第6話

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2022/07/25 21:00




あなた
じゃあ、行ってきます
南
......ちょっと待って
あなた
え?
南
ちょっと、こっち来て
あなた
ぇあ...はい




今朝は正直、いつもみたいに話すなんてできなかった。


だって私は浮気して、クズなことをした立場だから。


いつものようにスーツを着て、ヒールに足を突っ込んで。


いつもなら行きたくない〜なんて駄々こねて南にひっつくけど、それをする気すらも起きなかった。


いつもより少し早い時間帯。玄関の向こう側に踏み出そうとしたその時。


突然呼び止められて固まった私の襟に、南の腕が伸びてきて。


素早くボタンを外したかと思えば、顕になった私の黒歴史の隣に唇で触れた。


それはそれは優しくて、驚くほどにくすぐったい。


でも強く、あまりに力強いものだった。



あなた
なにを...?
南
…宣戦布告。私のあなたに手出さんといてって印
南
ほら、シャキッとして!会社行って、何もせず帰ってくればいい話やろ?
南
私はもうあなたのしたことに言及するつもりないから。思い出したくもないし。
あなた
……今日の帰り、南の会社行っていい?
南
…え?今日?なん…急に?
あなた
私なりの、反省。これから南の会社行って、もう会ってないって見せし…戒め?にする
南
………わかった。待ってるから、ちゃんと来てな?
あなた
うん…ありがと
南
…じゃあ、行ってらっしゃい!また後でな!!
あなた
…行ってきますっ!








もう、決めた。


紗夏に何言われても絶対行かないし会話もしない。


なんなら目も合わせないって宣言してやる。


私が好きなのは南だけだし、紗夏は同僚。


その関係は揺るぎないし、これからも変わることはない。


…私は、もう幸せを壊したくない。






























"あなた、呼ばれてる"
あなた
え?誰にですか?
"隣の湊崎さん。なんか怒ってたけどなんかしたの?"
あなた
...ちょっと、今忙しいって言って貰えますか?
"あ〜...了解。"




うちの部署の人は、大概の人が私に恋人がいることを知っている。


なぜなら私が散々惚気まくりながら仕事をしていた時期があったから。


ちなみに相手が女性であることも知ってる。なぜなら私が惚気まくっていたから。


そして最近、というかだいぶ前から心配されていた。


恋人という存在がいる私に距離を考えず接してくる紗夏のことを。


困ったらいいなよ、なんて頼もしいことを言ってくれる先輩や、ちょっと羨ましいけどななんて言う同期の男性社員。


私の教育係だった先輩は何かとよくしてくれて、今のように紗夏を撃退(?)してくれるのも今回が初めてではない。


先輩に頭を下げて、嘘をついてもらうように頼んで画面に目を向ける。


液晶の隣に置いてある南の写真を見て、今朝の南の笑顔を思い出して。


自分を律するためと、単純に眺めるための南の写真に励まされながらキーボードを叩く。




“あ、ちょっと…“




ちょうどEnterキーを押したそのタイミングで、後ろから先輩の少し焦ったような声が聞こえた。


直後、私の名を呼ぶ声も。



紗夏
紗夏
なぁ、あなた

…頼むから、やめてくれ

紗夏
紗夏
無視するん?なぁって
紗夏
紗夏
…あんまりやろ、何にも言わんで連絡先消すとかさいてー。
あなた
……残してたら、連絡してくるでしょ
紗夏
紗夏
なんなん?せめて理由くらい話してくれてもええやん。
あなた
…ちょっと、場所変えよ。ここじゃ話せない
紗夏
紗夏
…わかった





結局口を開いてしまった。結局目を合わせてしまった。


決意の甘さが垣間見えた。結局私はどちらを捨てることもできないらしい。


あの場で話してしまえばよかった。でもその勇気はなかった。


あの場で全てを話すということは、私が浮気していた事実を周囲の人間に聞かれる可能性があるということ。


結局世間体を最優先にした結果の、過ち。


そう気付くのは、他に人のいない会議室に連れ込まれてすぐだった。



あなた
…もう、辞めるって決めたの
紗夏
紗夏
今更?あんなに紗夏で遊んだくせに、そうやって捨てるん?
あなた
捨てるって、そもそも紗夏を私のものにした覚えはない
紗夏
紗夏
…許さん。そんな自分勝手、許すわけないやろ
あなた
…自分勝手は、紗夏の方でしょ
紗夏
紗夏
そういうこと言うん。あぁそう。なら分からせるしかないなぁ
あなた
何言って...っ…?!や、っめ……!
紗夏
紗夏
…ん……っふ……はは、顔赤くなっとるやん笑
あなた
きゅっ...急にされたら…そうなるに、決まってんじゃん
紗夏
紗夏
…なぁ、今の人と別れて?
あなた
…は?
紗夏
紗夏
今の人と別れて、紗夏と付き合う。名案やろ
あなた
馬鹿言わないで。私は別れるつもりも紗夏と付き合うつもりもないから
紗夏
紗夏
それならこんな二人きりになる場所選ばんと思うけど?
あなた
それはっ…
紗夏
紗夏
…浮気、バレたんやろ
あなた
…自分で話した。ていうか、紗夏がつけたこれのせいでバレた
紗夏
紗夏
どれ?
あなた
これ。なんでこんな際どい所につけるかな
紗夏
紗夏
あぁ…笑 でもつけるなとは言わないんやね?
あなた
…言ってるもつけるでしょ
紗夏
紗夏
よく分かっとるやん笑 それは分かるのに、紗夏がやめるつもりないってのは分からんのな
あなた
紗夏がやめるつもりなくても私はもうやめる。これから必要以上の会話はしないし、関わらない。
紗夏
紗夏
……まぁ、好きにしたらええよ。思い通りに行くかどうかは知らんけどな
あなた
は…何その言い草。何するつもり?
紗夏
紗夏
別に。ただ紗夏やってあなたのこと好きやし、そう簡単に引き下がらないって話。
紗夏
紗夏
それに......あの子が、許さんと思うしな
あなた
...は?あの子って?
紗夏
紗夏
ううん、なんでも。知らんでええよあなたは。じゃ、また後でな
あなた
…………なんなの







部屋に連れ込まれて、弱々しく言い返して、挙句の果てにキスまでされて、深くまで翻弄されて。


浮気しないと宣言した翌日に、口を塞がれる情けない人間。


ため息をついても、口を拭ってみても。


あの柔らかい感触は私を紗夏に引き戻すだけで反省すらもさせてくれない。


そのままデスクに戻る気も起きず、でもこの場にいたくもない。


このまま仕事に戻っても、多分仕事にならない。


どうしようもなくなった私は、その場に座り込んで。


ポケットに入れていた携帯で、着信をかけた。























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