要件を話していると、その人が変な事を言ってきました。
「さっきうちに来てくれた時、一緒に来た人って誰だったの?娘が、知らない人と2人で来た、って言ってたけど。」

母は間違いなく1人で訪ねて、連れなどいません。

「え?私1人で行ったのよ?」
「あれ?娘が横にもう1人知らない人がいたって言ってたけど?」

母はもうそれきり怖くて、深く詮索しないようにしていたそうです。

実はその共同住宅は、他にも「出る」と言う住人が複数人いる所なのです。
見えない人にはわからないのですが、そういった声が多く聞こえると気味が悪く感じてしまいます。

この話をある時、弟にもしてみました。
すると弟まで
「実は俺もあるんだよ…。」
と話し始めるのです。

まだ弟が実家に住んでいた頃、真夜中まで起きていた時の事です。
私達の部屋は3階にあり、弟の部屋は窓の真下が棟の入り口になっていました。
古い建物ですし、周りの音はいろいろと聞こえてくるのですが、真夜中となると静かなものです。

弟が言うには、少し遠くから自転車が走る音が聞こえてきたのだそうです。
生活サイクルは人それぞれですから、それは夜まで仕事をしている人もいれば、遅くまで遊んで帰ってくる若い人もいます。
その音自体には、特に違和感はなかったのです。

自転車はどうやら古い物のようで、キィキィと音を立てながら走ります。
他に雑音がありませんから尚更良く聞こえて、共同住宅の門からその自転車が入り、何棟かある建物の間を通り、弟の部屋の窓下の入り口付近まで来た事が分かったと弟は振り返ります。

(誰か帰ったのかな?)
弟は軽い気持ちでカーテンをめくって窓から真下を見たのですが…そこに自転車の姿がありません。
(あれ?おかしいな。確かここら辺まで来たと思ったのに。)
辺りも見回してみましたが、自転車などどこにも見つかりません。
すると次の瞬間、弟のすぐ後ろで

キィ…

さっきまで聞いていた自転車の音が、ハッキリと聞こえたそうです。

「やだ!それでどうしたの?」
「いやぁ俺も、もう全身がゾゾゾーってしてさ。怖くて振り返る事も出来なくて。敷いてあった布団に後ろ向きのまま、頭から突入して、朝までそのまま。」

その場所で悪い出来事があったとは特に聞いた事がありませんが、そういった曰くが無くとも、日常と非日常が溶け込んでいる場所なのかもしれません。

えと
えと
私!

これは数年前、私が転職して引越したアパートで体験した話です。

そこは築60年にもなる古い木造アパートで、外観は年季が入って少し不気味な感じがしていました。
裏手には林もあり、夜ともなると雰囲気が出て、物好きか無関心でないと選ばないような物件です。
ただ内装は綺麗にリフォームされていて、当時の私はあまりこだわりも無かったので、家賃の安さとペット可という点に魅力を感じ、入居を決めました。

引越し直後は慣れない仕事や生活サイクルに苦労しましたが、慣れてしまえばこっちのものです。
愛犬との時間が最上である私は、暇さえあれば一緒に遊んで過ごしていました。
ペット可というだけあって、大家さんの理解が進んでいるのか、アパートの裏にはちょっとした庭のようなスペースが在ります。
ある日そこで愛犬とボールで遊んでいたのですが、私のコントロールミスですっぽ抜けて投げてしまい、裏手の林へ飛んでいってしまいました。
幸いにもボールはすぐに見つかったのですが、足元をよく見てみると積み上げられていた石の周辺に、同じような石が数個散乱して崩れたようになっていたのです。
もしかしてボールが当たって崩れたのかもしれないと思った私は、適当に石を積み直してその場を去り、また犬と遊んでから部屋に戻りました。

その日の夜、ワンワンと吠える愛犬の鳴き声で目が覚めました。
どうしたんだろうと思って様子を見ると、何故か玄関のドアに向かってずっと吠え続けています。

愛犬は普段から大人しくて、吠える事も滅多にありません。
それが夜中に騒ぐのは少しおかしいなとは感じたのですが、それ以上に近所迷惑を気にした私は、とにかく愛犬を落ち着かせて、もう大丈夫だろうと確信してから再び床に着きました。

翌日、いつものように支度をして玄関を出て驚きました。
ドアの外側に悪戯をされたようで、泥が付いていたのです。
他は全く綺麗なままなので、まるで泥を運んできて、私のドアを狙って付けた様な状態になっていました。

