第9話

左の音色
96
2021/03/30 04:02
あれから3日、僕は今日も萌夏に『おはよう』と言うことができた。

萌夏は車椅子に乗り簡易ピアノを左手で弾けるように練習していた。
隣のベッドで見ている僕にもひしひしと伝わるぐらいに彼女は楽しそうに練習していた。

『みてみてすぐる!ここも弾けるようになったよ!』

ポロンポロンと、なる音は萌夏らしい音色だった。
同室の他の人たちも萌夏の弾くピアノを褒めていた。
僕は何故かそれが誇らしかった。


そうして数日後。

萌夏のピアノは左手でも美しい音色を奏でていた。
でも、まだ右半身の麻痺は治る気配を見せない。


その頃─────

僕に黒い影が忍び寄っていたことに気づいていたのは僕だけだった。






***




萌夏がピアノを弾き始めて2週間も経たずに一曲弾けるようになっていた。
流石、天才少女。

「今の萌夏、すごく楽しそう」

僕がベッドの上からそう言うと『ありがとう』と笑ってくれた。
あのコンクールの日からとても打ち解けたと思う。

「すぐると約束したからね!これからは楽しく弾くんだから!」

彼女は決意したようにそう力強く言った。

……こんな彼女を見ていられるのもいつまでだろう。



最近こんなことばかり思う。
死ぬのが怖い。
でも、僕が泣いたら萌夏も泣くでしょ?
悲しくなるでしょ?

だから、こんなこというのはお母さんにだけ。
最近はよく病院で会える。

お母さんも気が気じゃないらしいけど、生活するには、僕の入院費を払うには仕事に行かなければいけない。

「ねぇ、萌夏」

「なぁに?」

「もう一回弾いてほしいな」

「いいよ!」

萌夏が弾いている曲はあの日のコンクールの課題曲。
それを萌夏が左手用にアレンジを加えたものだ。


心地よい音に睡魔が襲ってくる。

「ふわぁぁぁ…」

「すぐる、眠いの?」

「うん、ちょっとね…」

「寝ててもいいからね、私勝手に弾いてるから!」

「うん……おやすみ。萌夏」

「おやすみ、すぐる」

「萌夏…、」

「ん?どうしたの?」

「…好きだよ」

「ありがとう、すぐる。私も好きだよ。」

曲はサビに入った。

そして、僕は寝息をたてながら眠りに落ちた。

















次の日、僕が萌夏に『おはよう』と言うことはなかった。






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