冷めた目でマークスを見返したアイリーンは、自力で立ち上がり、腕を取り返した。差し出された書類を、ぱらぱらとめくる。いわゆる告発状だ。いつの間に集めたのか。
リリアは身分が低いから『先に挨拶するな』といじめられていた。学園祭の劇の演目をアイリーンのわがままで変更させられて、台詞を覚え直したリリアが可哀想だった。言うことに従わなければ、官僚の両親を降格させると脅された──云々、何枚も続く。
すべて匿名で、署名はもちろんない。呆れてばさりと後ろ向きに全部放り投げてやった。
ひらひらと大量の紙が舞う中で、優雅に笑う。
そう言って天鵞絨の絨毯に落ちた一枚を、靴の先で踏みにじった。そしてにこりと笑う。
アイリーンの物言いに、マークスが苛立ちと一緒に吐き捨てる。
侮辱されているのはこちらだ。こんな大勢の人間の前で、皇太子本人から婚約破棄を言い渡される。お前はみんなに嫌われているんだぞという、幼稚な告発状まで集めて──アイリーンを皆で笑いものにしようという意図がなければ、こんな展開にはならない。
だが、顔を真っ赤にして怒るセドリックも拳を握って震えているマークスも、瞳を潤ませているリリアしか目に入っていないのだろう。よくよく見ると、周囲の前面に陣取っている学生達は、攻略キャラやその取り巻きだ。
この夜会は自由参加だ。わざわざ申し合わせて出席したのだろう。そして教師が席をはずした瞬間を狙って、仕掛けてきた。
これ以上ここにいても、むなしいだけだ。むなしさを吐き出し、新しい息を吸った。
最後まで泣くな。いっそ笑え。してやったなどという優越感などかけらも与えるな。
だから、幕を引くのは自分でなければならない。
セドリックが虚をつかれたような顔をした。
だが全てを過去にしたアイリーンは完璧な作法でドレスの裾を持ち上げ、礼をする。そして優雅に踵を返し、シャンデリアの輝きを背に退場した。
泣くまいと歯を食いしばっているからか、ずきずきとこめかみが痛む。それでもひたすら考え続けた。
ゲームの展開だと、これから自分は『顔も見たくない』というセドリックの一存で、今の学園から無理矢理退学させられる。なら、その前に自主退学してしまおう。ゲームの終了は学園の卒業式。まだ三ヶ月ほどある。その時間を有効に使わねばならない。
他にもいくつかイベントがあったはずだ。まだ記憶が混乱しているのか曖昧な部分が多いが、確かアイリーンはこれから公爵家から勘当を言い渡され下町に放り出されたり、自滅の道を歩んでいく。
──そうして皆が学園を卒業するだろう三ヶ月後、いわゆるエンディングの時、悪役令嬢のアイリーンは死んでいる。
泣いてなどやらない。諦めもしない。あんな連中の幸福のために、死んでなどやらない。
考えろ。思い出せ。この状況で何かできることは──そこまで考えてはっと瞠目した。
くすりと赤い口紅を引いた唇だけで笑う。
その微笑は悪役令嬢そのものだっただろうが、涙はこぼさずにすんだ。