西階段の踊り場。
朝からずっとその言葉が頭に張り付いて離れなかった。
そして今、放課後練習をしている教室からその場所が見える。
どうも楽器を吹く気分にならない。
楽器を手に持ったまま1人で教室にいると、廊下から、隣の教室から、上の教室からもいろんな音が聞こえてきた。
ついに集中力が途切れ、気づけば今雄哉と話をしているであろう明香里のことを考えていた。
退部する、と明香里を前に口に出した時、心のどこかがぐしゃりと崩れた。
もしも全部が崩れたら、もう元に戻らない。
そんな漠然とした不安が胸に広がった。
自分でも、何をどう口にしたらいいか分からず、明香里の顔をまともに見ることができなかった。
1人になった帰り道、少し落ち着いて考えたら、様々な感情が輪郭を持って浮かんできた。
離れたくない、離れた後も会いたい、寂しい。
そう感じるのは、明香里のことが好きだからかもしれない。
西階段の踊り場に二つの人影が見えた。
その姿をとらえた瞬間、胸騒ぎを感じた。
それは、俺が自分の気持ちに気づけた瞬間でもあった。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!