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第3話

倦怠感
471
2021/09/11 08:04
あまり目立つと逃げおおせる可能性もある。そう判断した中也は、単独で向かうことにした。向かうことにしたが、一人だと何かと不都合なこともある。だからといって戦闘目的でもないのに芥川を借り出すわけにはいかなかった。

故、彼の部下である樋口を連れてきた次第である。
樋口 一葉
樋口 一葉
……中原さん、そろそろでしょうか
中原 中也
中原 中也
ああ。そろそろだ
すると、それが合図だったかのように一つの黒い影がぬうっと倉庫の影から出てきた。
それはガチャガチャと動き何か旗のようなもの壁に立てかけ、ずるっと椅子を出してそこに座った。

間違いない……。と、次の瞬間だった。

まるで虫けらみたいに、わっとどこからか人が溢れた。皆同じような格好だが、長いのから短いのまで沢山いる。全員がこれ以上ないと言うぐらい痩せ細って生命力を失っている……つまり、貧民街の人間に違いなかった。

樋口 一葉
樋口 一葉
中原さん、間違いありません、アイツです!
中原 中也
中原 中也
よし、突入だァ樋口!
その声を起爆剤に樋口は天井に向かって銃声を放った。爆発音が倉庫内に轟き、その場にいた全員が震撼する。
樋口 一葉
樋口 一葉
そこのもの達!どきなさい、私たちはマフィアよ!
両手に拳銃を持ち、それぞれの頭にかざしながら言った。生に執着する彼らは殺されると思ったに違いない、声にならない声をあげてまたあっという間にその場から姿を一人残らず消した。
中原 中也
中原 中也
手前ェか、俺たちの場所でヤク売り捌いてるってェのは
人が塵のように動き回る様を唖然と見ていたその人だかりの中の人間は一言、「はあ?」と言った。

中也も樋口も思わず声をあげそうになる。なんてったって、その命が抜けたような声を出したのは街で普通に見かけるような女児(と言うには年齢を重ねすぎている)だったからだ。

女子高生ほどの年齢じゃないだろうか……?
鮎川 李都
鮎川 李都
なんだァ……薬物?また人聞きの悪いコトを……なんの話ィ……?
それこそ薬物をやってるんじゃないのかというような話具合で少女はのらーりくらりと喋り出した。
樋口 一葉
樋口 一葉
な、ならなんだというの、薬物じゃないというなら……
鮎川 李都
鮎川 李都
私……人を幸せにする力があるんですよ
少女は突然そんなことを言い出した。あんまりに突然で、流石の中也も目を見張る。それと同時に、コイツは気が触れてるんじゃないかとも思った。
中原 中也
中原 中也
あ?どういうことだ?というか手前、名前は
鮎川 李都
鮎川 李都
私の名前?ああ……鮎川李都あゆかわりと、です。そう、私にはね、人を幸福にする能力があるんですよ。巷では異能力とか、言うんでしたっけ?私にも色々事情があって……生活するためにこの力で依頼してくださった皆さんにその人にとっての幸福を授けているんですよ
中原 中也
中原 中也
人を殺すことが幸福を授けることなのか?
マフィアの口からこんな言葉を出すとは、と中也は思った。
鮎川 李都
鮎川 李都
え?死んでしまう?アハアハアハ……嫌ですねー、嬉しさのあまり死んじゃうんじゃないですかァ。アア……勘違いしてるんですね?幸福を授けるの意味を、あなた勘違いしてらっしゃるんだ
中也は、コイツは本当に薬物でもやってるんじゃないかと確信に近く思いだした。だが、勘違いの意味がわからない、ペースに呑み込まれる。
中原 中也
中原 中也
勘違いだァ?
鮎川 李都
鮎川 李都
そう、勘違い……。あのね、幸福っていうのは、パッと出て湧くもんじゃないんですよ。その人次第なんですよォ。ンー、例えば、ここに一万円あったとしますね。あなたにあげよう、そう私が言ったとする。貧民街の人間なら私に土下座して感謝でもするんでしょうが、それは彼らが金に困って明日の運命さえ危ういからなんですよ。一万円もあれば一ヶ月は生きていられる……じゃあ、空前絶後の大金持ちに一万円をあげたとしましょう。もちろん社交辞令的にありがとうなりなんなり言うかもしれませんが、土下座はしないでしょうよ……わかりますかねェ?
全く容量を得ない話に、中也も樋口も頭をもたげた。
樋口 一葉
樋口 一葉
まあ、その通りね……
鮎川 李都
鮎川 李都
つまり、幸福は人の感情なんです……。私の人を幸福にする能力は、その感情の起伏を操作することで……その人を幸せにしてるんです。だから、お金が無尽蔵に出てくるわけでも旨そうな食べ物が山のように出てくるわけでもない……だからそうですね、沢山食べて満足、幸せだという気持ちにはなるんですが、実際は食べてなんてないわけなんで、栄養素的にはなんら変わりなどないわけで……
その時、樋口と中也ははっと意識を取り戻した。理性が上から降りる。これはマズイ。この女________
中原 中也
中原 中也
手前まさか_______精神操作の異能者だな⁉︎
樋口も思わずその場から退く。反射的に向けた銃口は、樋口の意を介さず微かに震えている。
鮎川 李都
鮎川 李都
なんですか……薬物の売人の次はキチガイ呼ばわりですかァ……?全くヒドイ、ヒド過ぎるんだなァ……。私、別に人をムヤミに傷つけたりしません。でも明日の生活に困るような身分でもあるわけで……。エエヤ、そもそもですよ、あの人たち幸せに死にたいって言って私のところへ来やがったんだ。断ろうとも断ろうともまーしつこく追い回すモンですから、しゃーないって幸せにしてやったんですよ。エエ。だって死ぬ時まで惨めなのはイヤだァって
李都の話はのらりくらりスローペースなだけではなくて、妙に長ったらしいもので、聞いている側は頭がなんだか痛くなるような気がするのであった。もっと言うと、なんだか痛くなるでは済まされないような……そんな気さえ。