うわっやられたと思いましたが、ひょっとしたら昨晩うるさくしたせいかも知れないと思い、時間も無いのでとりあえずそのままにして仕事へ向かいます。
帰宅すると朝のまま変化が無かったので、ドアをキレイにしてから夕飯を食べ始めました。
ところが、食事の時はいつも私の横から離れない愛犬が、ずっと玄関の前に座ってこちらへ来ません。
やはり何かあるのかなと思ったのですが、周囲を確認しても異変は特に無く、食事を終えた私は寝る事にしました。

「ワン!ワン!」

夜、また愛犬の声で目を覚ましました。
「一体どうした~?」
またかと思って近所迷惑にならないよう愛犬を落ち着かせていると、ふと愛犬が吠えているのは玄関の泥と何か関係があるんじゃないか、と思ったのです。

もしかしたら今、この扉の向こうに、何かが居るのだろうか…。

そう考えると妄想が進んでしまい、怖くなった私は愛犬を引き連れて布団へ潜り込み、そのまま寝て時が過ぎるのを待ちます。

翌朝、玄関を確認すると…。
やはり予想通り、またドアの外側に泥が付着していました。

その後も愛犬は玄関を気にし続け、夜に吠えると翌朝には玄関へ泥が付くという現象が起き続けます。
自分なりに考えた結果、警察に相談するしかないと決意したのですが、それにはまず証拠を押さえる必要があると思い、次に泥が付いたら写真を撮っておこうと機会を伺います。
ところが不思議なもので、待っていると何の変化も起きません。

しばらくは何事も無く過ぎたので、もう終わったのかなと安堵していた矢先。
朝起きてみると、部屋の中のあちこちに泥が付いていました。

夜中に侵入者があったのかと思いましたが、部屋の鍵は全て掛かっていました。
それに部屋へ入ったのなら、いくら寝ていたとしてもその存在に気が付かないはずがありません。
愛犬も全く吠えませんでした。

これは警察どころの話じゃないと思った私は、急いで部屋を掃除し、引き払う準備を始めました。
愛犬は一度実家に預けて、私は引越し先が見つかるまで知人の部屋やホテル等に泊まります。
幸いな事に、引越しすると同じ現象が起きる事は無くなりました。

どうしてこんな事態になってしまったのか自分にはよく分かりませんが、以前に友人と話した際、どうも「積み石」が怪しいのではないかという結論になりました。
確かに私が積み石を触った時から異変が始まったので、その線もあながち間違いではないのかも知れません。
色々と調べる事も出来るのでしょうが、変に石を触った事を指摘されるのも嫌だなと思って放置しているので、追及はしていません。
シバァ
シバァ
俺!

これは私が、友達とファミレスで盛り上がって帰宅時間が遅くなった時の話です。

ついつい話が尽きず、気が付くと帰宅するバスの最終便の時刻が近づいていました。
なんとか乗車には間に合い、あとは家の近くまでバスに揺られるだけです。

バスには私の他に、小さな男の子と女性が乗っていました。きっと親子なのでしょう。
最後尾に座っていて、2人とも帽子を被っていたため表情は見えませんでしたが、どうやら戦隊ヒーロー物の話をして楽しんでいるようです。
私は特に気にせず、中間ぐらいの席に座り携帯を触って時間を潰します。
バスに乗ってしばらくすると、私は後ろから聞こえていた声が消えている事に気付きました。
それまで一度もバスは停車しておらず、乗客の出入りはありません。
あれ?っと思って振り返ると…そこには親子の姿など無かったのです。

私の血の気がサッと引き、冷や汗が吹き出ます。
反射的に席を、運転手さんのすぐ後ろへ移動させました。

そして停留所へ到着し、降りる際に居ても立っても居られず、私は運転手さんへ
「私と乗っていた親子連れ、どこで降りたんですか?」
と尋ねたんです。
すると運転手さんは変な顔をして
「親子?この便に乗ったお客さんはあなただけですよ。」
と言うんです。

そんなはずはない!確かに親子が乗っていた!
運転手さんにそう問い詰めようかと思いましたが、そんなことを言っても困らせるだけだと思い、私はバスを降ります。
きっと私が見間違えたのだろう…。
そう思う事にしたんです。

