前の話
一覧へ
床に落ちていたしわくちゃになったシャツを着ながら
帰る支度を済ませようとするわたしに向かって
佑京さんはベッドの上から声をかけた
振り返って顔を見たら意思がゆるぎそうで、自信がない
そう呟くだるそうな声を間近で聴いてみたいと
何度画面の前で、球場の中で、そう思ったか
わたしは佑京さんのファンだから
選手のプライベートになんか入っちゃいけないし
ましてや佑京さんは奥さんもお子さんもいて
わたしはただキャンプ地でのホテルで佑京さんと
たまたま遭遇しただけ
なのに
気づいたら佑京さんが目の前にいて、
嬉しさと混乱で頭がいっぱいになって、
佑京さんに手を引かれるままに
1度だけであろうこの関係を、断りきれなかった
行きません、とだけ答えて髪の毛をまとめる
こんな形で佑京さんの記憶になんか残りたくない
そう、言いたかったけど言えなかった
佑京さんのこと、本気で好きだから
奥さんがいてもお子さんがいても、好きだから
この叶うわけない気持ちに無理やり蓋をしていたのに
自分を殺して会いに行ってたのに
ねぇ、佑京さん
ねぇ、そうやってまた
後ろから腕を絡ませてわたしの首筋に顔をうずめて
遠慮なく体重をかけて抵抗させないようにして
その爽やかで強い香水の香りを
無理やり覚えさせようとしないで、
大きな手のひらで顔を包まれたかと思うと
そのまま口付けを落とされた
佑京さんの顔を見たら抵抗できるわけなんかなくて
ただ受け入れてしまう意思の弱い自分が嫌になる
やめて
やめてよ
振り切って部屋を出るのが正しいってわかってる
でもできないの
佑京さんと目が合うと、全部どうでも良くなっちゃうの
悲しいのか嬉しいのか、涙が自然と滲む
泣きたくないのに、重い女って思われたくないのに
声が震えて上手く喋れない
喉の奥が熱くて、刺すように痛くて
好きだから、大好きだから、
もっと触れていたいしもっと目を合わせていたい
正しい形じゃなくてもいいから、特別になりたい
佑京さんがまっすぐな目でわたしを見る
見られるだけで緊張するのに、心の底から嬉しいのに
佑京さんにこんな近くで会えるのが最後かもしれない
って思うと、気持ちが止まらなくて
本当はこんなこと言うつもりじゃなかったのに
佑京さんに言いたいことが多すぎて止められない
佑京さんがわたしの腕を引く
わたしは弱いから、その手に引かれるまま佑京さんの
胸に飛び込む
その広くて厚い、胸板に
涙が止まらなくて、肩も震えて
佑京さんはそんなわたしを、強く抱きしめる
佑京さんがふっと腕の力を緩める
さっきと同じように両手でわたしの顔をすくい上げて
ゆっくりと優しく口付けをした
繰り返される口付けを受けながら、頭がぼーっとして
敵わないとしても少しでも抵抗するべきなのに
どんな佑京さんでも好きだって思っちゃって
そうできない自分が嫌いだ
佑京さんのキスは、少し勝手だ
わたしの息を吸うタイミングなんか考えない
自分本位なキスだ
でもそれを知ってしまった嬉しさと寂しさと後悔と
ごちゃまぜの感情がわたしを襲う
ずるいよ
わたしの代わりなんていくらでもいるくせに
その顔を見ると、何も言えなくなっちゃうから
これ以上、近づかないで、
これ以上、好きにさせないで
好きだって言葉が喉の奥で暴れているけど抑え込む
綺麗な心のままで佑京さんを好いていたいから
特別になりたいなんて、また愛して欲しいなんて
そんなことはもう考えたくないの
わがまますぎるよ
なんで、そんなこと言うの
この人について行っても絶対幸せになることないって
分かってるのに
わがままで子供っぽくて、自由奔放で、
そんな佑京さんがどうしようもなく好き
また涙がこぼれそうになる
鼻の奥がツンと痛くて、上手く息が出来ない
もう、埒が明かないよ、
佑京さんがまた口付けを落とす
その大きな体に包まれるのは心地よくて
体温が伝わって、なんだか安心してしまって
ここにいたらダメなのに
ダメなのは分かってるのに
やっぱりわたしは弱いから
もう抵抗する気力もなくてされるがままにベッドに
押し倒されて
ただ佑京さんにこの気持ちを溶かして欲しくて
わたしの腰を撫でながらキスしてくれる佑京さんを
ただ、
ただ受け入れてしまった____
________________________
感想、リクエスト等たくさん受け付けてます*.+゚
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!<br />転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。