《☆イニ☆side》
「…名前は?」
少しの沈黙の後、顔の整った男、
…テオくん、に、そう問われる。
指名した時に見なかったのだろうか、と少々面倒臭い気持ちになったがこれも仕事。
「じん。カタカナでイニって書いてじん。」
丁寧に漢字まで教えてやる。
すると彼はホッとしたような優しい表情になり、
「じゃあじんたんって呼ぼうかな」
考える様子もなくそう言った。
やはりこういう店に来るのは慣れていないらしい。
その後もポツポツと軽言を交わしているだけ。
最近の天気はこうだ、とか、芸能はああだ、とか。
今までの生活に慣れ切ってしまった俺は、少し歯痒いと感じてしまったようだ。
途端、激しい自分への嫌悪がこみ上げる。
「…この仕事、嫌じゃない?」
今考えていることを読み取ったかのように、タイムリーな話題を出してくる。
「…まぁ、好きでやってる訳では無い、かな」
でも慣れたし大丈夫だよ、と付け足した。
…大丈夫、って、誰に?
俺は今、テオくん、という一人の客に心配されていると勘違いをしてはいないだろうか。
あまりにも優しすぎるから。
「…あ、の…っ、やんない、の?」
その訳の分からないもどかしさに、その言葉が口をついて零れ出る。
そうするとまた、傷ついたような顔をするんだ。
どうすればいいか分からなくて、こんなの初めてで、いつもあるペースが乱されていって。
「俺じゃ、嫌、だったかな」
どういう対応をすればいいか分からないまま。
「…ごめん、本当に…ごめん」
微かな声だった。
小さすぎる声だった、が、確実にそう言った。
謝罪を意味する言葉を呟いたテオくんは、俺より少し高い場所にあった目線を合わせ、唇同士を重ねた。
なんだろう。
すごく、嫌な気分のしないキスだ。
若くて綺麗な顔をした人だからだろうか。
優しくて甘い、本当にその通りのキス。
テオくんから、フワ、と甘い香りが漂う。
またバチッという感覚。
懐かしいような、そんな匂いだ。
不意に涙が溢れ出してきたが、卑猥な店の演出的には最高だろう。
大体の男はこれで釣れるのだから。
自分からは舌を絡めない。
きっと彼にはこれが一番だろう。
テオくんに任せていると、突然息苦しく感じる。
頭もクラクラしてくるし、全身も熱を帯びてくる。
発情期。
あと1日2日は耐えられると思ったのだが。
来てしまったものはしょうがない。
テオくんはそれを察したのか知らないが、時たま唇に空気の通る隙間を作ってくれる。
何でこんなに気を遣うんだろうか。
気づけば押し倒されていて、腰あたりにある左手もただそこを優しく撫でているだけだった。
慣れてるのに。
慣れてるはず、なのに。
もうちょっとやそっとの事じゃ快楽は感じない、穢れきった身体、のはずなのに。
「、っ…ん、ぅあっ」
演技でも何でもない、素の声がどんどん口から溢れ出てきて、自分でも動揺してしまう。
「ぁ、ぃ…っく、んっ、ぅ、」
前戯だけでもヘトヘトになって、それでも足りない俺の欲は蓋が出来ずに胸をいっぱいにする。
辛い、もっと楽にしてほしい。
久しぶりすぎるその感覚に、意識を飛ばしてしまいそうだった。
ぎゅ、とシーツを握って無理矢理意識を戻す。
「…好き、だよ」
優しく揺さぶられながら、頭の中を流れていくだけの言葉を必死に理解しようとする。
駄目だ、何も考えられない。
彼は、テオくんは、何に。
何に想いを伝えたの?
今は俺だけを見てて欲しい。
お願いだから、一夜限りでいいから。
俺と、俺だけと、沢山戯れて。
「…俺もっ、好きっ」
そしてまた彼は、切なそうに笑った。
編集部コメント
主人公は鈍感で口下手ではあるものの『コミュ障』というほどではないので、キャラの作り込みに関しては一考の余地があるものの、楽曲テーマ、オーディオドラマ前提、登場人物の数などの制約が多いコンテストにおいて、条件内できちんと可愛らしくまとまっているお話でした!
転校生、幼馴染、親友といった王道ポジションのキャラたちがストーリーの中でそれぞれの役割を果たし、ハッピーな読後感に仕上がっています。