第5話

【頂点男子とすそ野女子の攻防-2】
3,128
2019/08/09 01:09
それにしてもイチ、身長伸びたな。わたしのほうが大きかった時期もあったのに、今では百七十五くらいはありそうな。わたしと十五センチ以上違っちゃう。そんなイチの後ろから覗き込むようにして包丁を動かす。
桜木 蒼
桜木 蒼
いーい? いくよ? 包丁このまま動かすよ?
松風一威
松風一威
…………
固まっているイチにかまわず、イチの手の上から握った包丁をリズミカルに押し出す。
桜木 蒼
桜木 蒼
こうやってすっすっすっ。ね? 難しくないでしょ?
松風一威
松風一威
わっ。わかったよっ。むずくねえってば。だから離れろ!
桜木 蒼
桜木 蒼
うん。もうイケる?
松風一威
松風一威
こんなのぜんぜんひとりで平気だよっ!
桜木 蒼
桜木 蒼
イチ、危ないから包丁振り回さないでよ
松風一威
松風一威
別に振り回してねえだろ、これでいいんだな
桜木 蒼
桜木 蒼
え、違、あ─────っ
松風一威
松風一威
ぎぃゃああああーっ!!
……けっきょくイチは人差し指の爪を包丁の切っ先にひっかけ、けっこうな量の血がまな板についた。
松風一威
松風一威
わりーな、蒼
桜木 蒼
桜木 蒼
いいえー
大量の食材を猛スピードで捌くわたしに対し、指に大判の絆創膏を貼ってダイニングテーブルに陣取っているイチは、足組みをしてスマホ画面に視線を落としている。ぜんぜん悪いと思っている態度じゃない。

でもあのまま危なっかしい手つきのイチを気にかけながら自分の作業をしていたんじゃ、時間までに到底終わらないだろうな。幸い、イチの怪我もたいしたことがなさそうだ。戦力になってくれるのはきっとまだまだ先。

イチのお父さんは料理が得意で器用なほうだったと記憶しているけど、そこは受け継いでいないのかもしれない。

顔や性格は似ている。人を巻き込んでやみくもに突っ走るチャレンジ精神なんか、そっくりだ。

イチのお父さんは、今ではすっかり有名になったITベンチャー企業の創設者数人のうちのひとりだった。あの事故がおこらなければ、今頃イチは大富豪のひとり息子になっていただろう。

時がたったのだ。あの事故から七年。わたしもイチも、こうしておだやかな日常を送れるようになっている。

しゃかりきになってじゃがいもの皮むきをしているわたしの近くで、リラックスした表情でスマホをいじるイチ。イチはたまに顔をあげてこっちを確認し、また視線を落とす。午後のほんのりと色づいた光の中で感じるこんな空気が、わたしは、きっと、嫌いじゃないんだ、と思う。

たとえイチたちのホネ会に、わたしは入ることが不可能だとしても。

できればあの人たちが現れる前に、料理を作り終えて家に帰りたい。今日のステーキメインのメニューじゃ無理だけど。
春日部大和
春日部大和
よおーっす! イチ、いーいー?
玄関から第一陣の声がする。この声はイチと一番仲良しの春日部大和くん、だろうか? この子はイチと同じバスケ部。午前中は一緒に学校にいたんだろう。今日の集まりは全員で八人だと聞いている。
松風一威
松風一威
入ってこいよー、大和
春日部大和
春日部大和
ういーっす
玄関まで迎えに出ることもなく、大声で応えているイチ。

だめだ、料理が若干遅れ気味。

最後に調理する予定のステーキだけは、できたてにこだわらなくちゃならないから、みんなが来てからのスタートでも仕方がないと思っていた。でも他の料理はコンプリートしておきたかったのに。
春日部大和
春日部大和
わっるいのー、なんだよイチ、手伝えよ。蒼ちゃんひとりでこんだけ料理すんのめちゃ大変じゃんか
春日部くんはイチの背中をドーンと叩いた。
松風一威
松風一威
最初はやったんだよ。でも手ぇ切った
春日部大和
春日部大和
どんまい
イチがひらつかせた絆創膏に視線を移すこともなく、春日部くんは口先だけでなぐさめた。

プリ小説オーディオドラマ