第179話

あの時(1)
10,735
2019/08/16 13:55
あなた、
誰かが、私を呼んでいる……

ぼんやりする意識の中で女性の声が聞こえた。
ほーら、あなた、出ておいで。
あなた

急に居なくなったりしちゃ、心配するでしょ?
あなた

…誰も心配しないもん、

「はぁ…」と深いため息が聞こえて、女性がその場で膝をついたのが薄いカーテンから見えた。
ほら、あなた、おいで。
あなた

あなた。
あなた

お母さんが来て。

お母さん
それじゃ意味無いの。まずはあなたから私の所へ来て。
あなた

お母さん
あなた

お母さん
…ちゃんと、ずっと待ってるから。
カーテンにくるまり、しゃがみ込んだ私にゆっくりのテンポで話し続ける、お母さん。

声色は柔らかく、優しい。
あなた

お母さん、

お母さん
ん?
あなた

あなた、間違えてた?

お母さん
…んーと、何が?
あなた

あなたがしたこと。





午後の事だった。

お母さんの仕事場について行き、そこにある幼稚園の様な施設の子供達と遊んでいる時だった。

下足室前のベンチで大人しい友達、キナコちゃんと座っていた。
そこから見える景色に興味を一切示さず、夢中になってお父さんの絵を描いていた。
男子A
おい、
あなた

男子A
おいってば!
私に話しかけてるとはつゆ知らず、私だと気づいて慌てて顔を上げた。
あなた

ど、どうしたの?

男子A
ミツキ知らね?
あなた

…ミツキちゃんがどうしたの?

男子B
べっつにー?
嫌な予感がして、落書き帳に滑らしていたクレヨンの手を止め、静かに綺麗に直した。
隣のキナコちゃんは私の袖を掴む。
あなた

ねぇ、どーして、いつも私達の遊ぶとこ、取ってくるの?

男子B
はぁ?取ってねーし!
あなた

取ってるよ!

男子B
お前らがどけばいーんだよ!
その瞬間、私の落書き帳は宙に放り投げられ、
運悪くも、昨日降った雨で出来上がった水溜まりに音を立てて落ちた。
キナコちゃん
あ、
あなた

泥にまみれ、ズブズブと水に浸っていく、私の落書き帳。
キナコちゃんは私の落書き帳に手を伸ばそうとする。
あなた

いいよ、またミツキちゃん達の先生にお願いしてみる。

そう言って、今にも泣きたい気持ちを必死に堪えて、キナコちゃんを止めた。


(お父さんの絵が…)


週に数回帰ってくる父の誕生日が今日。

せっかく準備したのに、
お父さんにあげようと思ったのに、
と思えば思うほど、喉の奥がぎゅっと締め付けられるようになる。

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