ここからはいつもの見慣れた帰り道なのですが、私は怖くなってしまって歩き出す事が出来ません。
自宅まではどんどん人気のない所に入っていくので、今の状況でそこへ踏み入るのはかなり勇気がいります。
ですがそんな事は言っていられず、帰らなければいけません。

私ってこんなに怖がりだったかな、と思いながら早足で歩いていると、笑い声が聞こえた気がしました。
思わず振り返って辺りを見回しても、暗い夜道には誰もいません。

私は走って帰りたい衝動をグッとこらえました。
こういう時に走って逃げるのはダメだと、どこかで聞いた事があったのです。
意識せず、自然体でいることが大切だと自分に言い聞かせ、歌を口ずさみながら帰ります。

夜の住宅街は、意外に音が聞こえてきます。
人の会話なのか、テレビの音なのか。
ふと気が付くと、その音に混じって会話している声が聞こえます。
男の子の声で、戦隊もののヒーローの事を話しているようです。

私はたまらず走り出しました。
ハイヒールを履いていたため、すぐにスピードが落ちてしまいますが、とにかく走って走って走りまくります。
恐怖から、もう振り向く事は出来ません。

家に到着して開口一番「塩ちょうだい!」と私は叫びました。
両親は驚いていましたが、私の剣幕に只ならぬ雰囲気を感じたようで、理由を聞かずに塩を振り撒いてくれました。

これ以降、私はバスが苦手になってしまい、乗らないようにしています。
親子の姿や声もその日だけの出来事でしたが…今思い返すだけでもゾッとしてしまいます。
ヒロ
ヒロ
俺?

結婚して15年が経ちますが、夫はいわゆる「見える」人です。
私には霊感が全くありませんが、夫の体験談を話させて頂こうと思います。

これは東京から夫の実家へ帰省した時の事です。
久々の帰省で盛り上がっていた私達は、車内で大音量の音楽をかけて大声で熱唱していました。
外は小雨で時刻は23時過ぎ。
夫の故郷は新しい道路の開発ラッシュで、まだ綺麗なアスファルトを走行していました。
「えっ?!」

運転している夫が突然、声を上げました。
今まで涼しい顔して運転していた夫でしたが、それが両手でハンドルを握りしめ、青ざめた表情になっています。

「なに!?」
私はすぐさま尋ねます。
車の外は真っ暗。走行している車も私達しかいません。
新しくできた道路のためコンビニもお店も一軒もなし。
私が異変に気付かない、ということは…。
嫌な予感がしてきます。

夫は前を向いたまま、私に質問を返してきました。
「今、女の子いたよね?」

夫曰く、先ほど通り過ぎた横断歩道の所に、ランドセルを背負った女の子がいたのだそうです。
時刻は23時過ぎ。そんな時間に子供1人が居る状況は普通ではありません。
しかしこのご時世、もし何か事情があるならば救わなければならないのではと思った私達は、引き返す事にしたのです。

真っ暗の道を戻るも、人の気配など微塵もありません。
もし女の子がいたら、なんて声をかけよう。
あれこれ考えている間に、横断歩道が近づいてきます。
ですが辺りを見渡しても、そこに女の子の姿などありません。

代わりに、道路の片隅に黄色の可愛い花がポツンと置いてありました。
まだ新しく、誰かが最近になってお供えした物のようです。
その様子から察して、私達は胸が締め付けられるような悲しみを感じずにはいられませんでした。

夫から聞いた話でもう一つ、私が一番背筋の凍ったエピソードがあります。

それは夫が高校生の時。
友達と公園で遊んでいると、小高い丘の上でスーツ姿の男性が「おいでおいで」と手招きをしていたそうです。
地元ですから周辺の地理は知り尽くしており、その先には崖しかないはず。
おかしいな、と思いながら友達と丘を登って周辺を探してみると…。
そこで見つけたのは、首を吊った亡骸だったそうです。

大騒ぎで警察に連絡を入れ、もう年頃の高校生だった夫ですが、恐怖のあまりしばらくは親と一緒じゃなきゃ眠れなかったと言っていました。

霊感も無く怖い話が苦手な私からすると、自分には霊感が無くて本当に良かったと、心底から思います。
ゆあん
ゆあん
俺ね!