現に、その場にいた二人はその態度と雰囲気に危うく毒されるところであった。
樋口 一葉
樋口 一葉
もしあなたの話が本当なら……あそこにいた人たちは皆自殺志願者だと……?
鮎川 李都
鮎川 李都
ま、そういうことになる……。あーやって一人二人望み通りにしたらどっから聞いたのか俺も私もってェ私に縋るんだ。自分から死にたいなんて、ヤァよっぽどですね
中原 中也
中原 中也
兎にも角にも、あんまり勝手されると俺たちも困るんだがなァ
鮎川 李都
鮎川 李都
私だって困っちゃうんですよ。言ったでしょう、事情もあって明日にも困るって。アア、でも、中原さんが住まいからお仕事まで紹介してくださるってェならやめますよ。モチロン
ケタケタと笑って李都は両手をコートのポケットに突っ込んだ。
中也は悪寒と一緒に居心地の悪さが後ろで手招きしているのが見えた。
中原 中也
中原 中也
手前、なんで俺の名前知ってやがる
鮎川 李都
鮎川 李都
私は手前ェじゃないです、アユカワリト。言ったでしょう。なんでってホラ、そこのお姉さんがあなたのこと中原さんって言うから、はー、この人は中原さんって言うのかと思って。結構前からいたみたいなんで、アラァ依頼かなと思ったんですけどね
中原 中也
中原 中也
……バレてたって言うのかよ
鮎川 李都
鮎川 李都
それでどうしますか、私困ってるんです。別にあなた達に害を与えるつもりもないし、だけど私の首も持ち帰らずにいたらボスも遺憾では?
中也は樋口に目配せをして、考えるような素振りを見せた。自我もあるようだし、聞き分けも悪くない、精神操作の異能者とはいえ自分が手の余るほどの力は無さそうだ。悪くはないが____
中原 中也
中原 中也
わーった、ついて来い。下手な真似したら俺が捻り潰すからな
樋口 一葉
樋口 一葉
中原さん!いいんですか⁉︎
中原 中也
中原 中也
ボスに顔向け出来ねェよりはマシだ
鮎川 李都
鮎川 李都
アハー!嬉しい!……ではお礼に、チョット失礼して……
李都は作り物みたいな歓声をあげると、樋口の頭にグッと手を伸ばしてソラッと声を出した。
一瞬戦闘態勢に切り替わる。が……
樋口 一葉
樋口 一葉
あれ……なんだか楽しい……よくわからないですけど、ウキウキして幸せな感じです……
中原 中也
中原 中也
はァ?どういうことだ?
鮎川 李都
鮎川 李都
だから言ったじゃないですか、私の異能力は人を幸福にするっていう能力なんですよ……。感情の起伏を平常値からほんの少し上昇させたんです。ハハハ……マァ、よろしくお願いしますね
酸素の少ない空間に、調子の外れた笑い声がこだまする。夜は深みを増していった。

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