翌朝、午前8時30分。
俺は着々とこの国、オーストリアから出る準備を始めていた。ヨーロッパのほぼ中心にあたるこの国は、国土こそ小さいものの、絵画のように美しい街並みと、豊かな自然に恵まれていて住むにはもってこいだった。特に芸術の都ウィーンはかの有名なモーツァルトが活動をしていた地とあって、一流の音楽家たちが毎週コンサートを開いていた。そんな活気ある街での仕事は充実したものであったし、ここでずっと生活していたいと思える程だった。
そんな街があと50時間足らずで隕石によって消滅するとは、少しだけ寂しく残念だと思う。
『 ...... よしっ、 』
長期の出張と言えど単身で、しかもここに来てからあまり長くない俺は、そこまで荷物が多くなかった。
しかも料理もしない、特にこれといった趣味もない、仕事漬けで友人もこの地にいない俺が用意した荷物はスーツケース1個分とそこそこの大きさのボストンバックのみ。
なんとなく味気ないような気がしたが、まぁよし。どうせ消滅するんだから、ベッドもソファもテレビも、韓国に帰ってから新調しよう。
そう思ったんだからこの荷物の量は頷ける。
多いとめんどくさいし。
腕時計に目をやると時刻は午前10時を回ろうとしていた。
フライトの時間が午後1時で、ここから空港まで約1時間とすると、そろそろ出る時間なのかもしれない。
搭乗時間に間に合わないってばたばたしたくないし、しかも隕石でこの街の治安は大荒れ。何があるか分からないから、早めに出ておこうと、スーツケースに手をかけた。
少しだけお世話になったこの部屋に控えめに手を振ってばいばい、と一言。返事が来るはずもなく、ドアをバタンと閉めた。
しまった。
派手にやらかしてしまった。
タクシーが全然捕まらない。そう言えばそうだ、隕石で警察も政府も動いてないのに、タクシー運転手が出勤しているはずないだろう。ここから空港まで走ったとして搭乗時間に間に合う訳が無い。
頭を抱えた俺の脳みその中にぴこんっといい案が浮かんだ。
社用車を使ってしまえばいい、と。
どうせこの災厄だ、誰も出勤していない。
歩いていた足を止めて、俺は会社の方向へと歩き出した。
いつも通り自動ドアが空いて、センサーに社員証をかざす。社用車は使ったことがあったから、鍵を持って出口へと急いだ。時刻は午前10時30分。どうせこの会社も消滅する、誰もいない、そうわかっているのに何故か後ろめたい気持ちになった。
車を走らせて街へ出ると、俺はまたため息をついた。
タクシーが捕まらなかったことを第一の試練と呼ぶなら、これは第二の試練である。
昨日の渋滞で荒れた道路には、捨てられた自動車やゴミが散乱していた。
なんとか通れそうな車の横幅分くらいの道は空いているが、絶対にスピードを出しては通れないだろう。
まぁいい、歩くよりかは早く着くだろうと家を早めに出た自分を褒めて、車のアクセルを踏んだ。
それにしても、綺麗な街だったんだろうなぁと窓から覗く景色を見て思う。煉瓦造りの外装はクリーム色に染められ、住人がいたであろう部屋の窓からは花壇や洗濯物が見えた。綺麗に舗装された道路や、脇に植えてある木々、公園の花壇やコンサート会場、全てが絵に書いたようで、この街並みが好きだったのに。今では散乱したゴミで台無しである。
結局、空港に着いたのは12時過ぎ。
危ない危ない、結局慌ただしく搭乗することになった。
まぁいい、これで自分の命が助かるのだから。
昨日来ていた安否確認のメッセージに返事をしながら、外を眺める。
良かった。この飛行機のチケットが取れて、運航していて。キャビンアテンダントのいない飛行機の中はあまり慣れた光景ではなかったが、俺は搭乗時、パイロットのおじさんが言ったことを思い出していた。
「 君が最後のお客さんだよ。僕にとってはね。この会社のパイロットがいなくなると、みんな困るだろ?だから最後まで仕事しようと思ってね 」
と。人格者がいるものだと感心した。
俺は母に今から韓国へ向かうと一言メッセージをいれて、瞼を閉じた。
編集部コメント
引きこもりのおじさんと真面目な女子高生という組み合わせがユニーク。コンテストテーマである「タイムカプセル」が、世代の違う二人をつなぎ、物語を進めるアイテムとして存在感を発揮しています。<br />登場人物が自分の過去と向き合い、未来に向かって成長していく過程が丁寧な構成で描かれていました。