ようやく食べ物を口にできた僕は、ノーズの用意してくれたおにぎりを食べるとホッと一息ついた。
結局あの夜からずっと僕に付き添ってたノーズは、四日間も学校を休んでいたらしい。もう平気だからと、無理矢理部屋から追い出すようにして渋る彼を登校させた。僕とチアキの不登校に付き合う必要はないのだ。
僕は改めてここ数日のことを思い出していた。
かつてノーズの友達だったまーくん、親に雇われてオトモダチ役を演じていた二宮、そして、僕らを友達と呼ばないノーズ。
そう思いながら、僕らもノーズのことを友達と呼べるのかな? とふと思う。
友達と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、チアキとサトシとケンジとミハルだ。バンドを組んでたんだから当たり前なんだけど、楽器を手にしていない時でも彼らとは色んな話をしたし、たくさん遊んだ。
いつも朗らかに笑っていた明るい笑顔の彼女を思い出して、じわりと視界が歪んだ。ミハルはもう居ない。サトシとケンジも居ない。
僕の、僕らの未来は消えてしまった。
クラスメイトの、友達だと思っていた奴らは友達なんかじゃなかった。事情をよく知りもせず、僕らのことを遠巻きにし、影口を叩かれた。そんな奴ら友達だと思わないし、要らない。
ああ、そうか。「友達」が裏切り、離れていってしまうのなら、その度に傷ついてしまうのなら、友達なんて要らないと、ノーズは思ってるんだ。事実、まーくんと二宮、2度も親友を失ったノーズの心の傷は相当に深いのだろう。
利害関係で結びついてる方が、分かりやすくていい。目的が果たされるまでは、その関係は無くならないんだから。皮肉にも、二宮が良い例だろう。
金のため、親の会社のため。その目的があるうちは、裏切られることはない。
ノーズは以前、俺を利用しろと言った。ノーズも僕らを利用しているから、と。
僕らを利用してる?
僕らはノーズが居なければ今こうして生きてはいなかっただろうし、衣食住全て頼り切っているから納得なんだけど、僕らは一体何を利用されてるんだろう?
ノーズや二宮の親みたいに、金だの権力だの、そんな利権、僕の父さんは普通の会社員だし、そんなモノとはどう考えても無縁な気がする。
でもこの部屋を追い出されないってことは、何か僕にでも役に立っていることがあるということなんだろうか。
刺された時の痛みをふと思い出して、僕は顔を顰め、腹をさすった。
ノーズは僕の恩人で、この身を危険と痛みに晒してまで庇うほどに大事なんだと思ってるんだと、気付く。利害関係なんて無くても、その側を離れたりしない。けれど、それこそ利害関係からくるものなんだろうか。だって、ノーズが居なくなれば、僕らの方こそ何も無くなってしまう。
ナイフの前に飛び出した時はそんな事考える暇も無かったし、利害なんて関係ないと僕は思ってるけれど、ノーズはそうは思わないんだろうか。
関係ないと思いたいだけで、僕らも実は、利害で動いているのだろうか。
この心はどこにある?
ぐるぐると渦巻く感情を見つめてみても、何も掴めない。
それ以上の言葉が見つからず、僕は思考を諦めてギターを手に取った。
腹に鈍く残っていた違和感も無くなり、僕はすっかり以前の体調を取り戻していた。
寝込んでた間に携帯に入っていた父さんのメッセージにも、適当に返事を返す。すぐ返信していないにも関わらず、着信はなかった。
仕事忙しいのかな。
だとしても、ちょっと寂しい。とはいえ、刺されて寝てましたなんて言えるはずもないんだけど。
僕は弦を弾いていた指を止めると、ソファの背へと体を預けた。
ギターを弾くのも、タブレットで遊ぶのも飽きてきた。
部屋からずっと出てないから体力落ちたかなぁ、と心の中でぼやきながら大きく伸びをする。その際に、背中の鱗が服に引っかかった感触があった。
何だろうと思い、肩をぐるりと回しながら様子を伺う。やはり布地に引っかかる感覚と、少し痒いような違和感に、腕の裏側にある鱗を確認してみる。
すると、つるりとした鱗の青が少し曇っているように見えた。触ってみると表面から浮いている皮のようなものがある。
それは白っぽい幕になっていて、肌と鱗の境目から綺麗に剥がれた。鱗にくっついているように見えるが、端から引っ張っていくと以前よりも艶の良い青が現れたような気がする。これって、つまり……。
僕は顔を顰めた。気持ち悪い以外の何物でもない。
これってもしかして身体中?
