第3話

3 美形騎士のお迎えです
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2024/04/12 02:00
リーチェ
リーチェ
(うわぁ……綺麗な人!)
 踊り場に立っていたのは、びっくりするくらいの美形だった。

 垂れぎみの碧眼は甘く、少し長めの金髪は波打つようにたゆたっている。
 着ている物も上品で、高貴な雰囲気にあっていた。

 案内役と世間話をしているので常連のようだ。
リーチェ
リーチェ
(この人もお客よね)
リーチェ
リーチェ
(ひょっとしてここは
 貴族御用達の高級店なのかしら?)
 考えていたら、青年は会話を切り上げて私の方を見た。
謎の青年
謎の青年
ごめん
急いでいるから通っていいかな?
リーチェ
リーチェ
は、はい!
 階段の端に避けると、青年は素早く脇を通り抜けた。
 爽やかなミュゲの香水の匂いに、頭がクラッとする。

 たどり着いた最上階の部屋は、貴族のカントリーハウスみたいだった。
 金の装飾が施されたベッドも、薔薇模様が織り込まれた絨毯も上等品だ。
マダムの部下
ここで客を待っていろ
衣装はクローゼットに入っている
 不親切な説明だけで、私は部屋に取り残された。

 とりあえずクローゼットを開けてみる。
 露出が多めの悪趣味なドレスが何枚もかかっていた。

 私は深緑色のドレスを選んで着替えた。

 艶のあるサテン生地に金のブレードが縫い付けられている。
 デコルテが大きく開いているので恥ずかしい。
リーチェ
リーチェ
(私、まだ十七才なんですけど)
 結婚前の令嬢にはふしだらすぎる服装だ。
 もしも両親が今の姿を見たら、泡を吹いて倒れていると思う。
 
 ドレスは一人で着られるようになっていた。
リーチェ
リーチェ
(簡単に着られるってことは
 簡単に脱がせられるってことなのよね……)
 嫌だ。
 嫌すぎる。

 私は、ふかふかのベッドに腰かけて途方に暮れた。

 窓から見える空はすっかり暗くなり、一番星がまたたいていた。

 階下のざわめきが遠くに聞こえる。
 たぶん、一日の仕事を終えた客が続々と到着しているのだろう。

 その中には、私との一夜にお金を払う男性もいるかもしれない。
リーチェ
リーチェ
(どうしよう……怖い)
 震える体を両腕で抱きしめる。
 泣き叫んでも助けが来ないことは、物置部屋で十分に思い知った。
 こんな時、孤独は毒だ。
 内側からあふれる不安で胸がいっぱいになって、自然と涙が湧き上がってくる。

 泣くのをこらえて頬を赤くしていると、扉がコンコンとノックされた。
マダムの部下
ベアトリーチェ、お客様だ!
 案内役のだみ声がくぐもって聞こえる。
 ついに初めての客が来てしまったようだ。

 私は重い腰を上げて、扉の方へと歩み寄った。

 客を出迎える所作なんて教わっていない。
 けれど、みっともない姿をさらすのは、ネファード侯爵令嬢として許せなかった。

 背筋を伸ばして、表情を整えて、弱い自分に気合を入れる。
リーチェ
リーチェ
(ぜったいに泣いたりするものですか)
 静かに開く扉を見つめる。
 客が現れたら、潔く笑いかけてやろう。

 私はちっとも怯えてなんかいませんよって。

 しかし、その思いは一瞬で打ち砕かれた。

 開いた扉の向こうに立っていたのは、
リーチェ
リーチェ
……イヴァン?
 学園生活で嫌というほど見た顔。

 ニコラスの護衛でありクラスメイトでもあった、近衛騎士のイヴァン・メルヴィルだった。
リーチェ
リーチェ
なぜ、あなたがここに……
 私が知っているイヴァンは、無口で誠実な男子だ。

 学生でありながら近衛騎士としての職務に忠実。
 羽目を外したところなんて一度も見たことがない。
 それどころか笑った顔すら記憶になかった。

 星明りを集めてつむいだような銀髪は、紺色の髪をしたニコラスと対照的。
 身長はイヴァンの方が高いが王太子より目立つことなく、どこにでも影のようについて回った。

 ニコラスの婚約者だった私もよく顔を合わせていた。
 彼がキャンディに夢中になって面会をすっぽかすことが増える前は、の話だけど。
リーチェ
リーチェ
(娼館を利用するような人には見えなかったけど)
 人は見かけによらないとはよく言ったものだ。

 入室したイヴァンは、私を上から下まで順に見た。
 親の仇を目にしたように険しい顔つきだ。
リーチェ
リーチェ
(なんでそんなに怖い顔つきなの!?)
 あまりの剣幕に、私はガタガタ震えた。

