え……?
どこからか声がしたと思った瞬間、
誰かに後ろから抱きしめられる。
鼻腔を掠める花のような香りは
私の髪からただようものと同じで、
抱き寄せてきたのが誰なのかを瞬時に悟った。
芳くんは一部始終を見ていたのか、
微笑を浮かべたまま毒を吐く。
怒っているお父さんを前にしても、
芳くんはシレッとした態度で私の手を握り
踵を返す。
そのまま私を引っ張るようにして、
下駄箱に向かって歩き出した。
戸籍上……。
その言葉に胸がちくりと痛む。
悔しいけれど、お義母さんから
突きつけられた自分の立場に傷ついていると、
芳くんはぴたりと足を止めた。
それから繋いでいた私の手を強く握り、
芳くんは笑みを消して、お父さんたちを振り返る。
芳くんはそう言い捨てると、
再び私の手を引いて進む。
芳くん、ありがとう。
今ここにあなたがいてくれて、
本当によかった。
目の前の背中が普段よりも
大きく見えた気がして、
私は芳くんの存在を頼もしく思っていた。
帰り道、お義母さんの冷たい言葉を
忘れられないでいると、少し前を歩きながら
私の手を引いていた芳くんがくるりとこちらを向く。
芳くんは返事を待たずに、
私の手を引いて駆け出す。
行き先を尋ねる間もなく連れてこられたのは、
映画館だった。
私よりもはしゃぎながら、
芳くんが選んだ映画は……。
まさかのコメディ映画だった。
お腹を押さえながら、くすくすと笑っている
芳くんに脱力してしまう。
どんより気分のまま、
つけまつげが吹っ飛ぶ映像を見せられて……。
もう、悩んでたのがバカらしくなっちゃう。
強風のせいでかつらがぱたぱたと
はためく姿や、奥さんと喧嘩をして
次の日にお弁当箱に入っていたのが
離婚届だった……などなど。
爆笑映像を見て文字通り
爆笑している芳くんにつられて、
私もこっそり笑みをこぼすのだった。
星が煌く夜空の下を芳くんと歩きながら、
私たちは先ほど見た映画の感想で
盛り上がっていた。
芳くんの眼差しが柔らかくなる。
それはまるで愛しいものでも見つめるように
温かくて、胸が高鳴った。
芳くんといると、辛い気持ちも
楽しい気持ちに塗り替えられていくみたい。
彼の隣にいるだけで、私は不思議な安堵感に
包まれるのを感じていた。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。