そう思うと、僕はハッとして反対の腕と背中の鱗を確認して項垂れた。
蛇の遺伝子はそのDNAを忠実に守るらしい。
幸い引っ張れば綺麗に剥がれてくれるみたいだ。僕は腕の皮を、加減しながらも一気に引っ張った。
途端にヒリヒリとした痛みに襲われ、恐る恐る腕を確認すると、まだ鱗にぴたりとくっついてる皮膚が無理に剥がれたせいで赤いものが滲んで、皮はそこで負荷に耐えられずに千切れていた。
滲み出た赤が直ぐに止まるのを、苦々しい思いで眺める。
いっそ痛みも無くなれば良いのに。ああでもそうしたら失血に気づかずに本当に死ぬのかな。ならばそれでも良いんだけど。あれ、でも傷は勝手に塞がっていく。血が流れ出るのと、傷が塞がるのと、どっちが早いのかな……どっちでもいいか。
僕は盛大にため息を吐くと、ノーズのコレクションを漁るべく、本棚の前へと移動する。
大量にある本はその棚に収まり切らず、その前にも無造作に山積みになっている。その山の一つ、最近自分も読んだ覚えのあるそれを、上から一冊ずつ手に取っていく。
全て、蛇の生態に関連する本だ。ノーズほど熱心には読んでいないが、大まかに目を通したうちの何冊か、何ページかに脱皮についての項目があったはず。
数冊ペラペラと捲り、該当する記事を見つけて目を留める。
蛇の飼育について書かれた本で、写真付きのその説明は丁寧であるが、蛇の鱗の色さえ違うが、先程自分の腕に起こっていたのとそっくりな現象が載っていて、僕は眉を顰めた。
ほんと、蛇なんだな……。
沈みそうになる気持ちを取り直して、記事を目で追う。
集中していたから、二人がドアを開けるまで気付かなかった。
驚いて、ハッと顔を上げた。
いつもはドアの手前で微かな足音に気付くんだけど。
不思議そう首を傾げながら近づいてきたノーズが、僕の手にした本を覗き込んだ
ノーズが帰ってくるまでに何とかしたかったなぁ、と僕はこっそり心の中で舌打ちする。
案の定、心配そうな表情に変わったその顔が、僕の鱗を覗こうと手を伸ばしてくる。
僕はその手に持っていた本を押し付けると、服を捲られる前に自ら腕を見せた。
目の前のデカイ図体は、その手にした本の写真と見比べながら、ふむ、なんて頷いている。
本を置くとマジマジと細い腕を眺めて、赤く滲んだものに気付く。それを血だと認識して、ノーズは太い眉を顰めた。
ほらね、やっぱりそう言い出す。
心の中で文句を垂れつつも、こうなることは予測できてたよね、と僕は諦めのため息を吐いた。
僕の腕を取ってしばらくじっくりと観察していたノーズだったけど、本をめくっては肌と見比べて、しばらくそんなのを続けた後、
そう言いおくと部屋を出て行ってしまった。
浮いているように見えて張り付いている皮を、少しずつ濡らしながらそうっと剥がす。
僕らはソファに寝かされて、上着を脱いでいた。ソファが濡れないようにと敷いたバスタオルの上にうつ伏せて、ノーズの手が鱗に沿ってゆっくり撫でているのを感じる。剥がすときに引っ張られる感覚と、お湯を馴染ませる大きな手の感触がくすぐったくて、笑いを堪えるのに必死なんだけど、痛むのか?、なんて真面目な顔で心配そうに聞かれると、思わず吹き出してしまう。
振り返ると、面食らったような顔があった。ホッとしたのかすぐに顔が緩むと、背中の真ん中を撫でていた手が脇腹に移動したかと思うと、肌と鱗の境目を指先でこちょこちょとくすぐられる。
