第8話

第二幕 愛の喜び 第一話 呪文
50
2022/07/29 23:52
 蘇る、酒瓶で頭を殴られる感覚。
 蘇る、割れた酒瓶の欠片で切りつけられる感覚。
 これまで本能的に忘れようとしていたことが、全て蘇る。
 三人で過ごした夢のようなひとときを忘れさせるように。
 全部、全部、たった一本の酒瓶で壊された。

「......どこ行ってたんだよ」
 家に帰ってきた私を、母親は酒瓶を持ちながら鋭い目でぎろりと睨む。
「.........」
 意図的に黙り込んでいると、母親は何か大声を上げた。酔いつぶれていたせいか、何を言っているのかわからなかった。
「......あなたは、どうして帰ってきたの」
「あんのおォほこにィ! すてェらァれたァんあよォ‼」
 呂律が回っておらず、言葉を咀嚼するのに時間がかかった。
 けれど咀嚼する時間も与えられず、母親は立ち上がって空になった酒瓶で私を殴ってきた。
 頭にズンと重みがかかり、その瞬間に痛みがドッサリと降ってくる。ガッシャンと瓶は割れ、その破片が体に降り注がれた。
 その瞬間、私はこれまで見えないようにしてきた記憶が蘇り始めた。
 母親は男の家に転がり込んでは金だけを持ち去って生活をしていた。小学生の頃までは父親がいて、父子家庭のような状態で貧しく暮らしていた。けれどある日父親は唐突に自殺した。家には私一人が取り残されて、時々男に捨てられて帰ってくる母親はいつも私に暴力を振るっていた。
「あんはなんかァいあねェんだよォ!!!!」
 そんな呪文のような言葉を吐かれた瞬間、私は落ちていた酒瓶の欠片で、頬を切りつけられ、それに続いて体の至る所を切りつけられた。
 痛みとは何か。
 皮膚を切り裂かれる感覚がどんどん麻痺していくのが分かる。
 せっかく選んだ今日の思い出の服を赤い血で汚してしまった。ああ、まるで今の私のようだ。綺麗な思い出を、こんなに一瞬で汚されてしまう。
 抵抗しようがなくて、母親の酒の臭いが漂う中、私は傷つくだけだった。
 最初に頭を殴られたのもあってか、私は意識が朦朧としていくのを感じる。
 ──なんだ、結局私の人生はこんなじゃない。
 家族に狂わされ、周りの人間たちの鋭い視線を浴びながら、やっとできた友達というものとの思い出も一瞬にして奪われていく。
 どうして私は、こんな家に生まれたのだろう。
 桃、うめ、ごめんなさい。


 気が付けば、視界には白いものが入る。
 天国か? と一瞬馬鹿みたいなことを思ったけれど、すぐにそれは天井だと理解した。背中には何か柔らかいクッションのようなものがあって、腕に紐みたいなものが突き刺されている。
 ──あれ、これは病院?
 目を見開き、体を起こし、辺りを見渡す。
「臼見さんが目を覚ましました」
 看護師らしき人の声。私はあそこで倒れた後、誰かに助けられたのだろうか。
 すると、さらに何か声がした。

「あんずちゃん......ッ!」

 その声は聞きなれたものだった。声の方向を向くと、そこには──。
「も...も......?」
「あんずちゃん......よかったわ...家まで迎えに行って、倒れたあんずちゃんを見つけられて......生徒会長であるおかげで住所を調べられて...教えてくれたうめにも、感謝しなくちゃ......」
 その時、私は思ったのだった。

 桃は、私にとって一番必要な存在なのだと。

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