私は極力、どんな人とも分け隔て無く付き合うよう心掛けて生きてきました。
それは人が好きで仲良くしたいというよりは、無駄なトラブルに巻き込まれたくない、という自己保守的な考えからくるものだとは自覚しています。
これはそんな私が今でも忘れられない、ある人物にまつわる話です。

私には保育園、小学校、中学校、高校と同じく進学したA(仮名)という同級生がいました。
家もすぐ近所で、いわゆる幼馴染ではあるのですが、それほど仲の良い関係ではありません。Aはいつも1人でいました。
授業が終わっても机に座ったまま動かないでいるか、たまにどこかへ行ったと思ったら1人、廊下の窓から校庭を眺めています。
別にクラスでいじめにあっている訳でも無く、自分から積極的に他人と交流しようとしないのです。

ある時、私は帰り道で偶然一緒だったAに話かけた事があります。
「学校でいつも1人だけど、寂しくないの?」
するとAは1人だと寂しいと思うそうなのですが、かといって誰かと一緒にいると煩わしく感じてしまう。
なので他人に近寄らないようにしている、と言うのです。

私は
「ひょっとして今、私のことウザいと思ってる?」
と聞いてしまいました。
我ながら意地悪い質問をしたなと思ったのですが、つい本音が出てしまったのです。
「いや、1対1とかだと大丈夫。」

それから私とAは帰り道の間だけではありますが、私自身もビックリするくらい話をしました。
Aはとても話易かったのです。
好き嫌いが明確でサバサバとした印象ですが、かといって会話に嫌味が無く不快な印象を与えません。むしろ清々しいくらいです。
きっと自頭が良く、芯がある人なのだと感じました。

それからというもの、学校では相変わらず1人で居るAでしたが、帰り道で一緒になった時は私と話をする間柄になりました。

そんなAは高校2年の時、いじめの対象となってしまいます。

1人で浮いた存在だと、どうしてもそういった標的になりがちなものです。
私を含め、中学から一緒だった面子はAをかばっていましたが、歯止めが効かずどんどんいじめはエスカレートしてしまいました。
特に主犯格のE(仮名)の手口が陰湿で、多方面から注意するも全く聞き入れる気配がありません。
肝心のAにも話かけたりしたのですが、Aはいつも「大丈夫」というばかりです。
絶対、大丈夫じゃないのに…。
せめて帰り道で一緒になれば話が出来るのにと思ったのですが、高校へ進学してからはAと学校以外で会う事も無くなっていました。

そんなある日、突然EとAが学校へ来なくなりました。
Aは数日休んだだけでまた登校しましたが、Eはずっと欠席を続け、ついには転校してしまいました。

Eの転校は突然で、同時に妙な噂も広がりました。
「転校というのは嘘で、Eは精神が狂って入院した。」
しかもその原因というのが、Aの呪いだ、というのです。
実際にEは姿を消した訳ですから、この話は真しやかに伝わり、Aは腫れ物扱い。
いじめは無くなりましたが、それ以上にAは孤立したように、私の目には映りました。

その後、偶然帰り道でAを見かけた私は話かけてみました。
Aは昔の頃と全く変わらず、私と話をしてくれます。
そこで気になっていた、Eの事を思い切って尋ねてみました。

「Aのこと標的にしていたEの事だけど、学校に来なくなったのは呪いだって皆言ってるけど…本当なの?」
「本当だよ。」

Aは当然と言わんばかりに、さらりと答えました。

「あの人、私の事すっごく大好きだったみたいだから、全員が私に見えるように、同じ顔に見える呪いをかけたの。そしたら頭おかしくなっちゃったみたい。あはははは!!」

Aはそう言って笑っていましたが、目が全く笑っておらず、私はゾッとしてしまいました。
Aが言うには、家系的に呪いや穢れといったマイナスな気を背負う血筋で、そういった力が身についてしまったのだとか。
とは言っても、そんな話は信じる事が出来ません。
呪い?そんなもの本当にあるのでしょうか?

「だからあなたも、もう私と関わらない方が良いよ。じゃあね、バイバイ。」
そう言って別れ際、Aは泣いていました。

それから程なくして高校を卒業したのですが、Aは同時に引越ししてどこかへ行ってしまいました。
Aが住んでいた家は取り壊され売地となりましたが、ずっと買い手がつかないままです。
私の親曰く、瑕疵ありだからしばらく空き地だろうとのことです。

私は最後にAが泣いていた意味を、今でも考えてしまいます。
本当は皆と仲良くしたかったのに、それが出来ない環境だったのではないか。
そう思うと、せめて今もどこかでAが元気に暮らしてくれればと、祈るばかりです。

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ほんとにごめんね!
れん!
そして読んでる方!
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