足をバタ付かせ、身体を捩って抵抗するが、その筋肉質な腕を押してもビクともしない。
目尻に涙が浮かび息も苦しくなって来た僕は、動きを止めないノーズの腕をいよいよ本気で抑えようと身体を仰向かせようとした時だった。
皮張りのソファとバスタオルがつるりと滑って体のバランスを崩す。
さほど高くない座面から滑り落ちたチアキは僕の手を掴む。僕らの身体は、その下に置いてあったお湯の張ってあるタライに、腰から落っこちた。
バシャリと弾ける飛沫を浴びたノーズとその周辺がびしょ濡れになり、何が起きたか一瞬分からずに固まった。
水を吸って重くなったズボンが肌に張り付いて下着までぐしょぐしょの不快感に、タライのフチに軽く打ちつけた腰をさすりながら身体を起こして顔を顰める。
言いながら手を取って起こしてくれたけど、その顔は楽しそうで、お互いずぶ濡れの姿を見合って笑った。
ノーズの部屋、絨毯ばりの床がお湯を吸い込んで湿っていて気持ち悪い。その上を裸足の爪先でやり過ごすと、三人して水滴を垂らしながらバスルームへと向かったのだった。
お湯で温めて馴染ませ、そっと引っ張ると綺麗に剥がれた皮だったが、腰から下に張り付いている箇所があり、すんなり剥がれなかった。ノーズが思い出したように、でっかい歯ブラシみたいなものを持ち出してきた。ボディブラシだそうだ。
掃除道具にも見えなくないそれは、平たい柄の先に、白いブラシが付いている。それを濡らして、腰から尻にかけて張り付いている皮をノーズが擦った。
サワサワと肌を這う柔らかい毛がくすぐったさとはまた違う感触で、思わず漏れた声を慌てて塞いだ。ノーズのもつボディブラシの柄を握ってその動きを止める。
場所が場所だけに、変な気分だ。恥ずかしい。
残念そうな顔をするノーズに、
サワサワと撫でるような感覚のそれは確かに、ぴたりと張り付いている薄皮には変化が見られず、あまり効果が無いようだ。それを認めると、ノーズは渋々と手を下ろし、僕は胸を撫で下ろした。
洗い場であれこれしていたためにすっかり冷えた僕らは、言いながら湯船に浸かった。
明るい時間に入るお風呂は気持ちいい。この変な身体になってから、十分な温かさと湿度の保たれたバスルームは、以前よりもずっと快適に思うようになった。
足を伸ばして悠々と浸かっているノーズのそれを小刻みに突くように蹴ると、苦笑して胡座をかく。その身体を眺める。
体格が良くて、ぶよぶよしていない引き締まっている身体は、やはり単純に羨ましい。既に足のサイズは27を超えるらしいそれは、己のと合わせてみても巨人と小人かと思うほどサイズが違う。しかもまだ小5。まだまだ成長の途中だとすると、これ以上、どこがどう伸びるのだろうかと僕は思わず首を傾げた。
問われ、フイと視線を逸らした。
思い出したようにこちらを探るように眺めてくる。今まで忘れていたのは、その傷跡さえも綺麗に消えていたからだろう。
湯船に浸かったままで良く見えない患部を覗こうと、大きな身体がこちらに近寄ってくる。
至極真面目な表情で迫ってくるノーズに後ずさるが、逃げ場のない浴槽なんてすぐに捕まる。
大きな手が脇腹を、小さな子どもを抱くようにして支えると浮力で難なく体が浮いた。下腹の傷跡を湯船から上げさせられ、僕は膝立ちになる。