 イヴァンは、震度三の地震くらい揺れる私には目もくれない。
 無言のまま、指先やつま先にまでしっかりと視線を滑らせた。
イヴァン
イヴァン
 ……服がパーティーの夜と違います
 誰かに肌をさらしましたか?
リーチェ
リーチェ
えっ?
リーチェ
リーチェ
い、いいえ
リーチェ
リーチェ
入浴と着替えはしたけど
全部自分一人でやったわ
 その情報いる?
 と思いながら答えると、青い瞳がふっと細まった。
イヴァン
イヴァン
間に合ってよかった
 彼はそう言うなり、騎士服の裾をひるがえしてその場にひざまずいた。
イヴァン
イヴァン
ベアトリーチェ様
イヴァン
イヴァン
とある方のご命令により
あなたを迎えにまいりました
リーチェ
リーチェ
私を?
 にわかには信じられなくて、私はしぱしぱと瞬きした。

 婚約破棄され、娼館へ追放され、暗い物置部屋で過ごした夜に、世界中から見捨てられたと思った。

 どんなに努力しても悪役令嬢の運命からは逃れられない。
 そう悟って、ここで朽ち果てるのだと覚悟していたのに――。
リーチェ
リーチェ
ここから出してくれるの?
 そろそろと尋ねれば、深く頭を垂れていたイヴァンはすっくと立ちあがった。
イヴァン
イヴァン
俺が責任を持って
あなたを安全なところへお連れします
リーチェ
リーチェ
ありがとう
お願いするわ
 イヴァンと部屋を出た私は、その足で一階のマダムの部屋を訪れた。

 マダムは、彼の身請けしたいという申し出に渋っていたが、小切手を見せると急に態度が変わった。

 予想よりずっと高額だったのだろう。
リーチェ
リーチェ
(こんな大金をポンと出してくれた
 〝とある方〟って誰なのかしら?)
 ネファード侯爵家ではない。
 もしも父だったらイヴァンを使わずに私兵を使って私を助け出したはずだ。

 今頃の我が家は、娘が王太子に婚約破棄されたとてんやわんやだろう。
 没落の危険すらあるため、大金を動かせる状況ではない。

 となれば、侯爵家と繋がりのある貴族だろうか。
リーチェ
リーチェ
(それもないわね)
 彼らは、私に手を貸せば王太子の不興を買うと心得ている。
 いずれニコラスが国王になった際に重用されなくなる危険を冒すとは思えない。
リーチェ
リーチェ
(うーん、謎だわ)
 正体がわからないので〝謎の貴族〟と命名しよう。
 誰なのか分かったら、たくさん感謝を伝えたい。

 支払いを終えて、私たちは娼館の裏口へ向かった。
 使用人たちに見られないように、頭から布を被ってこっそり表に出る。

 人通りのない裏道を進んでいくと、開けた場所に馬車が停められていた。

 かろうじて屋根が付いているようなオンボロだったので、私は面食らってしまった。

 これまで、豪華な自家用馬車にしか乗ったことがなかったのだ。
イヴァン
イヴァン
古びていますが、掃除はしてあります
 イヴァンが教えてくれた通り、乗ってみたら中はあんがい綺麗だった。
 座席が固くて長く乗っていたらお尻が痛くなりそうだけど、娼館にいるよりずっといい。

 彼と向かい合わせに座ると、馬車が走り出す。

 かき合わせていた布を外す。
 冷たい夜風が肌を撫でた。
リーチェ
リーチェ
(私……娼館を出られたんだわ)
 正直言って、実感が湧かない。

 馬車は暗い街を黒い獣のように駆け抜ける。
 市場の近くを通り、貴族の邸宅が並ぶ一帯のそばをかすめ、宮殿の方へと。
リーチェ
リーチェ
もしかして宮殿へ向かっているの?
イヴァン
イヴァン
宮殿へは入りません
イヴァン
イヴァン
これからお連れする場所は
その近くです
 この辺りは王家が所有する土地だ。

 豊かな自然がそのまま生かされていて、宮殿までの道には綺麗な川が流れている。
 周囲には草原や森もある。

 王家の敷地に裏門から入った馬車は、宮殿から遠ざかるように北へ走った。
リーチェ
リーチェ
(どこへ行くのかしら?)
 木々の影を見つめていると、やがて馬車が止まった。
イヴァン
イヴァン
着きました
 イヴァンに続いて馬車を降りる。
 目に飛び込んできたのは、二階建てのアパートみたいな長方形のお屋敷だった。
リーチェ
リーチェ
ここは?
イヴァン
イヴァン
近衛騎士団の寮です

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