第65話

乱れゆく感情
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2024/04/02 08:49







『君の音には感情がない』


何度かそう言われたことがあったし、だろうなと自分でも納得していた。


けれどいまの音は、きっと違う。


指先から感情が溢れ出していくような、不思議な高揚感があった。


こんなことは初めてだ。


きっと、ではない。


今の音は、これまでの俺とは違う。


そう自分で確信が持てた。


足掻くように最後の旋律に感情をぶつけ、鍵盤からそっと指を離す。








ジョングク
ジョングク
…っん、く、、ふ、…ぅ、



届いた声に顔を向けると、ジョングクが扉のところに立っていた。


テヒョン
テヒョン
っ、ジョングク…


何故?


何故、泣いてる?
ジョングク
ジョングク
てひょっ…、!


ぺたぺたぺたっ、



素足のまま駆け寄ってきた子兎が、飛ぶ勢いで抱きついてきたのを慌てて受け止める。


ジョングク
ジョングク
ふぇっ、…ん、っふ、う、
テヒョン
テヒョン
どうしたんだ?
ジョングク
ジョングク
…ん、っく、てひょ  っ、んっん、



泣いて喋れないようだ。


なだめるよう背中を撫でる。


テヒョン
テヒョン
話すのは後でいい。



頷いたジョングクはひとしきり涙を流し、俺のシャツの胸を濡らした。

















ジョングク
ジョングク
テヒョンすごいね!
ピアノ上手なんだね!


泣き止んだかと思ったら今度は頬を上気させ、どこか興奮気味の子兎。


テヒョン
テヒョン
いつからそこに立ってたんだ? あ、もしかしてピアノの音で起こしたか?


壁は防音になっているが、扉を閉めた記憶がないから、開いていたのかもしれない。


とは言え、さすがに起こすほどの音は響いてなかったとは思うが。

ジョングク
ジョングク
んーん、たまたま目が覚めたんだ。そしたらテヒョンがいなくて、それで廊下に出て探してたらピアノが聴こえてきてね、見たらここのドアが開いてて…


なら序盤から聴いてたってことか。


テヒョン
テヒョン
入ってくればよかったのに。
ジョングク
ジョングク
あ、うん、でもテヒョンがピアノ弾いてる姿みたら、動けなくなっちゃったんだ。
テヒョン
テヒョン
どうしてだ?


訊けば途端に頬が染まった。

ジョングク
ジョングク
んと、あのね? テヒョンがすごくきれぇで、かっこよかったから…



素直に嬉しいと思うが、照れくさくもある。


テヒョン
テヒョン
そうか、、
ジョングク
ジョングク
それに演奏もすごかった…! 
僕ほんとに感動してね、それで涙が出てきちゃったんだもん!




勉学、スポーツ、芸術、仕事、外見。
これまであの人以外、誰に賞賛されようと何も感じなかったのに、この子の言葉はいつも俺の心を動かす。


ただピアノは高3で辞めて、それ以来は気が向いた時に弾いてるだけだ。だから実際は褒められるレベルじゃないが、今は謙遜する場面でもないだろう。


目をきらきらとさせてる子兎の頬を撫でる。


甘えるように手のひらへ顔を傾ける仕草は、いつだって愛らしい。


テヒョン
テヒョン
眠くないのか?
ジョングク
ジョングク
ん、目ぇさめちゃった。
テヒョン
テヒョン
そうか。ああ、そう言えば目が覚めた時、わざわざ探してくれたんだな。
ジョングク
ジョングク
、、あ、うん…僕、なんか寝ぼけちゃってたみたいで…



俺の胸もとに置かれてた両手が、きゅっとシャツを握ってきた。

ジョングク
ジョングク
……テヒョンが僕を置いて、、いなくなっちゃったのかと思ってね…それで、あわてて探して…


握られたシャツの皺が深くなっていく。


その時の不安が蘇ったのか、長いまつ毛が心細げに震えていた。





押し寄せる愛おしさ。


同時に、


苦しくてたまらなくなった。


ジョングク
ジョングク
んっ、、



急激に乱れた感情を押さえ込む前に、すでに抱き寄せていた細い身体。


ジョングク相手だと行動が先走り、思考や理性が追いつかない時がある。


感情に左右されない自分はどこへ行ったのか。


いまの俺はこの子の一挙手一投足に、簡単に心が乱されてしまっている。


それに『月光』を弾いてる間、ずっとジョングクの顔が浮かんでいた。


それが何を意味するのか。





俺はもうすでにーー





けれど、それを認める訳にはいかない。
















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