ノーズは穏やかでいて、時にすごく強引だ。その強引さは、櫂を失ってゆらゆらと海面を彷徨う船みたいな僕には導きをくれる心地よいものでもあるけれど、逆らい難いものでもある。その声音が、動作が、何故か不思議な力を纏っていて、有無を言わせない響きがある。
それは帝王学の賜物ってやつなのだろうか。
ノーズの部屋にある分厚い本。熟読していると言っていた。禁じられもしなかったので中を覗いてみたけれど、こんな本があるんだなと、変な内容だなという感想しか持たなかった。いくら学んだからと言ってここまでの貫禄というか、堂々さというか、そんなものがノーズからは滲み出ているような気がする。もちろん良い意味で、なんだけど。
持ち上げすぎかな、なんて思っていると真剣な顔でかつて傷があった場所を眺めている彼の動作に、僕の身体が跳ね上がった。
いつの間にか鱗を観察していたノーズの手が、腰の下のふやけた皮を引っ張ったのだ。その声に驚いたのか、紅い瞳がキョトンと僕を見つめている。
既に羞恥を捨て、好きなようにさせていたために、油断していた。
剥がした箇所を指の腹で撫でながら、僕の返事も待たずに残っていた皮をスルスルと剥ぎ取っていく。その感触にゾワゾワとしたものを感じながら、ノーズの這う手を押さえて、僕は思わず口走ってしまった。
今度こそピタリと動作を止めたノーズが、オウム返しのように呟いた。
僕はしまった、と思う。そもそもノーズが友達は要らないと思っているっていう考えに行き着いたばかりなのに、そしてそれに僕も納得したはずなのに。
言いながら、じゃあ何だろう? と自問自答してしまう。
軽く目を見開いた後、しばらく黙り込んでいたノーズが呟いた。
聞き慣れない言葉に、今度は僕が目を丸くした。その文字だけが頭の中に響く。
パートナーって、ええと、夫婦とか? ああ、相棒とかいう意味もある、のかな。
外国語であるが、日常に溶け込んでいるその言葉の意味を必死に思い出していると、すっかり冷えた僕の身体に気づいたノーズの手が、促すように湯船に引き込んだ。
なすがままに胸まで浸かった僕は、ノーズの顔を見上げる。
困る? ノーズは一体何を困ることがあるんだろう。
まるで釣り合わないパートナーだと思う。
『友達』なんかよりもっと深くて重い気がするんだけど、悪くない、と思った。
でもそれって捉え方の問題で、ただの言葉遊びかもしれない。けれど言葉の響きで、こんなにも印象が違うのは何故だろう。
淡々と語るその話しぶりはまるで他人事のようだけど、穏やかで優しい瞳が微笑んで僕を見つめている。
それって、それって、すごい告白。僕らはただその腕に縋り頼っていただけなのに、それがノーズを満たしていたということに、嬉しい反面、居た堪れなくなる。あんなこんな、情けない格好もたくさん見せたことを今更思い出して、その顔に思わず背を向けた。
湯船の中、背を向けた腰の辺りが引っ張られる感触に、ノーズが皮を取ろうとしているのだと気付く。
僕らは順当な出会いをしていない。友達とは、お互いが対等な関係であることだと思う。でも、僕らは最初から、対等ではなかった。今も。
けれど、偶然にもパズルの隣り合うピースのように、ピタリとハマったんだ。たくさんの小さなピースのうちの三つが、偶然出会った唯一無二のパートナーだったのだ。きっとそうなんだ。
そう思うと、心の中で何かがストンと落ち、綺麗に整っていくのを感じたのだった。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。