第171話

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2019/07/28 07:43


お兄ちゃんに引っ張られるまま、私は病院に行った。

その間、ずっと私もお兄ちゃんも無言だった。

私はずっと下を向いていて、顔を上げることはなかった。

人が死んだっていうのに、涙一つ流さない私は冷酷な人かな?

でも、出ないんだもん。

涙がでてこない。

不思議なくらい。

心が動かない。

今だって……まるで昨日のことのように思い出せる。

海人と過ごしたクリスマスイブの夜。

一緒にスケートをしたこと。

誕生日を理科室で祝ってくれたこと。

告白をした文化祭。

屋上で抱きしめてくれたこと。

夕日が照らす教室で、手を差し伸べてくれたこと。

大きな背中。

温かくて安心する手。

低くて落ち着く声。

髪をかきあげる仕草。

輝く黄色の瞳。

「海色」の髪。

全部全部残ってる。

すべて覚えてる。

だから……

消えるなんて、そんなのあるはずない。

またあの笑顔で笑ってくれる。

「みく」って呼びかけてくれる。

絶対……。

死んだなんて、嘘に決まってるんだから。










みく……覚悟はいい?


さっきまで、看護師と話していたお兄ちゃんが私に向き直る。

覚悟ってなに……?

そんなの知らない。
海人の顔を……見てあげよう


海人に会えるの?

そうだ……私、ずっと海人に会っていない。

クリスマスイブ以来だ。

海人、海人……。

早く会いたい。
みく
行く……


早く会わせてよ。

私の彼氏。

最愛の人。

海人に……。

お兄ちゃんは何故か一瞬切なそうな目をしてから、私の手を引く。

さっきは腕を無理矢理掴まれていたけど。

今は私の手を優しく握っていてくれていた。

久しぶりだ。

お兄ちゃんと手を繋ぐの。

お兄ちゃんはそのまま無言で長い廊下を歩く。

コツコツと私たちの足音だけが響く。

白くて無駄にピカピカな廊下を進む。

そして、一番突き当りの部屋にたどり着く。

シン……と静まり返った部屋。

私はドアの上にあるプレートを見てみる。






『霊安室』




レイアンシツ

霊安室……?

ここは何の部屋だろう?

私……知らない。

だけど、なんだかこの部屋を取り巻く空気。

鋭い刃物のようなもので壊れ物を守っているみたいな……。

言葉では言えないけど……なんか嫌だ。

入りたくない。

この部屋に入ってしまえば……。

この空気にのまれてしまったら。

何かが壊れてしまう気がする。

嫌だ……嫌だ……。


失礼します……


お兄ちゃんが静かに、重いドアを開く。

キィー……

白くて分厚いドアがきしんだ音をたてて開く。

その部屋にあったもの。





花が何本か入れられた花瓶。

花瓶の横にはロウソクがあって。

ゆらゆらと奇妙な感じに触れている。

そして……

ロウソクの前。





白いシーツがかけられたベット。

そこに横たわる人一人。

ピクリとも動かない手足。

顔にはシワ一つない白布がかけられている。

その白布から見える髪は。





サラサラの「海色」の髪。








こんばんは……

お兄ちゃんが静かに挨拶する。

私は病院に着いてから、初めて顔を上げた。
愛音
みく……


そこには、私のお母さんとお父さんと同じくらいの年齢の男女二人と。

愛音ちゃんがいた……。

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